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12. 09. 18

奈良へ(その5)

今度は南に行きます。


山の辺の道を東に見ながら、車は道を南下します。
この道は国道169号線なのですが、謙介の頭の中の感覚で
言えば、上つ道(かみつみち)と言って、古墳時代にできた
道です。 今は二車線の道路になってしまいました。

これは昔に比べたら非常に狭くなっています。
史料によりますと昔は道幅が42メートルあったそうですが
今はその半分もないのではないでしょうかね。
この道は、桜井市で箸墓の近所を通っています。

箸墓の近くに邪馬台国の比定地もあるわけで、、
史料としては古墳時代、となっていますが、
それ以前にできていた道、と思っても差し支え
ないんじゃないかなぁ、という気もします。


169号を南に。
西名阪の天理IC近くまできました。
ここまで来たら、やはりここに寄らなければなりません。

Tensta


「天スタ」の本店です。
天スタは「天理スタミナラーメ○」のこと。

天スタ、今ではなんとミャンマーのヤンゴンにまで支店があるそうで、、。

Tensta2

スタミナラーメンのチャーシュー載せを頼みました。
上にチャーシューが載っていますが、その下に野菜がたくさん入っていて
(むしろチャーシュー載せを頼まなければ、野菜ラーメンという感じさえ
します)ラーメンの中ではまとまった量の野菜が摂れるラーメンだと
思います。
ただ、辛い。 口の中がピリピリして汗がどばどば出てきます。
麺はストレートの麺です。(麺にはあんまりひねりはないように思います)
この天スタラーメン、たまにすんごく食べたくなるような気がするんですよね。
いつもは大して思わないのですが、ごくたまにああものすごく
天スタ食べたひーーーとか思うのです。
汗をかきながらハフハフ言っていただきました。

お昼も済ませたところで、もう2時近くになっていました。
天理からさらに上つ道を走って桜井まできました。
ここで左折して今度は伊勢街道に入ります。
しかし、、奈良の幹線道路の骨格って
いまだに奈良時代のまんまだったり、、(笑)

最近になって中和幹線とか京奈和道とかすこしずつ
新しい道もできてはいますが、、
いかんせん、道を作ろうと思えば工事で地面を掘る
掘れば何かしらの遺跡が出てくる、、で、なかなか
文化財の保護とか歴史的景観の維持と
道路の新造の兼ね合いが難しいだろうな
ということもありはするのでしょうが、、。
ここから三重のほうに向かって走ります。
まぁこれも伊勢街道っていう古い道が進化した道なのですが、、。

走っていると道路標識が榛原とか大宇陀という
奈良県の地名から、
名張10キロとか久居32キロとか津68キロとかいうふうに
三重県の地名に変化してくのが分かります。
(そういえば名張に平井○の実家がありましたね。)

道路の右側をつかず離れずといった距離で近鉄が
走っています。

名張まで10キロの標識を見たところで、道路を右折して
川沿いにうねうねと遡っていくこと10分少々。
到着です。
ここも山の中です。
Yamakai


車を駐車場において歩きます。
川沿いにお土産物屋とか旅館が並んでいるのですが
多分夏休みも終わった直後ということもあるのでしょうか。
店を閉めているところさえありましたが、、。

Hashi


川に架けられた橋を渡ると、室生寺に到着です。

Murouji1

和歌山県の高野山が女人禁制だったのに対して、
ここは昔から女性に解放された霊場だったので
女人高野の別称があります。

Hyouchuura


この標柱の字を書いたのは今井凌雪先生。
長らく奈良教育大○の先生をされた方です。
奈良教育大○の先生、というより
黒澤明監督の諸作品の題字、
例えば「乱」とか「八月の狂詩曲」の題字は
全部この先生が書いたものでした。


Hyochu

ちょっと近寄ってみます。
この室生寺の標柱、おそらく中国の北魏の
造像記の書体がベースにある、と考えます。
それは「大」の字の右払い、
「室」の字のうかんむりの横画からはねに
行くところで、筆の方向転換のために一度
ぐっと押さえているところ、
それから、「寺」の「寸」部分のはね。
こういうところに北魏がベースだ、というところが
見て取れます。

さりげなく書いてあるように思われますが、
細部をよく観察してみると
非常に緻密な計算をして書かれているのが
わかります。一例を挙げてみますと
「生」の横画、よく見てもらったら分かるのですが
横画の右の方向が微妙に違っているのが分かります?
これ、全部右上がりにすると字全体のバランスが
悪くなってしまいます。 上二本は右上がりにしても
一番下の画は 右上がりにせずにほとんど平らになって
いるのがわかりますか?
こうすることで字全体が右上がりになってしまうのを
バランスを取って、防いでいるのです。
力強く雄渾でしかも品があって、いい字だなぁ
と思います。

Sanmonura


さてお寺の中に入ってみます。
このお寺は山の傾斜を利用するようにして
伽藍が形成されています。ですから建物から
建物に行くにはまず階段です。
Ishidan


この石段の積み重ね、本当に美しい。
石段を登ると本堂がありました。

Hondou


この本堂も屋根全体にゆるやかな
カーブがあってなんとなく柔らかい感じが
しますね。さすがの国宝です。


その本堂の横の石段を登ったら、五重塔が見えてきます。
少し前の大雨で近くの大木が倒れて五重塔の屋根に
その木が倒れ掛かって、大きな被害が出たことがありましたが
その屋根の修理も終わって五重塔はもとのように
なっていました。
Muoujito1

奥の院に向かう参道から振り返って五重塔を見たところです。
東寺の五重塔に比べたら、ほんとうに小さくてかわいらしい五重塔です。
ほかの五重塔は屋根が瓦葺きですが、ここの五重塔は桧皮葺なので
軽い感じがします。
Muroujito2

参道にほとけさまが座っておいででした。
よく見ると、このほとけさまは四国八十八カ所の札所の
お寺の本尊でした。
右から83番一宮寺、88番大窪寺、80番国分寺
謙介の実家からどのお寺もそう遠くないところのお寺です。 
(大窪寺だけはやや遠いですが、
それでも1時間以内で行けます。)

最初に言ったように、今では奈良から四国まで
3時間です。しかし、昔の歩くしか交通手段のなかった
時代の人にとっては、四国はやはり相当の遠国であったでしょうし、
なかなか行けない、というようなところだったのでしょう。
その代わりにこうしたところでおまいりをして四国に行ったのと
同じような巡礼をしたのでしょうね。

Shikoku

こういうミニ四国八十八箇所のコース、全国各地の
いたるところにあります。
前に、そういう四国巡礼のことを調べている歴史地理学の
先生にお伺いしたら、東京の多摩川の流域だけで、
3箇所、別々のこうしたミニ四国の巡礼コースがあったのですよ
と教えていただいたことがありました。

室生寺のお参りを済ませて時計を見たら4時半でした。
本当はもうひとつ回る予定でしたが、多分お寺は5時くらいで
閉めてしまうので、今日はこれでおいて旅館に行くことにしました。
旅館は一昨年に奈良に来た時にも泊まった、
明日香村の石舞台のすぐ近くにある
祝戸○というところです。

Iwaido1


前に泊まったとき、ここに泊まって、とても気に入ったので
今回もまたここにしたのでした。


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Comments

>謙介さん
 朱色の門が、美しいですね。
四国まで3時間とは、上海行くのと
変わりないですね。
 平井堅さん、実は学校の後輩です。
お母さんもこの学校で家庭科を教えて
下さいました。椎名桔平さんは、先輩
です^^;

Posted by: | 12. 09. 18 at 오후 8:47

>謙介さん
 失礼しました。上の文章、私です。

Posted by: yoko | 12. 09. 18 at 오후 8:49

---yokoさん
そうだったんですか。 実は伊賀上野に行った時に、上野城へ行ったわけです。そうしたらもうすぐそこに見えていて、、。
その時は、平井堅の母校がそこだ、というのは知っていたので、ああここなんだ、と思ったことでした。 伊賀上野もいいところですね。伊勢神戸から乗り換えて行きましたよ。一度は旅行で、後の数度は昔話の調査で大山田村に行くときに伊賀上野をベースにしたのでした。 鍵屋の辻で田楽を食べました。(笑) かたやきをお土産に買って帰ったら、ブツブツ文句を言われて、結局自分ひとりで食べました。良い思い出です。本当に三重は好きな場所です。

Posted by: 謙介 | 12. 09. 18 at 오후 10:30

沖縄の寺院には“塔”がありません。
高いところから街を見おろしても、どこにお寺があるか全く分かりません。
日本本土に行くと、そういう景色がふつうに溶け込んでいるのでとても新鮮な感じがします。

沖縄では住民と寺院の檀家制度がないので、特定の宗派に所属している人はごく少数です(○○学会とかは別として)。
葬式や法事のときだけの1回限りのお付き合いというのがほとんどです。
ですから、寺院の巡礼というものはありません。

その代わり、民間信仰が2種類あり、自然崇拝と祖先崇拝で成り立っています。
祖先崇拝はご先祖、火の神、便所の神、屋敷の神、地盤の神を拝みますので、自宅内で収まります。
自然崇拝の場合は地域の御嶽や御願所で手を合わせます。普段は行ってはいけない場所なので、所定の日や特別の理由があるときだけ入ります(男子禁制の場所もあります)。
御嶽を巡礼することがありますが、観光的要素は全くなく、お供え物などの準備するものがそれぞれに必要(同じものは使えない)で、ご祈祷が中心です。
御嶽巡礼はとても大変です。

祝戸○、調べてみましたよ。
とても素敵な宿ですね。
コテージ風になっているのも良い感じです。
お料理は……、「古代食」にも興味がありますが、量を考えると「飛香鍋」が食べたです(^_^;)。
古代遺跡のそばというのも奈良ならではですね。

Posted by: タウリ | 12. 09. 19 at 오전 9:14

室生寺ですね。懐かしいです。奥の院には行かなかったのですか?なんか、軽く登山みたいな感じで息切れしながら行ったのを思い出します(笑)

Posted by: ともぞう | 12. 09. 19 at 오전 9:35

>謙介さん
 随分、三重に詳しいのでびっくり
しました。そして、良い所と言って
もらえてうれしいです。三重は、四日市
ぜんそくとか、あまり良い印象を他県の
方は持っていないみたいで、謙介さんみ
たく褒めてくださると、三重県人は光栄
です。
>タウリさん
 横レス、失礼します。
沖縄は本土と八重山諸島に行ったこと
あります。その時は、お墓が立派で
お家みたいなお墓だなと思ったのですが
特定の宗派もないんですね。
 土着信仰みたいで、家族的ですね。
でも、韓国の儒教みたいで、女性が法事
などの準備が大変ですね。
勉強になりました。

Posted by: yoko | 12. 09. 19 at 오전 10:52

---タウリさん
大学の時の、卒論の資料関連で、沖縄の宗教儀礼についても調べました。 柳田国男とか折口信夫が戦前のまだ船便しかなかった時代に、沖縄に何度も足を運んだのは、今、タウリさんがここで教えてくださったような日本の宗教儀礼の原型を沖縄に見たから、だと思います。
人が亡くなったとしても、お墓での礼拝はちゃんと定期的に行いますし、宗教が生活の中にちゃんと生きている、という気がします。 若い人の宗教観はどうでしょうか。そうした伝統的な祖先崇拝の儀式については、きちんと参加しているでしょうか。(でもこれは家によって差がありそうですね。)久高島のイザイホーを是非一度見学したいのですが、なかなか難しそうですね。 そういえば、タウリさんに言われるまで、沖縄の寺の塔のことを考えたことがありませんでした。五重塔とか、ありませんね。
 明日香の祝戸○、静かで落ち着いたところです。是非、一度いらっしゃってください。

Posted by: 謙介 | 12. 09. 19 at 오후 12:08

---ともぞうさん
室生寺の奥の院、時間がなかったのです。というのが、五重塔のところまで来た段階で4時半だったので、5時に閉門、ということで、30分で、あそこまで行って帰ってくる、(下りは何とかなりそうでしたが、のぼりが、、)のはちょっと難しいかな、と思って、又今度、ということにしました。

Posted by: 謙介 | 12. 09. 19 at 오후 12:11

---yokoさん
三重は大好きなところです。 北勢、中勢、南勢それぞれに特色があって、何度行ってもいろいろな発見があります。津と大台町にそれぞれ友達がおりまして、いろんなところに連れていってもらいました。四日市、70年代のように工場のばい煙で、ということもないですよね。今はそういう排煙の浄化技術もものすごく発達しましたから、四日市も全然そんな煙でどうのこうの、ということもありませんし、、。
ちょうど中部地方と近畿地方の中間なので、両方の文化が混在しているところがおもしろいなぁ、と思います。

Posted by: 謙介 | 12. 09. 19 at 오후 12:18

たびたび失礼しますm(_ _)m

>yokoさん
はじめまして!
コメントを有り難うございます。
仏教は国家鎮護のためのもので、個人のためではなかったようです。
琉球古神道というのが国家~個人に幅広く浸透していたようです。
現在の祖先崇拝・自然崇拝も琉球古神道が基礎となっているそうです。
男性優位社会ですが、家族の基礎は女性です。これは儒教的というよりはポリネシアなどに見られる母系社会に近いような気がします。
男性は世事、女性は神事という役割分担だったのだと思いますよ。

>謙介さん
ブログのコメント欄を借用し、申し訳ございませんm(_ _)m
若い世代では宗教的儀式や伝説の伝承は難しくなってきています。
自然崇拝についてはかなり廃れかけています。村落などの地域を基礎とした信仰だったため、地域の繋がりが少なくなってきたことが原因だと思います。
祖先崇拝は年中行事の簡素化は見られるものの、現在でも全島で行われています。神御清明や清明祭、旧盆、彼岸、それぞれの地域の豊年祭や豊漁祭などは今の続いていますよ。もちろん若者も積極的に参加します。
久高島のイザイホーはもう行われることはないと思います。
とても残念です。
それに岡○太郎氏らの行った行為も、風習伝承に少なからぬ悪影響を与えたと思います。民俗や文化を土足で荒らしていったことに、天国で何を考えていらっしゃるでしょう。アマゾンや未開民族の調査の場合にも同じ事が起きているのかもしれませんね。

Posted by: タウリ | 12. 09. 19 at 오후 1:17

---タウリさん
ありがとうございます。
そうですか。もうイザイホーは無理なのですね。自然を尊ぶ、ということは自然に対する怖れを持つ、ということで大切なことだと思うのです。自然は穏やかな表情を見せるだけとは限りません、よね。 阪神淡路の大震災、このたびの東日本の大震災、こうしたことだって起きます。自然の力は恐いぞ、人間の力なんてたかが知れている、という自然に対して尊敬するとか畏れる、とかいう気持ちを持っていないとやはりあるときに大きなしっぺ返しに遭うような気がします。沖縄で、そうした自然崇拝が失われていきつつあることは、残念ですね。でも、そうした祖先のお祭りが行われている、若者が参加している、ということを伺って安心しました。 
その地域、地域の文化、その地方の固有の文化はやはり敬意を持って接しなければなりません。謙介は恩師からそのことはこんこんと注意されました。それが人文学の研究をする人間の最低限のルールだと。 人の文化に土足で踏み入れたり、自分の文化と比較して差別したり見下すようなことがあってはいけない、と言われてきましたし、そのとおりだと思っています。 そうですよね。

Posted by: 謙介 | 12. 09. 19 at 오후 4:41

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