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12. 05. 11

あーうー、もしくは32年の後に(2)

大平正芳記念館の見学の続きです。
もともとこの建物は大平さんの地元での
事務所兼自宅だったので、
選挙のときは、そのまま選挙事務所に
なりました。1階にには、選挙のときの
当選のダルマが今も置いてあったりします。

Oohira12

大平さん、現職の時は、意見を述べる際に
あー、うーといった間投詞を入れるくせが
あったので、あーうー総理と呼ばれていました。
でもね、後から間投詞を除いて、彼の演説なり
答弁を聞くと、非常に論理的で
筋の通ったものだったと思います。

反対に発音明瞭だけど、意味不明、という
首相もいましたね。


2階に上がります。
上は大平さんの住宅だった場所ですが、
大平さんの居室は非常に質素な部屋でした。
その横に展示室があるわけですが、、。

Oohira4


これは第二次大平内閣のときの
天皇の御名御璽のある任命書ですね。
第二次だから、自分で任命して、自分で就任
ということになっています。

それから世界のVIPと取り交わした記念写真。

Photo1


このサッチャーさんは、映画のではなくて、
本物の彼女のポートレイトです。

サッチャーさんも認知症になってしまった、と
この写真を見ながら無常感さえ感じて
しまいました。
大平内閣は1978年から1980年にかけて
ですが、太平さんは、1960年代から
外務大臣とか大蔵大臣を経験していたので
こうした写真を見ると、1960年代から1980年ごろの
世界のリーダーたちについて、そうそうこの人もいたなぁ
と思い出されます。


Photo2

これは訪米した時にホワイトハウスの大統領執務室で
記帳しているところ。

Houbei2

記念写真ですが、下のサインのところ、奥さんのロザリン・カーターが
先にあって、それからジミー・カーターとありました。 こういうところも
レディファーストなんですね。

外国の、特に欧米人のオフィスに行くと、机の上にこういう写真を
写真立てに入れて立ててあるのを見ますよね。お互いのポートレートを
サイン入りで交換する慣わしがありますよね。

それから、中国と交渉をするにあたっての
外交の原則を記したメモもありましたし、

国の財政をどう行うのか、ということについての
基本方針を考えたメモもありました。


日中国交交渉をしに中国に行ったときも
実は、太平さん、体調は最悪で、腎臓結石のために
血尿が出ていたのだそうですが、それでも
主治医が同行して、注射を打ちながら
何とか交渉をまとめた、と聞きました。
対する、周恩来のほうも、末期がんで、余命いくばくも
なかったのですが、それでも日中交渉だけは形を
つけておきたい、として、交渉に臨んだのだとか。
これはその時の奥さんの外交旅券です。

Ryoken

それからこれは天皇誕生日の宮中晩餐会の
招待状。
Bansankai


そうして、太平さんの命を縮めてしまうことに
なった衆参同時選挙。
折りしも、野党が出した大平内閣不信任案に
自民党の非主流派が賛成して不信任案が通って
しまい、衆参同時選挙が行われることになったのですが

これで、一気に大平さんへの同情票が集まり、結果的に
自民党の圧勝、という選挙結果になった、
ということです。

その選挙にあたって地元の人に彼の心情を吐露した
手紙。これがもしかしたら大平さんが書いた
まとまった文章としては
最後のものになったかもしれません。

Tegami


その選挙のさなか彼は倒れ、入院をしました。
その後一時的に回復はしましたが、
体調がにわかに悪化して、
とうとう翌日の早朝に死去してしまいました。

この記念館の1階西側が書庫になっていて、
そこには大平さんが読んでいた本が今もそのまま
置かれています。

Shoka1

Shoka2


政治的なスタンスについては
ここでは書きませんけれども、、
高校生のとき、高峰秀子さんのエッセイを読んでいて
彼女が政治家の中で、読書家で、音楽とか絵画といった
文化的なことにも造詣が深い思う政治家は
大平さんだ、ということを確か書いてあったと思います。


記念館のおばちゃんに念のために聞いてみたのですが、
この書庫の本は単にもらって義理で置いたとか、
飾っておいてあるのではなくて、後から整理の目的で、1冊1冊
本を広げてみたら、線が引いてあったり書き込みが
あったり、と、これらの本はみんなちゃんと読まれていましたね、
とのことでした。

その当時としては新しい中国のこれから進む方向性に
ついて書かれた本から、『サンダカン八番娼館』といった
からゆきさんの本まで本当に多種多様なジャンルの本が
置いてありました。音楽・美術の関係の本も結構あって
単に政治とか経済だけではなくて、広い分野について
興味があった、ということがその本の背表紙を見て
分かりました。 もちろん、自○党夏季講習会テキスト
なんていうのもありましたけれども、、。

こうした読書が大平さんの思考の元にあった
ということは確かだろうな、と思いました。
今回、この記念館に遺された
書庫の本を見て、高峰さんの言葉を
はからずも思い出したのでした。

管理人のおばちゃんに「ありがとうございました。
とても貴重なものをお見せいただいて、、。
いい時間を過ごすことが出来ました。」と
お礼を申し上げましたら、「あ、これ、よかったら
好きなの1枚差し上げましょう。印刷ですけど、、。」
と言って大平さんの色紙をいただきました。


Shikishi


良賈深蔵如虚とあります。
良賈(りょうこ=よい商人)は、深く蔵(おさ)めて
虚(むなしき)が如し。 史記の有名な言葉ですね。


でもね、下手な博物館より、やはりこの国の
首相だった人の資料館ですから、資料一つ一つの
重さが違う、という感じがしました。

田舎だと、よくそこらへんのおっさんが
道楽で集めたどうでもいいような
趣味の悪い骨董品を並べて置いてあるような
個人の資料館とか美術館もどきの
施設が多いのですが、ここは全然そんなことはなくて
見ていてすんごい、と思うものがたくさんあって
全然見飽きませんでした。


しかしねぇ、、。今のこの国の政治、
かくもここまで劣化をしてしまったのはなぜなんでしょう。

碌な政治家がいないなぁ、、。
うちのオフクロではありませんが、
テレビを見たら、ぎょうさん何やらかしこげなお方がおいやすのに
だーれも政治家になって、っていうお人はいてへんのやねぇ、、。
と言っていました。どうして碌な政治家が出てこないんだろう、
と聞いてみたら、

「みなさん、自分が責任取るの嫌なん違う? 
言うことはお言いやすけど、、。」
ということでした。

はてさて、、。 


そんなことを思いながら、記念館を後にしたのでした。

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Comments

 あーうー宰相は,「哲学」のあった最後の政治家だったんじゃないかという気がします・・・

Posted by: Ikuno Hiroshi | 12. 05. 12 at 오전 12:15

---Ikuno Hiroshiさん
なるべく自分でも「昔はよかった」とか、いうふうに短絡的に思わないようにしてはいるんですけどねぇ、、。以前だって派閥抗争があって、順送り人事があって、政党間の妥協とかいろいろあって、それを見ていったら、碌でもないことは一杯あったんですが、、でもひとりの政治家としては、本当にIkunoさんのおっしゃるように哲学のある人がちゃんといたように思いますね。やれやれ、、。

Posted by: 謙介 | 12. 05. 12 at 오전 10:12

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