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12. 09. 19

奈良へ(その6)

旅館に着いたのが5時半でした。
少し休憩してお風呂に入ります。
ここは各部屋が斜面に沿って段々に建てられた
独立した建物になっています。


Iwaido21


今回の部屋は「守屋」 隣の部屋が「馬子」。
いやまぁ、別にええんですけど、、。馬子と守屋を
隣りあわせにしてもいいのか、とちょっと思いました。

お風呂に入ってそのまま夕食になってしまったので
カメラを部屋に置いてきてしまい夕食の写真が
ありません。
ここの食事、明日香村で採れた野菜をたっぷり使った
献立で、すごくおいしいのです。

ここは明日香村の南東部です。
山を越えたら談山神社とか、さらには吉野にも出られる場所です。
夜はとても静かです。
夕食から部屋に戻って、ちょっと話をしたり
明日、どこに行きたいのか、話していたら
みんな眠い、と言って、あっという間に寝てしまい、、。
気がついたら朝の6時過ぎでした。

もうひとり消防士のWくんが起きてきたので
二人して散歩に行きました。

Iwaido2

旅館の前は竹林で、その竹林越しに田んぼが見えました。


Iwaido3

前にも話しましたが、彼は消防士なので
やっぱり謙介なんかと違うところが目につくようで、、。
祝戸○への電信柱がない、電気どうやって引いて
いるんやろ、と、歩いていて突然言うのです。
電気? はて、、。

Iwaido4
(この道路の右側に電線が地下に埋められて通っているのです。
これを見ただけでは全然分かりませんよ、ね。)


確かに県道沿いの下の集落には電線も電柱もあって、
そこから各戸に電線が引かれているのが見えます。
しかし、祝戸○への電柱も電線も言われてみれば
ありません。
県道から祝戸○までの道の途中に街路灯があるのですが
それも道の傍らにそれだけ立っています。
どこからか電気を引っ張ってきているのでしょうが
その電線は見えません。
これはどうしたことか、、。
しばらく歩くと、彼がこれだ、と言って道端のマンホールを
指をさしたのです。そこには旧建設省のロゴがありました。
電線は地下に埋められて、
祝戸○まで行っていたのでした。
やはり明日香村の景観を守る、ということで、
そうしているのでしょうね。


Iwaido5


散歩から帰ると、朝湯に入って
それから朝食です。
朝食もおいしくいただきました。
(またカメラを忘れた、、。)
朝、8時半に旅館を出て、まず向かったのが石舞台です。

Ishibutai1


本当にこんな巨石、重機もない大昔のこと。
どうやって運んできて、どう据えたのか
いつもここにくるたびに思います。
Img_3279

この日、下界はやっぱり暑かったんですけどね。
空はもう秋の色でした。


石舞台の次は飛鳥寺に行きました。

Asukadera2


やはり、ここは外せないところだと思います。

Asukadera3


そうしてこの飛鳥寺の西に蘇我入鹿の首塚、
という伝承の五輪塔が建っています。
Asukadera4

正面は甘樫丘ですね。


この五輪塔の西では今、橿原考古学研究所と
明日香村の教育委員会合同の
発掘調査が行われているところでした。
実はこの場所が飛鳥時代は槻の広場だったわけです。

この槻の広場で蹴鞠をしていた中大兄皇子の
蹴鞠の鞠が転がっていって、それを中臣鎌足が拾いました。

そうしてそれがもとで、2人は話をするようになり、
やがてその2人を中心に大化の改新に
つながっていった、と。そういうことを考えると、
この場所が日本の歴史の転換点に位置した、とも
考えられます。

ただまぁ歴史的な解釈も以前とは違ってきていて
前は大化の改新で大きく日本の諸制度が変わった
と考えられていましたが、今では大化の改新は
長い時間かかって行われたものであって
急変はなかったのでは、と考えられるように
なってきています。
まぁそう考えるのが普通でしょうね。

そんなテレビのチャンネルを変えるみたいに
体制が変わったから、と言ってすべてが
一新される、なんて考えられませんもん。

それはともかく。
大化の改新は、やはり古代史の中で、ひとつの
歴史の転換点であったことは
間違いない、わけで、、。
まぁ今はこんな土地ではありますが、、
ここでそういうことが起こったのか、と思うと
やはり感慨深いものがあります。

そしてかつての歴史の中心地も今では
田んぼの下60センチのところに埋もれてしまっています。

Asukadera1


飛鳥寺の次は高松塚古墳です。
高松塚は消防士の彼が是非行きたい、と
いうことで、行くことになりました。


Takamatsuduka1


道の傍らにはヒガンバナがぼつぼつ出てきていました。
1週間たった今では、もっと花が咲いていることだと思います。

Takamatsuduka2


高松塚は駐車場から古墳の場所までが結構ありまして、、
それにこの日はすんごく暑くて、結局真夏の炎天下を
よろよろと歩く、ということになってしまいました。


高松塚から今度はさらに西へ。 近鉄の飛鳥の駅を越えて、
山の中に入っていきます。

前日に、ここに行きたいのですが、近くまで車で行けますか?
と旅館の人に伺ったのですが、まぁ農道みたいな道しか
ありませんから、、多分そこまで何とか行けるかもしれませんが、
方向転換する場所も対向車が来た時に交わす場所もないでしょうから、
どこか手前の車が置けそうな場所があったら、そこに置かせてもらって
そこから歩いたほうが無難でしょう、という話でした。


Keigoshiduka1_1


なので、ナビでもうちょっと、というところまで来て
結構広い場所が道の傍らにあったのでここに
車を置くことにしたのです。
そこからちょっと歩きました。

確かに暑かったのは暑かったのですが、、
この道もなかなかよい風情の道だったんですよ。
実はこの茶色い道、舗装してあるんです。
茶色いカラー舗装で、遠くから見た目には
昔ながらの舗装されていない土の道のように
見える、ということになっています。

Kengoshiduka8


やっと到着しました。

Kengoshiduka3
ここが牽牛子塚(けんごしづか)古墳です。

Kengoshiduka2

ちょうど一昨年、この明日香村にきて泊まった翌日
この古墳の発掘調査が行われてこの古墳が
高位の貴人を埋葬した場合に用いられる八角形の
古墳であることが分かりました。

埋葬されていた棺が非常に贅沢なつくりであったこと
副葬品などからも推定して、この古墳の埋葬者が
天智天皇と天武天皇のおっかさんの斉明天皇の
陵墓である可能性が高まった、ということです。

Kengoshiduka4


ただまぁ宮内庁は、すでに別のところの古墳を
斉明天皇の陵墓としているのですが、、。

斉明天皇は、松山に来て道後温泉に入った天皇ですから
何となく親近感があります。 
牽牛子と言っても、別に七夕ではなくて
「あさがお」の花のことを「牽牛子」と
呼びます。この古墳のある山のことをそう呼んで
いたのかもしれません。 
この古墳、大正12年の3月に
国の史跡に指定された、とあります。
関東大震災の半年前ですね。


Kengoshiduka5


石室は露出していて、内部を
少しのぞきみることができました。


今年、奈良の国立博物館で古事記展
京都の国立博物館で古代出雲についての
展覧会がありました。

謙介は、古事記学会の会員なので、行ってね♪って
言われたから、仕方なく
古事記の展覧会には行きました。


しかし正直言うと、古事記の展覧会にしろ
出雲の展覧会にしろああいう展覧会を
見にいってもなぁ、、と思います。

そんな展覧会を見に行くのであれば
実際に島根に行ってみるとか
ヤマトタケル伝承であれば伊吹山に登るとか、
熱田神宮に行くとか実際の場所に出かけてみるほうが
よほど大切でしょう。

だって文献とか、発掘されたものを並べられて、
そこから出雲の国を想像しろ、記紀の世界を想像しろ、
たって、無理な話でしょうに。少なくともそういう展示内容には
なっていなかった、と思います。


それに現地に行かなければ
見えてこないもの、がたくさんあるように思います。

確かに展覧会でないと見ることのできない
史料が展示はされるでしょう。 しかし、どういう場所で
こうしたものが発掘されたのか、山間の場所なのか
高さはどんなところか、気候はどうなのか。

どうして古代の人たちはなぜそこを「舞台」としたのか。
それにはやはり何かしらの必然性があった、はずです。

でも、そのことは記録からは出てきません。
「どうしてそうなったか」は歴史には書かれていなくて
「こういうことが起こりました。」と、だけしか書かれていません。

どうしてそうなったのか、を知るためには
やはりそれは現地に行って、「その場所」を見てみないと
見えてこない部分なのだと思います。

特に上代文学、古代史では文献が少ない分
いろいろなものを重層的に結びつけて考える必要が
あります。文章や史料以外にも実際にその場所に
行って見てみないことには正しい把握は難しいでしょう。

なのでああいう展覧会を見に行くのであれば、
むしろ実際の場所に行ってその場所を見る、
ということを謙介はお勧めしたいのです。

そうそう、その「見る」という行為だって、古代の人にとっては
その土地の霊威を身体に入れる、という意味が
ありましたしね。

そういう歴史の場所に自分が立って、そこで昔の人と同じように
景色を見そなはす、という追体験をすることも
また大切なことだと思います。


午前中は、この4つの史跡を回ろうと
予定をしていたのですが、まだ11時過ぎで
もう一箇所行けそうな感じがしました。
明日香村の地図を頭の中に描いて、、
そうだ、橘寺に行こう、ということになりました。


今日はここまでとします。
(しかし端折って書く、と言ったのですが
全然端折ってないですね。まぁいいや。)

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Comments

今回紹介して下さった斑鳩地方の史跡・寺院の中で、行ったことがあるのは石舞台古墳だけです。
ちょうどサクラの季節だったので、涼しくて桜吹雪がとても綺麗でした。
謙介さんは古代史に精通されているので、このような場所を巡ると楽しい(興奮?)でしょうね。
同行されたお二方も、説明を受けながらの見学はとても興味深いと思います。
とても羨ましい!o(^-^)o

『百聞は一見に如かず』
謙介さんの仰るとおりだと思います。
多くの資料・史料を学んだ上でその場所を踏めば、脳のエンドルフィンとアドレナリンは最高潮に達し、さらに洗練された推測・推理・確信が生まれてくると思います。
そういうお仕事や生活環境でいらっしゃることはとても恵まれていますね。
僕は沖縄のことをどれだけ知り、実感し、説明できるのかを考えると、大変お恥ずかしい程度であります。
地元を知ることも未来のためには大切なことだと思いました。

Posted by: タウリ | 12. 09. 20 at 오후 8:51

---タウリさん
実はですね、友達2人がもう最初からして指定してくるんです。「謙介のガイド付き奈良旅行がいい。」とか言って。と、言われたほうはうれしいのですが、あの広い奈良県のじゃあ、どことどこを回るのか、となると結構悩みます。それに言うほうはもう適当にあっちも行きたい、こっちも見たい、って言うんですが、両方の距離がやっぱり結構離れていたら、どちらかにしてもらわないといけないし、、。
俺ね、鈍感な性質なので、あんまりパワースポットとか言われるところに行っても全然パワーが蓄積されたとか思わないんですが、明日香だけは、本当に行くと自分の中に元気な力が授かるように思います。自分にとってのパワースポットは明日香村なのかなぁ、と思います。タウリさんも沖縄からはちょっと遠いですが、関空まで飛んだら、難波に出て近鉄に乗り換えたら奈良はすぐそこです。春もいいですし、四季それぞれにいいところだと思います。ぜひお勧めします。

Posted by: 謙介 | 12. 09. 20 at 오후 11:03

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