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12. 05. 23

ありえへん風景(その2)

実は、船内について、元々はどんなふうに
なっていたのか、ちょっと本で調べていました。

Renrakusenbook

このなかにこの羊蹄丸と同型の津軽丸その2の図面がありまして、
それを見ていたのです。

Zumen

この図を頭に入れて行ってみたのですが、
やはりもう相当に改造がなされていて、
連絡船だったときの船内の様子とは
全く別のものになっていた、という気がします。

その本に入っていたこの羊蹄丸その2の完成予想画です。

Shunkouzu


色が全然違うことになりましたね。
こういう竣工予想図と実際が違う、というのは
よくあることです。

さて、船内に入ってみましょう。

まず、入ったらエントランスロビーがあります。


Lobby

ここにエスカレーターがあって、下の階に下りていけるようになっています。

Shitahe

下の階は、青函連絡船の資料を展示してありました。
たぶんこの階は以前は鉄道車両を積み込む車輌甲板だった
ところだと思われます。
ですからこのエスカレーターは後から取り付けたものでしょう。 


Ukiwa

こういう船員さんの制服とか、船で実際に使っていた事務引継ぎの帳簿
とかも展示されていました。

Shiryou

さらに奥に行くと、戦後すぐの青森駅周辺を再現した
ジオラマがありました。
Jioranma1

ちょっと照明の加減で恐かったり、、。
Jiorama2

このジオラマは先日青森市長が来られて、この船が解体されるときに
全部青森市に引き取らせてもらいたい、という依頼がありました。
そういうことで、このジオラマは青森市内のどこかで、また
展示されることが決まっています。

Jiorama3

食堂ですが、これも調度の感じから、羊蹄丸が東京に来るときに
新しく改造して設置したように思われます。

Shokudo

船の前のほうにあるVIP用の部屋、だそうです。
これも後から、のような気がします。
Viproom1

それからこれは船長の応接室、とありました。
そうなんですよね。船の上等の部屋、というのは
上層階の、前部、ということに決まっていますから、
まぁここがこの船ではこの部屋が一番上等の居室
ということでしょう。
このソファーは古い感じがしましたので、おそらく
元々この船にあったソファーではないでしょうか。
Viproom2

デッキに出てみました。 ものすごく狭いデッキです。
宇高連絡船の半分くらいの幅しかありません。 やはりデッキに出て
風景を楽しむ、というようなことをあまりしない、という前提だったので、
デッキの幅もこんな程度でよかったのでしょうか。

宇高航路はデッキでみんなうどんを食べたりしていましたから。
Deck

さらに上がってみます。
後部煙突です。

Entotsu1

前の煙突には懐かしいJNR(Japanese National Railways)のファンネルマーク。
特急列車についていたJNRのマークのものより横の長さを半分にして
しまったために、相当寸詰まりのJNRになってしまっています。

これが正しいJNRのマーク
Tubame


ですからやっぱりずいぶんと煙突のほうは寸詰まり、という
感じがします。
Entotsu2

さらに歩いて、今度は操舵室です。
入った印象は窓が大きいので採光がよくて
ものすごく明るい感じがしました。
Soudashitu2


Soudashitu1

これ、何かと言いますと手前から、
プロペラ・船首(バウ)ラスター制御盤 舵制御盤 通信制御盤
自動船位測定装置制御表示器、 第二レーダー指示器
です。

プロペラ、というのは船尾についているスクリューですが
青函連絡船の新しいタイプの船にはバウスラスターというのが
ついています。わかりやすく言えば、船首に船の内側から
外に向かってもうひとつ補助スクリューみたいなものがついていた、と。
このスクリューは船の進行方向に対して直角に進もうとする
ように付けられていたわけです。これを操作しながら、船が
離岸、着岸するときに船首を行きたい方向に持って行くようにした
スクリューです。どうしても船は低速になると舵の効きが
悪くなるそうで、しかもこの連絡船は8000トンを超える
船ですから大きいわけで、そうした効きの悪くなる舵を
補うものとして、こういうスクリューが船の横について
いました。


「お詳しいですね。○戸大学の海事科学部のご卒業ですか?」
「いいえ。文学部の国文学科の卒業ですが何か?」

島にいたときに、定期航路の
船長さんから習いました。

羅針盤ですね。
Rashinban

津軽海峡の海図です。
海図は陸上部分の記述は少ないですが、青森の地名をついつい見て
しまいました。

謙介が学部の時に源氏物語を習ったTセンセイは
太宰治と尋常小学校、中学が同級生で、
(センセイは太宰を大変憎んでいました。センセイの
頭の中の津軽地方は桃源郷のような場所なのに、あの津島の
馬鹿ときたら、津軽をあんなふうに書いたのが許せない! と
いう理由だったようです。)
もう毎度毎度授業のたびに津軽の話を聞かされていましたから、
津軽各地の地名は聞いて覚えてしまいました。

Kaizu_1

操舵室を出て、今度はマストを見てみます。
やはりレーダーにカバーがかかっていて
さすが寒冷地仕様の船だ、とここでも
感心してしまいました。
Masuto


見学にあたって公開されている場所は全部見学しました。

ですが、最初に掲げた船内設計図に照らし合わせて見ると
やはり就航を終えて展示物に変えられた段階で
相当の改造がなされたようでした。

でも、どうして船室とか、客席を残さなかったのでしょうか。
これでは連絡船としてどのような構造であったのか
船内の様子はどうだったのか、さっぱり分かりません。

確かに船長の部屋とかは残っていましたが
そんな部屋を見るより、雑魚寝のできた
区画、とか、グリーン船室の一区画なり
二等客室の一区画をそのまま
残しておいたほうがよほど乗った人は
思い出を思い出すことができたのでは
ないでしょうか。

どうして連絡船として就航していたときの
船室を除けてしまったのか、

確かに船は羊蹄丸ではありましたが、
やはり、青函連絡船として就航していた当時の
船とは全く別のもの、と考えたほうが
いいのだろう、と思いながら船を下りました。

Back_1


もう一度外観だけしっかり見ておきました。


11時50分でしたので、お昼を食べて
次の場所へと移動です。

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Comments

 ・・・鉄の中でもアコモデーションオタクとしては,一般船室の設えが完全撤去されて画像がないというのは,痛恨の一撃でございます(笑)

 それにしても「JNR」マークが懐かしや・・・

Posted by: Ikuno Hiroshi | 12. 05. 24 at 오후 11:46

---Ikuno HIroshiさん
そうなんです。どうしてそういう連絡船の客席をきちんと残しておかなかったのか、と俺も思います。 実はジオラマの部屋のところに申し訳程度、数列分だけ、グリーン船室の椅子が置かれています。でも、そんな椅子で何が想像できましょう。 資料展示するのですから、元の部分を残しておく、というのはもう鉄則のはずですよね。写真で船内の構造がこうなっていました、たって何の実感ももてません。もっとこの船を最初に保存するときに、どうして保存の方法について、どういう考えで保存するのか、とかそういうことを考えなかったのか。下船するときにこれはもう連絡船じゃなかったなぁ、と寂しい気持ちになってしまいました。

Posted by: 謙介 | 12. 05. 25 at 오전 9:54

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