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12. 06. 04

22年の後に(1)

こんにちは
6月1日~スーパークールビズ期間に入った
のだそうですが
謙介なんて、「365日スーパークールビズやね」と周囲から
言われるような格好で、、。


去年、鉄ちゃんツアーでも行ったのですが、
実は、ここ最近、謙介の実家の街では
地元の人間を対象にした、街歩きとか
施設の説明ツアーが頻繁に行われています。

ツアーに同行して説明とか解説をしてくださるのは
その施設の人だったり、各分野の研究者とか
専門家の人です。 その中にはうまいもの食べ歩きのツアー
もあるのですが、そのコースについては
地元の店屋のおっちゃんおばちゃん
たちが、その街とか、施設の見学の説明を
してくれる、というのもあります。

大体1回の所要時間は2時間から3時間程度。
料金は大抵1000円以内です。
1000円と言っても、歩いている間の保険や
説明のための資料とか
お茶とかお菓子もついています。


しかも人数は「説明して分かってもらえる人数」ということで
参加人数の上限が10人くらいのツアーです。

なので、旅行会社のやっているような
もうけを取る、というのではおそらく
ないと思います。

今回はそのツアーの一つで
県庁舎の見学ツアーに参加してみました。

実はこのツアー、去年2回開催があったのですが
人気が高くて、謙介が問い合わせっした開催1ヵ月前には
とっくに定員に達していて
前の時は参加できませんでした。

Kenchou2


このうどん県庁舎は大抵の
建築学の本に出ている建物です。
ネットで検索しても本当にものすごい数の
見学記が出てきます。
やはり建築に携わる、設計に携わるという人間で
あれば、一度は見ておかないといけない建物、
になっているそうです。

謙介、建物をいろいろと見るのは好きです。
大学の時は、史学科の友達と
一ヶ月に1度の割合で、史跡踏査に
行っていました。
彼らから、寺院建築の手法とか
城郭建築の手法を習いました。

はい、姫路城です、
はい、宇治平等院鳳凰堂です
というのではなくて、
この建築は、こういう特徴があって、、
ということを教えてもらいました。
本当に「先達はあらまほしき。」だと思います。

漫然と建物を見ていたのでは分からないことが
専門の人に案内をいただくと、
そういうことがあったのか、ということが
分かります。


さて謙介が県庁の集合場所に到着したのは
12時50分でした。
今日の会費、500円を払います。

で、いただいた資料はこれだけです。
Shiryou


CD-ROMの中には、県の有志でまとめた
香川県庁舎の建築について、という
レポート(A3・50ページほど)のデータが
入っています。


あ、それから、これにプラス、ペットボトル入りの
紅茶とミニケーキです。

で、県庁の中、あちこちとご案内いただいて、、
だからたぶんもうけは出てないんじゃないか、と
思うわけです。

ご案内は県庁の職員で、県庁舎の建築の
経緯をずっと調べてきていた文化財保護課の
Sさんという方でした。
参加者は10名で、それに文化財保護課の方が
2名つきました。
まずはじめにケーキと紅茶をよばれました。
と、いうのが、このツアーの日、
5月26日というのが、県庁舎の竣工日だったのです。
1958年5月26日にこの建物ができた、ということです。

Ura


つまりは県庁舎の誕生日、ということで、「お誕生祝い」の
ケーキをみんなで一緒に食べましょう、ということだったそうです。

さて、いよいよ見学です。
まずはこの建物がどのような経緯で
どうなってできたのか、という説明を聞きました。

この県庁舎の設計は「丹下健三」ということになっています。
どの建築史の本を見てもそう書いてはあるのですが、
実は東京大学の丹下研究室はちょっと変わったシステムを取って
いたのだそうで。 

設計に当たっては依頼主の
基本的な意向を聞くのは当然なのですが、
その後の設計作業については、研究室の院生とか学生といった
スタッフ全員がああでもない、こうでもない、とディスカッションを
しながら案を作って、それをさらに討議してよりよいものに
していく、というスタイルだったそうです。
ですから丹下さん一人が設計した、のではないのだそうで。

ここのところの事実を見誤ると、
「丹下の建築は」という論調になってしまうのですが、
丹下さんは、学生に「丹下先生」とは絶対に呼ぶな。
「丹下さん」と呼べ、と言っていたほどで
研究室のスタッフ全員が練り上げて、それをさらに
丹下がここをこうする、あそこをこうする、というように
改善をして出てきたのが、丹下さんの研究室の設計です、
ということでした。

香川県庁舎は以前はお城の南側にあったのですが
木造の庁舎は太平洋戦争の空襲で全焼してしまって
庁舎がありませんでした。

向田邦子も通学した県立女学校の校舎を
半分使って仮庁舎にしていたのですが、いつまでも
それではいかんだろう、ということで、県女の隣に
日赤があって、その日赤病院の土地を半分購入して
そこに新庁舎を建てることになったそうです。

で、当時の金子知事が設計を誰に頼もうか、
と思っていたときに、たまたま中学の同級生だった猪熊弦一郎に
会ったら、猪熊さんが、丹下さんか前川(国男)がいいだろう、
と即座に答えてくれた、といいます。 

でも前川さんは対岸の岡山県庁舎を作っているので、

Okayamapref


じゃあうちはということで丹下さんに、ということになったのですが
金子知事は丹下さんと面識がありませんでした。


ところが、その丹下研究室で大番頭とも言われた人に
浅田孝、という人がいて、その浅田さんが
高松の出身だったということ、丹下さんを知っていた
猪熊さん、そうした人が場を設定して丹下さんと
金子さんを引き合わせることになりました。

その引き合わせた場所なんですが、、。
金子さんが上京の帰り、大阪から夜行の船に乗ったのですが
その船室の表示に金子様・丹下様とあったといいます。
そこでどうやらお互いに話をすることができて
すっかり意気投合しあい、丹下さんへの
設計依頼になった、という話でした。

実質、県庁舎の建物を中心となって設計したのは
この浅田さんが中心となって推進したそうです。
ただ、設計し終わってすぐに
浅田さんは今度は南極の昭和基地の設計に
入ったそうで、施工から竣工までは、直接的に
かかわる、ということは少し減った、と聞きました。
ちなみにこの浅田さんの息子が、浅田彰です。

この金子知事、戦前は裁判官をしていて
お堅い人、という感じだったのですが
実はこの人が、イサムノグチに声をかけて
香川にアトリエを作りませんか? と
声をかけて、呼んで来たりもしていますし、
県の施設を丹下研究室に任せて
いくつか作ったりしています。

丹下さんは愛媛の今治の人ですが
作品としては愛媛より香川に多く
あるかもしれません。


丹下研の年譜で言うと、
この時期、今はもうありませんが東京の旧都庁舎を
作って、

Tokyo_gov2

それから広島の平和祈念館を作った後で

800pxhiroshima_peace_memorial_museu

この香川県庁舎、という順序になっています。


ですから広島の平和祈念館の構造が、この
県庁舎の前の部分(県民ホール・県議会部分)に
も使われている、というわけです。


Kenchou1


県知事から言われた基本理念は
民主主義を具現化したような建物であること。
香川の風土に合った建物であること。
県産のものをできるだけ使う、というようなこと
だったそうです。

大抵の建築史の本を見ても
やれコンクリート打ちっぱなしとか
五重塔からヒントを、、というふうな
ことしか書いてありません。
では、なぜ、五重塔のような建て方にしたのか
その意図は何だったのか
そこまで踏み込んで書いてあるサイトとか
ブログはいろいろ調べてみましたが
ありませんでした。

たとえば、なぜコンクリートの
打ちっぱなし工法を選んだのか
ということでは、上の写真を見てもらったら
分かるのですが、その前に東京の都庁舎を
設計しています。その壁面は金属で覆って
あります。金属で覆うこと自体はデザインですね
で済んだのですが、日本の多雨多湿な風土は
この金属を腐食させてしまいます。作ってみて
その維持管理が大変、ということが分かった
ということでした。 実はこの段階で
丹下研究室はコンクリートの打ちっぱなし建築は
まだ十分慣れていなかったのだそうで、
広島の平和祈念館が初のモデルケースだった
といいます。ここでやって、うまくいったので
この県庁舎も続いてこの工法を採用した
という経緯があります、というような話は
建築の本にはなぜだか出てこないんですよね。


もうどれもこれも見たままの羅列で、、。
はいこれが東京都庁、
はいこれがオリンピック競技場、
はいこれが大阪万博のお祭り広場としか書いてなくて、、。(笑)

それでは次はそういう基本理念がどのように
建築に生かされたのか、ということを
見てみたいと思います。
というところで以下次回。

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