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12. 06. 05

22年の後に(2)

この建物、県知事から依頼のあったのは
民主主義を具現化するような建物にしてもらいたい、
とのことでした。
さらに、すでに周囲に県庁の別の建物が
建っていたので、その建物との調和もはかって
欲しい、ということもあった、と聞きました。
それで、問題になったのが敷地です。
前にも言いましたが日赤病院の土地の
半分を買収して県庁の用地としたので
敷地の形状が長方形だった、
南北は短く、東西に長い敷地であった、という
ことでした。
Shikichi

ピンクの色の部分が、この県庁舎の建物部分です。


この土地に収まりよく、
どのような建物を建設するのか、で、研究室は悩みに
悩んでなかなかラフスケッチの案さえ出なかった、
ということでした。
そんな中、あれこれと考えて、今のような
形のものが出た、ということだったそうです。


県民がフラッと入って来やすい県庁にする、
そのために玄関は最初から何の段差も
ありませんでした。 

Genkan


今でこそバリアフリーとか
ユニバーサルデザインとか言うようになりましたが
この県庁舎は54年前からこれでした。


戦前の県庁舎の建物は、役人が統治する
という意図もとに建てられていますから
階段を上がって役所に入るのです。

これは神奈川県庁舎
Kanagawa


これが愛媛県庁舎
戦前の県庁舎は階段に登ってお役所に入るわけです。
謙介、前に用事があってここに行ったんですけど
庁舎に入る前に階段がそびえたっていて、それを登って
庁舎に入るだけで、くたびれてしまいました。
Ehime

それから、映画の『プリンセストヨトミ』にも出てた大阪府庁舎
Osaka


逆に言えばなんたってお上、というくらいですから
「一段高いところから統治するのだ」という意識が
あって、そういう意識の具現化として庁舎もあった
ということです。だから戦前につくられた
都道府県庁舎は人が入るのを拒む
ような厳しい雰囲気のある建物です。


そうではなくて、誰もがふらっと
何気なく立ち寄ってそのまま中に入れる庁舎
でなくてはいけない、というのが、新しい時代の庁舎の
あり方ではないか、と考えられたのです。

それからこれは指摘を受けないと分からなかったことですが
柱の太さが違うのです。
正面から見ると幅は同じなのですが
真ん中の柱だけ、威圧感を少なくさせるために
若干細くしてあるのだそうで、、。


Hashira


本館の建物の前に低層の建物を
持ってきて、厳しさを出さないようにする。
その低層棟の建物の下は
下で市民が憩える場所を
作る。 もしくは、そこでデモをやっていい、
赤旗が林立したっていいじゃないか、
ということでその低層棟の下の空間は考えられた
そうです。

その低層棟には県民ホールと、県議会の議場を
置いたのです。つまり下のピロティで、デモが
あったり意見発表があったことをすぐ上の議会で
話合おう、と。そういう意図があってここの場所に
議会の議場とホールを持ってきた、ということだそうです。
ですから、ピロティからホール、議会に直結する
階段があります。(この日はホールを使っていない日
でしたから、入り口が閉じられていましたが。)


Kaidan

この位置からも玄関に全く段差のないのが
分かります。 竣工時と変化したのは点字ブロックが
新設されたことくらいだと思います。
(ちなみに階段の横の杯のような石は
丹下さんがデザインした照明です。)

この低層棟の下が憩いのスペース、
というのは、狙い通りになっているように思います。
ここ、ものすごく居心地がいいんです。
近所の小学校の生徒が遊んでいたり、おばちゃんが本を
読んでいたり、、おっちゃんがサンドイッチを食べていたり
しょっちゅうこの場所で誰かが休んでいるのが
目に入ります。

Piloty

次に庭を案内されました。

Zenkei

この庭は最初、設計の中に入っていなかったそうですが
設計が進捗していくにしたがって
やはり庭は要るだろう、ということになって
急遽考え出された、そうです。
庭はこの香川の山を表象するように
ぽこっとしたお椀型の山をイメージ
したそうです。それから、単に庭、というのではなく
この庭で何かイベントができるように、と考え
中央部の広場を取った、ということ。

Oniwa1

池には最初、中に島を作ろうとした、そうです。
日本庭園の場合、島は「亀」をあらわします。
亀は、その庭の持ち主の長寿を祈願する
という意味合いがありましたが、
民主主義の世の中に、そんな封建的な意図のある
亀の島でもあるまい、ということで、亀島は却下
となりました。しかし、そうなると池が
単に池だけで風景として締まらなくなってしまいました。


Aji

じゃあ、これ、ということで、地元の庵治の石を
ここに据えたのです。
庵治は映画のセカチューのロケを
した場所で日本でも有名な石の産地です。

庵治石、というだけで、他の石と値段を比べたら
一桁というのか、2倍くらい値段が変わります。


庭石なんて、そんなものは贅沢だから無駄! と
言う人もいるかもしれませんが
庵治石は、主要な地元の特産品ですし、
石材加工だって大切な地域の産業なのですから、
県庁の庭にあるのは、地元産品の使用・展示、ということで
自然なのではないか、と思います。


ところがです。庵治から石を持ってきて、ここで
さらに加工をしたのですが、その加工中に
石のかたまりが、ドーンと飛んで、県庁一階の
ガラスを割ってしまう、ということが起こって
しまったそうで、そのとき、仕方ないから石屋さんが
その割ったガラスの代金を弁償した、
ということもあったそうです。

で、いよいよ建物本体の説明です。
この建物のことを書いたブログ、
本当にものすごく多いのです。

たとえば、各階の天井が低い、とか
書いてあるわけです。

Kakukai

でも、そうしたらなぜ天井が低い構造にしたのか。
天井が低いと、どういう問題があるのか。
逆にどういう利点があるのか、
そんなものは何一つ書かれていません。

香川県は雨の少ない地域です。
逆に言えば晴れの日が多いのです。
窓の大きなサンルームのような部屋を
作ったらどうなるのか。


室温があがって少々冷房を入れたって
そんなもの効きゃしません。
俺の今仕事をしている部屋がまさしくそれです。
確かに冬は12月まで暖房は要りません。
ですが、毎年夏はエアコンを16度設定にしても
32度までしか室温は下がりません。
うちの部屋に来た人はみな「節電の心がけですか? 」
と言ってくれます。 あははは。

窓の大きな部屋なんて、確かに涼しげに見えるのでしょうが
あんなもの、夏暑いだけでどうしようもありません。
実体験として大きな窓の建物なんて論外、とつくづくそう思います。


ひさしを大きく取って、直射日光を避けたことと
そのひさしのためにバルコニーが出来ましたが
そのバルコニーが風の通り道になって、
庁内に涼しい風が吹き込むのです。

案内の職員の方も
7月の半ばまでクーラーは要らないです、
風が吹き込みますから、ということでした。
よく考えたらそうだと思いました。

だってこの庁舎のできた1958年ごろなんて
まだクーラーとかエアコンなんて一般化された
時代ではなかったですから。
そんなものがないのが普通、ということが
前提だったと思います。

そういう人工的に室温を下げる機械というものが
ないなら、自然の力を利用してどうするのか
ということを考えて、その工夫をした。
それが直射日光を入れないひさしと
バルコニーのある構造になった、ということ
だったのでしょう。

ここにあるのが金子知事の頼んだ
香川の風土・気候にあった建物を
ということをこういうふうな方法で
取り上げ、その解決をしようとした
ということだったのだと思います。



検定も受かって、もうばっちりです。
それでは次回は一気に庁舎内画像編を。

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Comments

うわ〜、勉強になりました(今は少し遠いところに住んでいるので、行けば良かったと悔やまれます)。

Posted by: かわちゃん | 12. 06. 06 at 오후 8:43

---かわちゃんさん
お久しぶりです。こんばんは
街あるきの「てくてくさぬき」というイベントがありまして、その中でこのツアーはあります。てくてくさぬきのツアー、どれも(といってもまだ2つしか参加していませんが。)講師の方が、とても熱心にまた懇切丁寧に教えてくださるし、資料なんかもたくさんくださって、それを見ているだけですごい勉強になりますし、、ぜひ一度参加されてみたらいいんじゃないか、と思います。

Posted by: 謙介 | 12. 06. 06 at 오후 10:48

謙介さん 面白い記事ありがとうございます。私は仕事で高松へ良く出張したので(お堀の周りに用がありまして)、泊まった翌朝など、朝飯のうどん店を探したり、中央公園へ散歩に行ったりしておりましたが、ある時、偶然県庁を見つけ、びっくりしました。

県の庁舎は、お城の堀の中か、大通りに面し、堀の外側にあり、建物は威圧的なものと思っていたので、大通りでもない、普通の街区にあの有名建造物が突然あったので、驚いたのでした。

高松の人が近代建築を大事にされているのはとても良いことだと思います。都庁は、あれはあれで名建築だったと思いますが、鈴木知事の誇大妄想的巨大建築趣味のため、新都庁舎を丹下事務所に依頼するのと引きかえに、壊されてしまい、今は三菱地所がスポンサーらしい黄金週間の音楽祭と、骨董市以外は人のまばらなフォーラムが出来ましたが、一体何の役に立っているのやら。

松山はお城からして威圧的なので、周囲の建物もあわせる必要があるのでしょうね。高松はお城も控えめで目立たないし、自宅から徒歩で中心部の勤め先にいける規模でありながら、それなりに大きな文化都市でもあるという点で、日本には珍しい(ドイツの地方都市のような)町だと思います。羨ましい限りです。

Posted by: まさぞう | 12. 06. 13 at 오후 12:21

---まさぞうさん
そうでしたか。中央公園からだと県庁は目と鼻の先ですよね。公園南側の道路を西に行ったら突き当りが日赤で、もうその横ですから。四国の場合、徳島と香川がお城から離れたところに県庁があります。徳島は海に近い川の横に県庁があるのですが、海に近いためヨットが停泊していたりします。たぶん47都道府県のうち、県庁の横にヨットが停まっているのは徳島くらいだろうと思いますが、、。実は前々から建築に興味があったのですが、今回、こういうふうに県庁の説明を聞いて、なおさら興味がわいてきました。今年の夏は、そう遠くない範囲で、身体に負担がかからないようなところを探して、建築見学に行こうかなぁ、と思っています。高松をお褒めくださってありがとうございます。ほとんどアップダウンがなくて平面の街で、しかもこじんまりしているので、自転車がやたら多いのですが、、それでも住みやすいところだなぁ、という気はしています。

Posted by: 謙介 | 12. 06. 13 at 오후 11:28

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