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12. 09. 11

奈良へ(その1)

そもそもの発端はこの雑誌だったのです。
いつものように芸術新潮を見ましたら
そこにこのツーショット写真があったわけです。
ひえええええ。


Taidan


実は謙介、大学のときこのお二人の先生に
それぞれ習ったのです。 
梅原先生には宗教学を、
上田先生には古代史をです。


梅原先生は、なんだかいつもしんどそうでした。
しかしその割には長生きしているような
高校のとき「隠された十字架」を読んでいた謙介は
あ、この先生が、その作者なのね。という意識は
あったのですが、その文章は非常に精力的で
しっかりとしていたので、もっとバリバリとした
せんせいのイメージだったわけです。

いざ、講義で来られた先生は、なんだかふらふらと
歩いてきて、よろよろと教壇に立たれると、なんだか
とっても疲れたような口調で話をはじめました。
あらま、イメージと違う、という感じでした。
ところが最初こそ、なんだかしんどそうな話しかた
だったのですが、そのうち話が熱気を帯びると
元気よくなって、すっくと立って話をはじめるでは
ありませんか。最初のあのよろよろは一体
なんだったの? という感じで、講義が終わると
元気よく降壇されて、、、。今も謎です。

上田先生は、本当に講義の回数の少ない先生
でしたねぇ、、。今と違って、文部省(当時)も
講義回数については何も言わなかったのでしょうね。
今だったら一回授業が飛んだら必ずその代わりの日を
設定して、授業をしなくてはいけません。
非常に厳しくなりました。

半期23回の授業のうち、休講が8回あって
15回くらいしか講義がなかったぞ、と記憶しています。
加えて先生、京都の亀岡の小さい神社の神主さんでしたし、、。
国立大学の教官で神主、というのも珍しいといえば
珍しいと思いますが、、。
でも上田先生の授業のおかげで古代史に俄然興味が
湧きましたし、先生の書いた『日本古代国家論究』は
卒論のときの大切な参考書になりました。
結局のところ、謙介が古事記を中心とした上代の文学で
研究をしていこうと思ったのも、上田先生の授業の影響が
大きかったように思いますです。

後、もう一人。
この先生はもうお亡くなりになってしまいましたが
森暢先生です。この先生から美術史と仏教美術史を
学びました。 いつも大量のスライドを持ってきてくださって
スライドを見ながら、仏像の見方、水墨画の見方を
教えてくださいました。

謙介が森先生に習ったのは先生の晩年でしたが
先生が若かった頃のことは
堀辰雄のエッセイの「大和路信濃路」の中に
「森君と(奈良国立)博物館に行く」とか
「今日は森君と法隆寺に行った」というふうに出てきます。

この森先生に仏教美術、仏教建築の見方を2年間かけて
教わりました。先生の美術史家として調査研究の中で
撮影したスライドから、それぞれの仏像の見方
他の美術作品の鑑賞の仕方を習ったこともまた
謙介が上代文学専攻に進む上での大きなきっかけに
なりました。

この夏、高校のときの友達で
今も付き合いのある二人と旅行に行こうという
話が7月の終わりに持ち上がったのです。
そのときに二人の友達がたまたま奈良!
と言ってくれたので、それではということで
この3人の先生に習ったことをもう一度復習する意味も兼ねて
謙介がプランを作って、今回の旅行となったのでした。

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