今津線
こないだ映画の『阪急電車』やってましたね。
原作が出たとき、謙介思ったんです。
「これは絶対に東宝が映画化するで。」って。
そうしたら案の定(笑)
そう。絶対に絶対に東宝です。
日活とか角川ではなくて
東宝でなければならなかったのです。
大体「東宝」なんて
短縮形で言うから分かりにくんですよ。
「東京宝塚」の略が「東宝」ですよね。
もちろん阪急から枝分かれした会社です。
そんな会社が「阪急電車」というタイトルの、
しかも固定支持層の多い有川さんの作品を
映画化しないはずがないじゃないですか。
謙介はそう踏んでいました。
映画化、東宝、って聞いたとき、
だから謙介は当然だろ、としか
思わなかったのでした。
ちょうど原作が出てすぐのころ
こーんなところに出張がありまして(笑)
ここも映画で出てきていましたよね。
ホテルが十三だったので、神戸線で
西宮北口まで行って、
そこから今津線に乗りかえて、
甲東園まで。
そうしてそこからえっちらおっちら歩く、という経路で通いました。
(甲東園の次は仁川です。インチョンではありません。
小林という駅もありますが、こばやしではありません。
おばやしです。)
ちょうどその頃は原作が出て
少しした頃で
その関学の生協の書籍部に行ったら
有川さんに関学の文学部の有志がインタビューした
パンフレットも置いてあったりして、
それを読んだら筆者の意図というのも
分かりました。
なぜ今津線を舞台に小説だったのか、と言えば
あれは有川さんがあの今津線沿線に住んでいる
ということも大きいですが、
阪急電車の路線の中で距離がそう長くなくて
甲陽線ほど短くもなくて。
地元の人に根付いた路線であったから、かもしれない、
と思っています。
人と人の距離が近い感じがする、ということですかね。
出張の時、毎日同じ時刻の同じ車輌に乗ったら
乗っている人がみな同じ人でした。
この今津線の持つ人と人との近さが
あるときには反撥しあい、あるときには
お互いの距離をぐっ、と近づける。
ちょっと話が脱線しますが
時々謙介、他人との接し方が分からない、と言って
内に籠もっている人の話を聞くことがあります。
俺ねぇ、思うんですが、そういう、他人との接し方が
分からない、っていう人って、それ以前に
自分自身とどう向き合っていけばいいのか、って
分かっていないんじゃないのかなぁ、って気がします。
だって、そもそも自分自身とどう向き合えばいいかが
よく分かっていないから、
その先にある他人との接し方だって分からないんじゃ
ないのでしょうか。
自分はどういう人間なのか、自分を見ていくと
どんな要素から成り立っている人間なのか。
まず自分を分かろうとすることからスタートすべきで、
他人との接し方というのは、
その次のステップだと思うんですけどね。
このお話、
今津線の各駅での短い話が絡み合いながら、
物語は進んでいきます。そんなお話の中には
ちょっと話の展開が強引過ぎやしません?
っていうものもありましたが(笑)
同じ車輌に乗ってしまったがために
袖すりあわさざるを得なくなってしまった
人との出会いは人の予想を超えた方向に
進んでいきます。
それは私たちの日々の生活の中でも同じで
「思いもしなかったこと」が起こることがありますよね。
そうしたことは楽しいハプニングならいいのですが、
中には理不尽なこと、もう絶望感すら感じてしまうような
こともあります。しかし、喜怒哀楽の全てを経験して
その経験を生かしながら何とか前に向かって進もうとする
営みこそが、私たちが生きている、ということなのでしょう。
俺も先日、車を運転していていきなり他の車に
ぶつけられる、ということを経験しましたが
これだって、人と人の「関係」ということだと
思います。そこから何かしらを学んで、また
立ち上がって生きていかなければなりません。
ひとりひとりみんなそれぞれの人生があります。
ただそれはひとりひとりの人がみんなそこに
ただ居るだけで淡々と進んでいくものではありません。
梅田から雲雀丘花屋敷行き準急に乗っている淳平くんも
柴島から淡路経由で茨木市に向かっている靖代さんも
甲東園から実習疲れたわ、という顔をして
西宮北口行きに乗り込んだ謙介さんも
それぞれにそれぞれの人生がありますが、
その中でいろいろな人と出会ったり
ぶつかりあったりしながら
人とのつながりの中で、今その人生を生きている。
それが人として生きる、生きていく、という
ことなのではないでしょうか。
話がさらにちょっと横道にそれますが、
最近小説を読んでいてみなさんはどうでしょう。
そこから登場人物の息づかいが伝わってきますか?
たとえば恋人に会った時の楽しさ、悲しいこと
辛いことがあったときの感情。
そうした登場人物の人生が文章を通してちゃんと見えてきますか。
そんなものが全然なくてあるのはただ
誰がこのシーンでどう動いたか、それに対して、
この人はこう動いたとか、
そんな人の軌跡ばかり。
そういうふうに表現するのが
かっこいいと思ってるのかどうか、それは
知らないけれども、
生きた人間の存在が、すっぽりと欠落したような小説、
傾向としてここ数十年、ものすごく増えた気がします。
外国の翻訳小説だって読むんですが、
こういう傾向って、アメリカと日本だけのような
気がします。
どうして人間を描かないのか?
うーん、たぶん描かないんじゃなくて
描けないんだろう、と謙介は思っているのですが。
小説を書く人の側に、そうした人の間で他の人と
ぶつかったり、何かしらの強烈な影響を及ぼしあった
受けた、という経験が無いんじゃないかなぁ、と
思います。
みんなそれぞれ関係しあいながら
そうしてあるときには、ひとりそこに在りながら
私たちは生きています。
どうしてそこの部分を描かないのか。
だって「形式」ばっかり書いていて、
肝心の人間が描けていない小説なんて、、
小説以前の代物じゃないですか。
話をもとに戻します。
ともあれ
物語を造ろうとすると
京都線とか神戸線、宝塚線では人が多すぎて
あそこまでひとりひとりの人に焦点をあてられないでしょうし、、。
それにどこかよそよそしい感じがします。
距離だって長いですし、、。
そういう意味で今津線は物語になる路線だったと思います。
後は雑感です。
今津線といえば、今津の駅で阪神と阪急が
接続しているのですが、、。
今では同じ会社になってしまった
阪神と阪急が、以前、犬猿の仲だったころでさえ
今津の駅の、阪神電車のホームと阪急電車のホームは
近くて、そんなに歩かなくて乗り換えできていたのに
いまや、阪神のホームで降りて阪急側に行こうと
したら通路を延々と歩かされる、ということになって
しまいました。同じ会社になって、却って不便になったって
どうよ、って思います。
しかしいまだに阪急の梅田駅にタイガースの広告があったり
阪神電車の中に宝塚歌劇の広告がある、って
謙介、ものすごく違和感があります。
大体、阪神と阪急って、それはそれは
非常に悪い会社同士で、、。
それがあの株の買い占めで
急転直下、一緒の会社になるなんて、、
時代のものすごい変化を感じざるを得ません。
それからこの春に親戚のじいちゃんのお供で阪急の
梅田駅を使ったときにも感じましたが、阪急って
バリアフルの駅構造にしよう、としか思っていないのでは
ないですかねぇ。
それと阪急、もう今津線は2分割したままで
永遠に放置なんでしょうね。
それだったら、もうちょっと西宮北口での乗り換えを
楽にしろよ、って思います。
南側の階段を上がって、階上の通路を通って、
また北側の階段を下りる、
おぢさんは結構疲れます。
神戸線から今津線への乗り換えもそうですね。
一度ホームを上がって、また下りる、、、
もっと何とかせえよ、と思います。
あの映画の中で、言葉について思ったことが
ふたつありました。
ひとつは出てきた役者さんの
せりふがえらくゆっくりしていたなぁ、ということ。
せりふのテンポとか間が悪かったですね。
せりふ回しが「もっちゃり」しているの。
実際にあの辺の人が話している言葉の速度の
半分くらいの速度だなぁと思いました。
やはりちゃんと映画の中のせりふとして
伝えなくてはならない、しかも近畿圏以外の人も
たくさん見る、ということがあって、理解できるだろう、
という速度にしたのでしょうかね。
その分映画の密度が落ちちゃった。
それから、設定上あの土地の人もいたのに
神戸弁でしゃべっていた人が皆無でした。
前にも言ったように、関西弁などという方言は
存在しません。
同じ関西でも大阪の方言と神戸の方言は明らかに違います。
NHKの朝ドラでは、ちゃんと大阪と神戸の方言、
違えていました。(てるてる家族なんかちゃんとそうしてた。)
実際、今津線に乗ったら、やはり話されている
会話には神戸の方言が相当入ってきます。
大阪だったら「○○ちゃん、あんた何してんねん。」
となりますが、
神戸だと「○○ちゃん、あんた何しとう? 」っていうふうに
変わります。
その辺の考証が雑だったなぁ、というのが惜しい気がしました。
以上、映画を見ていて思った雑感でした。
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