再び大阪へ
山田五十鈴さんがお亡くなりになりましたね。
かつて謙介が京都に住んでいた時、
山田さん常盤の家のすぐ近くのマンションにお住まいでした。
(本当にでかいマンションでした)
よく家でもその話になったものでした。
まぁ太秦の撮影所も比較的近かった場所ですから
山田さんに限らず、映画関係の人が結構お住まいでした。
銭湯にたまにいくと、あ、あの人、映画で見たことあるで、
という人がお風呂に入りにきていたり、、
後、ベテラン女優さんで、存命というと
京マチ子さんですかね。まぁ森光子さんもいますが。
さて、いいかげん引っ張りに引っ張っている
先日の旅行のおはなし、
え? まだあるのか?
もうちょっとあるんですよー。
奈良から近鉄の快速急行で再び大阪のなんばに
戻ってきました。 電車は鶴橋の辺まで地上を
走るのですが、見ているとやはり大阪も雨が
酷く降っているようすでした。
後はこのなんば界隈を歩きます。
でも、この辺は大抵地下街であっちこっち行けるので
雨が降っていても、そう心配はいらないんですけどね。
商店街には今、なんばのグランド花月でやっている
吉本興○創立100周年記念のお芝居の大きな
垂れ幕がいくつもかかっていました。吉本せいを
南野陽○が演じる、とありました。
元々吉本は北のお初天神の貸席がその商売の
はじめだった、と大学の時に特殊講義「日本の芸能」の
授業で講義をしていただいた藤山寛○先生から
直接伺ったことがあります。
以前は曽根崎にも花月劇場があったと記憶していますが
何しろ花月って、もうあっちこっちに、作ってはやめ、
やめてはまた作りで、いまやどこにどんな劇場があるのか、謙介
さっぱりわかりません。
とりあえずいつもなんばに行ったら寄っている本屋の前には
そういえば吉本あったわ、ということです。
で、その「いつも寄る本屋」さんの建物に、
そういえば、行ったことのない施設があったのを
思い出したのです。
ジュンク堂の上に「ワッハ上方」という上方芸能の
資料館があります。
それがねぇ、この施設、目下存亡の危機にあるのです。
利用者が不入りだから、廃止してしまえ!
という話が進んでいるのです。
廃止されてしまったら行けなくなるので
その前にこの機会に行っておこうと
思ったのでした。
入場料が大人400円です。
で、今なら吉本の粗品つきです。
入ったらすぐにのぞきからくり風なものがありました。
のぞきからくり、以前は四天王寺の境内でやって
いたんですけどねぇ。
小さなのぞき穴から見ると、その箱の中でいろいろな仕掛けが
動いて、場面が変わったり何かが出てきたりします。
横でおっちゃんがその箱を操作しながら
説教節のような節をつけて説明をしてくれるのです。
俺が見たときに、それが「最後ののぞきからくり」でしたから
今はもう絶滅してしまったのではないでしょうかねぇ、、。
そののぞきからくり風なものを見せてくれます。
それから寄席を再現した小舞台がありました。
実際に落語もしているようです。
上方の落語は座っている前に
ついたてのようなものがあって、落語家さんの膝は
見えないようになっていますよね。
舞台の上の額は曽我廼家五郎八さんの字で笑門来福とありました。
舞台に近寄ってみました。
次の部屋は漫才のコーナーでした。
真ん中に見える着物が吾妻ひな子師匠の舞台衣装と三味線。
ははのんきだね、の女放談、好きだったんですけどね。
早くに亡くなってしまわれました。
右側のスーツが人生幸朗師匠の舞台衣装。
ぼやき漫才のこれが台本だそうです。
またなにをぶつぶつと言いよんじゃ、この泥ガメ! と生恵師匠が叫ぶと
責任者でてこい!と人生幸朗師匠が叫んで、懐かしく思い出しました。
こうしたかつて上方の芸能の中で有名だった師匠のさまざまな資料が
惜しげもなく並べられて、思わず見ながら、ああ、そうそう、
と懐かしく思い出していました。
いろいろな漫才師の人の記録がありましたが
3分の2くらいは実際に観たなぁ、と
ミスハワイ・暁伸 っていったら「あーいーやー」だったし
砂川捨丸っていったら、鼓持ってきて、ポンポン叩いていたし、
かしまし娘でしょ、フラワーショウでしょ、ちゃっきり娘でしょ、
昔はよかった、って言いたくはないんですが、
今の漫才で笑え、って言われても、全然おもしろくないんです。
懐かしの映像コーナーでは若井はんじけんじさんの漫才を
やっていました。
後、こうした展示室の脇に資料室があって、そこでは上方芸能に関する図書資料と
そうしたかつての名人の生前の視聴覚資料を見ることもできます。
見終わって、なるほど、と思いました。
人が来ないのも、ちょっと納得ができた気がしました。
というのが、再度人を呼ぶ仕掛けが全くないのです。
例えば、2012年度、4月から8月までは
桂枝雀さんの記念展示をするとか、枝雀師匠の
弟子たちの師匠についてのトークショーをするとか
9月から12月まではフラワーショウの展示をするとか
いうふうに、特徴を出したイベントを行って、
あ、今度はこういうのをやっているから、また行ってみようか
という気にさせる仕掛けが全くありませんでした。
そういうのをしてみたらいいのに、って
思いました。それとやはり広報不足です。
目立つ看板とか、イベント情報がまったくどこにも
ありませんでした。
これではだーれも気づきまへんで、と思いました。
これだけの資料を備えているのに、十分な運営がなされていないのと
広報不足で人が来ない、というのはとても残念な気がしました。
ワッハ上方を出て、下の本屋さんに行って、ちょっと本を見て、
早めの晩御飯を食べることにしました。
ちょっと出たら千日前です。
千日前といえば、自由○のカレーということにしました。
織田作の夫婦善哉にもこのカレーの話が出てきます。
最初からご飯とルウが混ざって出てくるカレー。
この店ならでは、のカレーです。
もちろん、ご飯とルウが別々のカレーもありますけどね。
カレーを食べて、細かい雨の降っている道路を渡って北に行きます。
まぁ折角来たし、ということで法善寺へお参りしてきました。
水掛不動さん、この日もたくさんの人が参詣していて大賑わいでした。
ちょうちんに藤山直○さんの名の入ったものがありましたよ。
お参りをして、それからなんばの高島○でお土産を買って
OCATに戻ったのがバスの出る10分前でした。
帰りのバスは結構空いていて、後ろの座席も人がいなかったので、
リクライニングシートを倒せるだけ倒して、寝ることができました。
一日で大山崎に行って、大阪で昼を食べて
午後奈良に行って、夕方大阪あれこれ見て、と
あちこちまわることができました。
やはり私鉄、JRのネットワークが発達した近畿地方だったから
こういうことができたのだろうと思います。
大変長くなりましたが、以上でこないだ行った
旅行のご報告を終わりたいと思います。
ながながとお読みくださって
(え、いつものことや? すみません)
どうもありがとうございました。
もう旅行には当分行きません。たぶん。
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Comments
謙介さん 瀬戸内方面は大雨は大丈夫だったでしょうか?
私は上方落語に一時はまっておりまして、上方落語聞きまくりツアーをやったことがあります。二泊三日で朝から晩まで(とはいえ、繁盛亭しか定席がないので、すかすかな日程でしたが)、聞きました。
ワッハもたまに若手の席がかかるようです。確かに広報不足ですね。さほど魅力的とは思えません。資料の散逸を防ぐため、市大か、上方落語協会か、どこかに資料をお任せして、お金のかかるワッハは閉めた方が良いでしょう。その金を文楽協会に回してくれませんかね。
Posted by: まさぞう | 12. 07. 17 PM 4:28
---まさぞうさん
ご無沙汰しております。ありがとうございます。こちらのほうも先週の土曜の晩、確かに集中豪雨のように降った場所もあったのですが、短時間で雨が降りやんだために、夕立のちょっと大きいの、という程度の降り方で終わりました。ワッハは最初は公営だったのですが、あまりにやり方がまずかったので、今は吉本興業が委託されて運営をしています。ですがおそらく今年度末で閉館の予定です。こういう資料館の運営については、公営よりもNPOを立ち上げてその団体に運営してもらったほうがもっと良かったように思います。そうですね。府大は改組で近く文系学部全廃って言っていますから、市大に頼む、ですかね。
Posted by: 謙介 | 12. 07. 17 PM 10:52