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12. 07. 30

張本人んちへ

うなぎ、高いんだそうで、、。

お店で買ったうな重のうなぎの量が少なくなった、って
ニュースにあったりしましたけれども、、
うなぎって、俺が中学とか高校の時分は
すごい高い食べ物だった記憶があります。
他のランチとか定食が600円とか800円のころに
うなぎだけ2000円とかしていましたし、、

うなぎがどんどん安くなったの、って、
ここウン十年くらいのものではないですかね。

それ以前はもっと高かったですし、
あんなの、年に1度くらいしか
食べなかったですよ
だから、謙介的には、まぁこんなものでしょ、
としか思わないんですけど、、。

でもあまりに諸所方々でうなぎが高いうなぎが高い
って広報されるものだから、結局丑の日直前になると
謙介の実家の辺のお店は値下げしていました。

昨日スーパーでチラッと見ただけですが、
確かにちょっと前だと
鹿児島産のものの蒲焼きが1尾1300円くらいで
中国のアモイ産の蒲焼きが1尾980円くらいだったのですが

昨日見たところでは鹿児島産のが1600円~1980円くらいになって
アモイ産ものが1300円くらい、って出ていました。
謙介、あんまりうなぎ、って好きじゃないんです。


蒲焼き食べていて、時々小骨が口の中で刺さったりしません?

鱧の小骨みたいなの。
ものすごく細くて、口の外に出すほどではないんですが、
でも、口の中がイガイガして、
あの骨があんまり好きではなくてですね、
ちょっと食べていて、気になるんです。

だからうなぎうなぎ、って騒ぐ人がいても、
存外、はぁ、そうですか? と軽く受け流すばかりで、、
うなぎが食べられない、って言われても全然ショックでありません。

いやまぁ、この体力の落ちる時期に
滋養のあるうなぎを食べるのは身体に
いいことではありますが、、。

でもね、丑の日にうなぎ、って最初が江戸時代でしょう?
それで夏のうなぎでしょ?

俺は夏にうなぎなんか食べなかった江戸の町衆のほうが
本当はえらい! って思いますよ。
だって、夏のうなぎって、おいしくないんだもの。
うなぎのいちばんおいしい時期は冬から春です。

その時期だったら脂肪とか栄養を蓄えているから
身もおいしいのですが、夏のうなぎって
そういう産卵期も済んだし、だから言ったら
スカスカの状態なんだもん。
今なら冬のうなぎ採っておいて、調理して冷凍にしておく、
ってできますが、江戸時代はそんなのなかったでしょうから
夏のいまひとつおいしくないうなぎ、だったと思うんです。
そのうなぎをうなぎ屋が売ろうとした。

一般的に言われているのは、うなぎ屋の店主が平賀源内のところに
「夏場はうなぎが売れねえで困るんでさぁ。
何とか売れる方法ねえですかね。」って販促依頼に行ったのが
最初ということになってますよね。

まぁそういうことで
大体が土用の丑の日にうなぎ、なんて
うなぎ屋の宣伝戦略(笑)で言い出したことですし、、。

で、謙介、うなぎは食べなかった代わりに
その言いだしっぺの張本人の家に
行ってきました。

Gennnai11
平賀源内の旧宅です。

源内さん、と言えばエレキテルですね。
節電の夏ですから、いっちょこれで発電してですねぇ、、(笑)

左の彩色のエレキテルが江戸で作成したもの(複製)
右の素朴な(笑)のが、地元で作ったもののようです。
Gennai1

Gennai2


源内さん正しくはこの場所で生まれたそうなのですが
この家が生まれたそのものの家ではありません。
源内さんが高松藩の下級武士を辞めて江戸に出奔した段階で
自動的に平賀家の現金収入は絶たれてしまうことになりました。
ここ、おもしろい見方ができると思うんですよね。
日本史の上では源内が江戸に行って、いろいろな活動を
していきますし、当然そっちの方向には陽が当たるわけですが、
残された家族は、現金収入の方途が当然その日から絶たれ、
路頭に迷ってしまったわけです。

「ほんまに、困ったことしてくれてからに。えらい迷惑や。」という
家族の声が聞こえてきそうです。
以後平賀家は武士の身分を離れて商売をするように
なります。いろいろな商売を経験して、結局最後はお酢を商う
仕事をするようになったそうです。
そうしてこの酢屋で、ようやっと家業も持ち直して、、
ということで、この今見ている建物に改築をした、のだそうです。
ですからこの建物は、源内が出奔してからの建築、と聞きました。

これが醸造場のほうです。
Ienaka1


そしてこっちが座敷
Ienaka2


これが裏側から住居兼店の母屋を見たところです。
Ieura


しかもこの家を建てたときは、家運も隆盛だったのですが
この後は次第に没落していって、、
本当にもう生活が大変だった、と聞きました。


平賀源内という人物、
日本の科学史の中で見るのと
平賀家の家族の側から見るのでは
おそらく180度違った源内像が
出てきそうだなぁ、と思いました。(笑)

この町には、源内さんの記念館と、
旧居のふたつ、源内さんにまつわる建物が
あります。 
記念館のほうは、彼の生い立ちから、生涯を
順にたどることができます。
また、それにあわせて、彼が作ったものとか
彼の著作物なども置いてあります。
さっきのエレキテルも記念館のほうに置いてあります。

これは神霊矢口渡ですね。
Yaguchi


旧居のほうは、ここで源内さんが生まれた、ということと
さっきも言ったように、この家で、生まれたわけでは
ありませんが、江戸時代の家の造りとか、
建物を見ることができて、それはそれで参考になります。

奥まったところ、以前は酢の蔵があった場所は
蔵が朽ち果ててしまった後に庭にして、
現在は源内さんが育てていた薬草の薬草園に
なっています。

Niwa1

名前は知っていたけれども、実物を見たことがなかった
薬草がたくさんあって、これはこれでとても勉強になりました。
Niwa2


で、トイレに行こうとして、
たぶん、この暖簾に一番感動しました。
Expo70

おそらく大阪万博のときの手ぬぐいを暖簾にしたのでは
ないですかねぇ、、。 

42年前の手ぬぐいでしょう。

「人類の進歩と調和」の手ぬぐいが
平賀源内旧居の便所にかかっているところが
妙に哲学的にさえ思えました。(笑)

実は、この先週の土曜日、この辺の最高気温が
37度近くまでいきました。
35度以下であれば、何とかクーラーなしで凌げるのですが
さすがに35度を越えますと、しんどい。
午後からこの日は、近くのショッピングモールに
避暑に行きました。

ですが、、。ここも節電で28度設定。
さらに謙介と同じように避暑に来ている人が多数で
元々28度設定だった上に、人がわんさかいるからその熱で
結局30度台にしか下がらない。
したがってちっとも涼しくない。
クールシェアなんて、無理だね、と言いながら帰ってきました。

明日も36度だって。やれやれ。

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