« 10年の後 | Main | テレビが壊れてもオレは知らんぞツアー(その2) »

12. 06. 19

テレビが壊れてもオレは知らんぞツアー(その1)

みなさま 台風の被害はありませんでしょうか。
謙介の住む街は、警報こそ出ましたが
大したこともなく過ぎていってくれました。
これから、というところの方もおいででしょうけれども
どうぞ、無事で、と祈っています。

今日、朝日の『あえ○』の表紙を見たら
韓国のグループの
BIGBAN○が表紙でした。
でもあのグループの発音さー、ビッグバ○じゃないと
思うんですけど。
大体が韓国語に「ビ」なんて発音ないし。 
実際彼らのサイトみたらハングルで「ぴっぺん」って書いてあったぞ。
本人たちが、ぴっぺんって言ってるんだからさー
ビッグバ○じゃなくて、「ぴっぺん」でいいんじゃねえの?
と、ちょっとそんなことを思いましたです。

去年のてつどう道をあるくツアー、
先日の県庁見学ツアーに続いて
今度は3つめの街歩きのツアーに参加してきました。
(後もうひとつ参加予定)

一体この時期何本のこうした街歩きツアーの
プログラムが行われているのか、ということですが
パンフレットを見てみたのです。
細かくは数えたことはないんですが、4月~6月の間
全県下で、おそらく40以上のツアーが
行われているようです。

それぞれいろいろな特色があって、先日のように
現代アートとして県庁舎を見る、というのもあれば
古い街道沿いの家が並ぶ町並みをあるいて、
車で走ったのでは気付かないような歴史の遺物を
教えてもらう、というツアーもあったり、、
後、あちこちお店に寄って食べ物を試食しまくる、
というツアーもあります。

で、今回は、街歩きをしながら、地元のお店に
寄って、いろいろなものを試食してみよーという
ツアーに参加したのでした。
どこの街を回るか、といえば、坂出という街です。

Sakaideata

坂出は崇徳上皇が保元の乱で都から流されて
この地で幽囚され、最期を迎えた地です。
こないだ行った白峰御陵も坂出市。

なので坂出駅はこういうことになっているわけです。


Sutoku


今回の参加人数は6名。その6名にガイド役の方が
3名ついてくださいます。 で、会費は1500円。
所要時間は2時間半のコースです。

集合は坂出駅の観光案内所に11時、ということだったので
10時30分くらいに行きました。そうしたら他の参加者の
方々はもうみなさん、到着していました。
俺以外の人はみんな地元の人だったのですが
それでも、途中で「どうして参加されたのですか? 」と
聞いてみると、「地元に住んでいても案外知らないことが
多くて、、いい機会だったから、、」という話でした。
俺も何せこの街は、仕事場と実家の間にあるところなので
毎週ここを通ってはいるんです。
おそらくもう千回は越えて通っているのですが
坂出に何かを見にくる、ということは
ほとんどなくて
坂出のうどん屋さん何軒か行ったのと
こないだ行った四谷シモンさんの人形館を見に
行ったことくらいしかありませんでした。 
なのでこの街で育った人にあれこれと
案内していただきながら
街を歩く、というのはちょっとおもしろいかなぁ、
と思ったのでした。加えて今回は
食べ歩きツアーなのでございます。
あっちこっちの店に寄っては、食べる
というツアーなので、ほいほい参加したわけです。

食べ歩きと言ってもひたすら
あっちの店、こっちの店と食べまわるのではなくて
前半はこの街のいろいろな歴史的な場所に行って
見学をして、後半、あっちこっちの店に寄って、
ということでした。

最初、坂出駅前にある江戸時代坂出の街の経済的基礎を
作った久米通賢のレリーフの前で、この街の歴史に
ついてざっとおさらいしました。
江戸時代、藩の財政が借金財政で本当に酷い状況
であった時期があった、とか。大体今のお金で300億
くらいの借金があって、この返済をどうするか、ということが
大問題になっていました。

それで何とか殖産事業をということで、この久米通賢を
呼んできて、いろいろと調査をした結果
海が遠浅である。この辺は人口が多い。
しかも勤勉である。
という理由で塩田を作って塩の生産をすればいい
ということになったそうな。
なぜ勤勉か、といえば、周囲の町とか村に比べて
この街のかまどからのけむりが出るのが
一番早かったから、と言う理由なのだそう。


それで、この街の今の北半分。
新市街地あたりをすべて塩田として開発して
塩の生産をはじめた、といいます。塩田の面積は
東京ドーム24個分だったそうです。
江戸時代の塩生産のうち、この坂出の塩が
全国の塩の3分の2を占めるまでになりました。
こうした塩田開発の結果、藩の財政は改善して
黒字になった、ということでした。

そんな話を聞きながら、駅前の鎌○のお庭に向かいます。
Kamadaniwa1

坂出駅の正面西側一帯はすべて鎌○家の持ち物なんですよ。
こないだ行った、四谷シモンさんの人形館もこの
鎌○家の持ち物です。
お庭がこんなの。
Kamadaniwa2


ここでは秋になったら、琴を聴きながらお月見のお茶会が
あったりするんだそうな。


その後、その横にある、郷土資料館の前を通ります。
前にも言ったように、個人的な想像なんですが
この建物が海辺のカフ○に出てくる図書館じゃ
ないのかなぁ、と、読んだときに連想しました。


Kyosaikai


村上さん、この辺のうどん屋にも結構来ていますから。
ここもたぶん知っているんじゃないですかね。
この辺の村上読みはみんな、ここがあの図書館の
モデルだよね、って言っています。


残念なことにここ数ヶ月は設備の改修中で
見学ができませんでした。リニューアルは
9月からだそうで、、。


街あるきのときは、路地から路地へ、という感じで
道を歩いていきます。
少し大きな道に出た、といってもこんな道路。
こういう道はここで生まれて育った人にしかわからない道ですよね。

Michi2


そんな道をあっちに曲がり、こっちに曲がりして
到着したのが、坂出市立の博物館です。
元は旧制の中学だったり、その後は図書館だったり
いろいろな用途に使われた建物らしいのですが
今は博物館になっています。
え? こっちのほうが海辺のカフカの図書館っぽい?
ねぇ、どっちでしょうかね。

Hakubutukan

ここの2階にはサヌカイトが置かれているのです。
ここが2階です。

Hakubutukanura

サヌカイト、というのは、日本では、この坂出のこないだ
行った白峰御陵のある五色台の山と、後、奈良の二上山
でしか産出されない石で、叩いたらカンカンという音がする
石なのです。ですから地元では、カンカン石、という
即物的な名前で呼んでいたりするのですが。(笑)

Kankan

この石、溶岩が冷えて固まった花崗岩なのですが
構造が硬化ガラスのような組成なのだそうで
それで叩いたらカンカンという音がするのです。
地元でよく見るのは、これを木琴のようにならべて
石琴にして演奏したりしています。

東京オリンピック(えらい古い話ですが)の開会の
音はこの石を鳴らすことからはじまりました。

この石は、非常に硬い、というか、硬すぎの石で
何せ石材加工用のダイヤモンドの研削機が、
15分使ったらダメになる、という硬い石だそうで、、。
で、これは謙介も知っていたのですが、
薄くそぐようにしか割れません。
ですから弥生時代以前から、鏃とか石の包丁として使われて
きたのです。

古代の人の移動、人の流れというものは
どんなふうに想像しますか?
それがものすごく広範囲で人が移動していたのが
わかります。というのが、この辺と、奈良の北にしか産出されない
この石が、遺跡の発掘でとんでもない遠く、たとえば東北地方とか
で発見されているのです。

そういえば謙介、以前考古学教室の友達の手伝いで
遺跡の発掘バイトをしたときのことを思い出しましたよ。
発掘された土器とか石器をちびた歯ブラシでこすって
表面の土とか泥を取る作業をするのです。
プレハブ小屋の、夏は気温が40度近くになる
扇風機しかない小屋で、一夏、ずーっと
歯ブラシを持って、しゃかしゃか泥を取ったことを
思い出しました。

博物館を見学して、次は又細い道をうねうねと歩いていきます。

Michi1_1

さて。と、ガイドさんがフェンスのところで止まりました。
ここに石垣が少し見えます。


Ishigaki1


これだけ見たら、なんじゃ? っていうようなものですね。
もう少し近づいてみます。

Ishigaki2


やっぱり、なんじゃ、っていうような代物ですね。
でも長くなったので今日はここまでとします。


|

« 10年の後 | Main | テレビが壊れてもオレは知らんぞツアー(その2) »

おでかけ」カテゴリの記事

Comments

崇徳上皇と言えば、謙介さんはすでにご存じかもしれませんが、こんな読み物ページがありました。
http://waratte.nosmilenolife.jp/edn/edn080812.html
活字の大きさのせいで、時々「祟」と「崇」の表示が心配になることがあります。
たたり 「祟」=「出」+「示」
あがめる 「崇」=「山」+「宗」
別々に書くと分かるのですが、上下にして、活字にすると一目で区別がつきにくいです。
「崇徳」は「たたり」を畏れて「あがめる」ことで鎮魂し、「慈悲」や「加護」を願掛けた御追号だったのでしょうか。
あの明治天皇ですら畏れたというのですから、皇統の歴史と重みを感じますね。

最後の石垣、気になります。
ノーヒントで“続く”ですからね(笑)。
民放バラエティのようです。
新旧混じっているように見えますが、何の石垣?遺構?なのだろう?

Posted by: タウリ | 12. 06. 20 at 오전 10:48

---タウリさん
ご教示ありがとうございました。そのサイト自体は知らなかったのですが、そこに書かれていたことは、承知していました。高屋の血の宮の伝承も。明治になってから白峰から京都に崇徳上皇のみたまを遷す時にも、天候が荒れた、と記録にありました。当時の記録を読んだら、やはり畏れということを思っていたようです。それと、おっしゃるように活字にしてしまうと「崇」と「祟」の字は紛らわしいですよね。石垣のこと、今日ネタあかしをしておりますです。

Posted by: 謙介 | 12. 06. 20 at 오후 8:33

Post a comment



(Not displayed with comment.)


Comments are moderated, and will not appear on this weblog until the author has approved them.



TrackBack

TrackBack URL for this entry:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/91870/54978948

Listed below are links to weblogs that reference テレビが壊れてもオレは知らんぞツアー(その1):

« 10年の後 | Main | テレビが壊れてもオレは知らんぞツアー(その2) »