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12. 07. 23

京都らしいといえば京都らしい、のですけども

親戚の子がこの春から京都の大学に行きはじめました。
目下前期試験のさなか。
謙介の行っていたころは、今とは違って
前期試験なんて9月にしていましたから、

祇園祭の宵山のころに前期の講義終了に
なって、祇園祭見物も開放感一杯で見物に行けたのですが、
今の学生さんはテスト直前のころでテスト以外に
レポートもいろいろあって見ててかわいそうな気もします。

その子が、9月のはじめに別の大学が中心になって
やっている研究会の旅行に参加することになったそうで、
で、彼は締め切り前にその研究会の人に参加します、
って伝えていたらしいのですが、
その人のところにその意思表示がうまく伝わっていなくて
結局旅行締め切りを過ぎてからの申し込みになって
しまったらしいのです。

それで、その子が別の用事で電話をしてきたときに
(なんか先生に言われた民俗学の本がどこにあるか
探し方が分からん、というご質問だったので、
それはNII(国立情報学研究所)のデータベースの
サイニィで簡単に探せるよ、とお答えした後で、
その話になったのだけれど。)

安請け合いになって後で問題になっても
困るので
その子には言わなかったけれども
おそらく彼は旅行にいけるんじゃないかなぁ、という
気がします。

京都の街のいろいろなものの決まり方って
そういう形式的な締め切り云々ということより、
往々にして、個人のつながりのほうが優先されることが
あります。

たぶん誰かが、まぁええわ、入れといたろ、と
いいつつ、気がついたら、ちゃんと旅行者名簿の中に
名前が入っている、っていうこと。
俺の今までの経験の中でも、
締め切りを遠に過ぎて申し込んで
ちゃんと名前が入ってた、ということばかりでした。

締め切りを過ぎたから、あかん、と
冷たくあしらわれるのは大学の教務課(笑)ぐらいのもので、、
大抵のことはするり、とうまく入ってしまいます。
それを「じゅんさいな。」と言ったりするのですが。
そうそう時々おつゆに入っている、あのぬるっとした
膜を持ったハスの小さいような形をした、あのじゅんさいです。
いろいろと決まりはあるにせよ、その決まりの隙間を
するり、と抜けて、、。


なので、彼は本当に今は旅行にいけるか
いけないかの瀬戸際で、イライラしているようですが
謙介は、たぶん大丈夫ではないかしらん、
と密かに思っているのです。

ただまぁ歳を取ると、それ以外に、
別な方法が自然にできては来るんですけどね。


締め切りを過ぎていても、おっさんになりますと
「あんじょうやってや。」
という一言で、対応が変わってきたりします。
「あんじょうやってや。」を標準語に直すと
「そこんとこひとつ、よろしく。」に近いのですが
もうちょっと言葉にいろいろな意味を含むところが
大きくて、単純にそうはいえません。

ただまぁ、「あんじょうやってや。」と相手の顔を
見て、ニコッとして、それで相手がこちらの要求どおり
「あんじょうやってくれる」までは、やはり相当の時間というのか
歳月が必要です。
こちらも向こうの要求をいろいろと聴いて「あんじょうやる。」
向こうもこちらの要求を聴く。
そういうやりとりも必要でしょうし、
貫禄のあるおっさんになって
相手に有無を言わさない、全体の雰囲気も必要かと
思います。
そうしたものがないまぜになって、
「あんじょうやってや。」
と言って、物が、事態が、
その場の空気でひとりでに動くようになる、
ということが京都ではあります。

それから街で隠然たる力を持っている
諸団体があります。お寺とか、諸芸のお家元とかやっちゃんとか、
その他いろいろと、、。(まぁいわゆる「その筋」です。笑)
その筋から、話があると、今まで一向に動かなかった事態が
急転直下、ささささっと暗黙のうちに動く、ということがあります。

京都の年寄りは、こういう時には
どこをつついたら、どういうふうになるのか、ということは
よく知っています。まぁそういうことを知っていないと
あの街では生活できませんし、、。

これは別に京都に限らず、地方の古い歴史や
文化のある街で長く住んできた人間なら
大抵この手は使うんじゃないですかね。
20年30年と一つの店とのお付き合いが
ある街では、そういうことができます。

その点、東京みたいに店の消長が激しかったり
街が新しいところではどうしてもみんなが公平に納得できる
装置として「決まり」がきちんとあって、
それで動く、というシステムになっているのでしょうけれども、。

そういう街の決め事というのか、街の動き方、というものが
案外東日本と西日本の大きな違いになっているのでは、
と思います。


まぁ俺の恩師も、いつもその手で、
謙介のところに電話してくるわけです。
「○○の件、あんじょう頼むわ。」
とだけしか言いません。
それでこちらは、どういうふうにすればいいのか
大体の見当をつけて事を処理してきます。
一応、処理が終わった段階で
「先生、こういうふうにさせてもらいました。」
と報告します。すると、「おおきに。面倒かけたな。」という一言で
事態は終結するのです。

まぁねぇ、これが京都らしい、といえば京都
らしいのではありますが、、。

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