Yips
今日、仕事を終えて帰ろうとしたら、
駐車場でQPちゃんと遭遇!!
QPちゃんは、去年の3月まで同じ職場にいたのですが、
高知のほうで、どうしても来てくれ、というところが
あったそうで、うちをやめて今は高知にいます。
ですが、この時期、うちで、何か会議があったそうで
たまたま会ったのでした。
QPちゃんの専門は「うんどうせいりがく」です。
いや、本当はQPちゃん、なんて言ったらいけないんだけど、
でもすごくQPちゃんに似ているのです。
だからうちではQPちゃん。
そのうんどうせいりがくのQPちゃんに会ったので
あ、そうだそうだ、と思って、こないだの北島の件、
お伺いしてみたのです。
「こないだの北島の泳ぎ、ごらんになりました? 」
「ええ。」
「身体と頭の意識が全くばらばらで。」
「そうでしたね。意識は意識、身体は身体で、、」
「実は書道をしていてもああいうこと、ってあるんです。」
「え? 書道でもあるんですか? 」
「そうなんです。だから、北島のあの状況を見ていても
全然他人事じゃなくて、、。」
「ねぇ、ばらばらでしたよね。」
「運動選手で、よくあることなんですか? 」
「あるんですよ。あの状況、多分イップス、だと思います。」
「イップス! 」
「イップスで調べたら載っていると思います。
たとえば、野球のピッチャーが突然この状況になって、
ボールを投げられなくなってしまったり、、っていう例があります。」
「突然に、、全くですか? 」
「そう。それまではがんがん
ストレートもフォークも投げられていたのが
ある瞬間から、小さい子の投げるヘロヘロボールですら
投げられなくなります。まぁこれは極端な例ですけれども。」
「で、その解消方法なんですが、、。
謙介は、そういう状況になったら
書くの、あ、ダメだ、不調、って
そこでさっさと止めてしまうんですが、、
でもオリンピックの試合中だと、ボク、不調なの。
やーめた、っていうわけにも
いきませんしねぇ。」
「ねぇ、、。」
「それ、対策というのか、どうしたらいいんでしょう? 」
「一番最初に戻って、もう一度1からすべてやり直すしかないでしょう。」
「1からって?」
「水泳選手だったら、水に顔をつけるところからです。」
「え? そこまで戻らなきゃなんないんですか?」
「まぁ、それはもっとも重症の場合ですが、、
そこまで戻って、もう一度、という場合もあります。
それに、それを修正する方法はそれしかないんです。」
まぁ謙介みたいに、うまく行きそうにない、と
思ったら、「やーめた」って放っぽり出してしまえるので
あれば、そんなにひどいことにならない、って
思うのですが、北島ともなると、やーめた、なんて
言えないですしねぇ、、
ねぇ、、
というような話をしてそれでは、と
お別れしたのでした。
イップスで調べてみましたら、
やはり運動選手によくあることのようで
なんと、そのイップスのための研究組織とか
研究機関まである、ということがわかりました。
そりゃそうですよね。もちろん持って生まれた才能に加えて
今まで営々とやってきた練習とか、作り上げてきた
自分なりのノウハウ、っていうのが
全部パァになってしまうのですから、、。
運動選手にとってはそれまでの全てを喪ってしまうわけで、、。
もうそれだと単に技量というようなことではなくて
人間としての自信とかプライドだって
喪うことになってしまう、ことになるでしょう。
その人の「すべて」が無くなってしまう、とさえ
思います。
幸いというのか、北島の泳ぎ、
その後、全く泳げなくなる、というまでのひどいことには
ならなかったみたいですね。ほんとに、良かった、と思いました。
結果的に謙介の、字を書くの、ちょっとの間休んだら回復!
というのと同じ程度で済んで本当によかったです。
個々人の選手の技能の向上、ということもありますが
やはりロボットではないのですから
そこにはさまざまな思いとか感情の起伏が
あるでしょうし、個人的な事情を抱えての参加という人も
いるでしょう。いろんなところからあれやこれや
という話も聞こえてくるでしょうし、、。
スポーツにしろ、書道とか音楽といった芸術にしろ
文化的ないとなみ、というのは
お金がかかります。加えて生身の人間が
やっている以上は、思った成果が出ないことだって
あります。
しかもオリンピックの前後だけ、ワーワー騒ぐだけの人が
多くて、終わったらもう素知らぬ顔です。
それでいて、この競技ならこの人、あの競技ならだれそれ、
いうように既定のように言われたって、、
QPちゃんも言っていましたが
本当に選手だって大変だと思います。
文化的なことって、
長らくやってきて、じゃあ、どんな成果があったの?
といわれたら、具体的な成果とか実効性を言ってみろ、
たって、形にならないもの、きっちりとした成果の
出ないものだってたくさんあります。
文学だってそうですからねぇ、、。
この助詞の「は」と「が」の解釈の違いを発見したから、
この古事記歌謡の31番の解釈をこうしたから、と
言って、何がどうなるのか、と言われたら
「より真実がはっきりとした。」というしかありません。
お金はかかるし、成果はいまひとつはっきりしない、、。
服を買うのが好きな人は、つい、服を買ってしまうでしょうし、、。
本が好きな人は、懲りずに本を買う。
食べ歩きが好きな人は、遠くまででかけて、行列に並んでまで
その食べたいものを食べる。
四国くんだりまで飛行機代と旅費を使って、1杯170円のうどんを
食べにくる。
ゲームだって、音楽に芝居に、、
お金をかけて無駄なこともいっぱいやって
形に残らないものを大切にして、、
そうやって人は人らしく生活できるのではないですか?
オリンピックの各競技で人間が人としてどこまでその能力を
伸ばせるのか、その極限を見られるこの瞬間に立ち会えることは
とても幸せなことではないですかね。
謙介は選手各自、それぞれのいろんな背景を抱えながらも
しんどい状況の中でありながらも、
人間がどこまで限界に挑戦できるのか、
うまくいかないことだって多い人生の中で、
どうやってこの選手はここまでになったのか。
そんなことを考えながら競技を見ています。
イップスのことを考えながら、
そういう感想を持ちました。
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