2012年春・ふたたびの京都へ(2)
翌日3月31日はやはり予報通り雨でした。
役所関係は土曜日なので閉まっていますが
個人の事務所へ書類を持っていく用事が
ありました。
「何時に行ったらええですか? 」
と聞いたら「何時でもええで。」という非常に
アバウトなお返事でした。ですが
天気予報によると、朝は小雨なのですが、お昼にかけては
じゃーじゃー降りになる、とのこと。
これはさっさと済まさないとあかんね、
ということで、事務所の開く時間には
到着できるように、早めに出ました。
と、いっても、この辺って、バスの便が
あんまりよくないんですよ。何せ京都の北西の端ですからね。
1時間に3本です。
バスに乗って、またあちこちと回りました。
(不毛なので写真省略 笑)
お昼も北大路のなか○で食べて(食事時間5分)
とっとと用事を済ませた結果、3時過ぎに
用務終了、となりました。
謙介えらい!
加えてお天気も午前中は
すごい雨が降っていたのですが
午後には時折陽もさしてきたりするように
なりました。
と、言っても3時なんて、微妙で中途半端な時間です。
どこかに行こう、たって、行ってる間に時間が経って
着いたら閉館、なんてふうになって
しまいます。
でも、そこはそれ、京都ですから
近場でも観光できるところなんて
山ほどありまして、、。
北大路で終わったので、、
地下鉄なら一駅南の鞍馬口に
上御霊神社があったので、
そこにお参りに行くことにしました。
この神社のご祭神は9世紀前半から民衆の間で広まり、
863年(貞観5年)には公式の御霊会で祭られるようになった
御霊信仰がそのもとです。
当初の御霊会で祭られたのは崇道天皇、伊予親王、藤原夫人、
観察使(藤原仲成[)、橘大夫(橘逸勢)、文大夫(文室宮田麻呂)の
六所御霊でした。追加された二神について、
火雷神は菅原道真、吉備聖霊は吉備内親王、または伝承にある
井上内親王が産んだ皇子とする説、さらに火雷神は落雷を司る雷精で、
吉備聖霊は鬼魅(災事を起こさせる霊力)であると解釈する説もありま[。
相殿に小倉実起・小倉公連・中納言典待局・小倉季判、
若宮に和光明神(菅原和子)を配祀しています。
こうした諸神は(吉備真備を除いて)いずれも政争に巻き込まれて
憤死した人々で、その怨霊を慰めるために創建された神社、という
ことです。
どうか祟らないでください、こうしてお社を建てて
お祀りさせていただきますので、お気持ちを安らかに、
平らかに持ってくださいね、という意味をこめて
このお社を建立したのですね。
上御霊神社の名物といえば当然「からいた」です。
門前にある水田玉雲○さんのお菓子です。
ここで作られています。
見た目は、、そうですね。八つ橋のような感じですが
湾曲していません。それからあそこまで堅くありません。
パリッと食べられはしますけどね。
それから肉桂は使っていないので
独特のあの匂いもしません。
一見素朴な焼き菓子なのですが、このお菓子の製法は
ものすごく手間がかかるのだそうです。
上白糖に水を加え、鍋で炊いて飴状にします。
これに小麦粉と少量の卵を混ぜ、餅をこねるように
練ります。鏡餅くらいに練り上がったら、今度は
手打ちそばの要領でのばしていくのだそうです。
1.5ミリくらいの薄さにまでのばし、短冊形に切りそろえます。
鉄板にごま油をひいて、両面 を手早く焼き、
やわらかいうちに形を整える、とできあがりだとか。
表面 に鉄板の焼き目がつき、水玉模様のアクセントができます。
食べると、さくっと歯ごたえがあって、
その後うっすら優しい甘味が広がります。
八つ橋に比べると甘さもおだやかです。
決して主張する甘さではありません。
いつもぱりぱりと3枚4枚はすぐ食べてしまいます。
ただこのお菓子は
材料も作り方もごくシンプルな分、製造が非常に難しいと
伺いました。
うどんもそうなのですが、365日同じものを作り続けるのは
簡単なことではありません。うどんだって、夏と冬では
塩の加減が違います。 もっと言えば、その日の湿度
温度によって塩加減を微妙に変えています。
お天気の状態、湿度、そうしたものによって
粉と塩の配合を変えています。
讃岐には土三寒六という塩加減の極意が
あるくらいで土用、と寒では塩の加減を
変えなければいけません。
讃岐の手打ちうどん屋のおっちゃんは
そうした気候を考慮に入れて、うどんを
打っているのです。
それと同じようにこのからいた、も
決して毎日同じ作り方はしていない、と
聞きました。
「毎日同じ作り方で作っておったら、
毎日違うものができてしまいます」。だそうです。
晴れか曇りか、暑いか寒いか。温湿度でも
ずいぶん変わる。材料の状態も季節で異なる。
日々同じものを売ろうと思えば、
それらによる変化の幅をすべて把握する
必要があります、と伺いました。
まるでうどんの作り方と同じやなぁ、と
思ったことでした。
からいた、も買って、、次はどこに行こうと、
とりあえず南に向かって烏丸の通りを下って
いきます。
京都は南に行くことを下る、といいますが、
実際地形上もそうなっているのが
この写真からもおわかりいただけると
思います。この画面の右側が南、です。
前回お見せした親戚の家のあたりの標高と、
東寺の五重塔のてっぺんが大体同じ高さ
です。自転車で京都の街を走ったら
分かりますが、北に行くのは、ものすごく
疲れます。
今出川の手前で右に。
角には紫がスクールカラーの学校がありますが、
また何やでかい校舎を建てはって、、。
烏丸今出川の手前で右折して西に向かいます。
今出川堀川の交差点の近くにあるのが
白峯神宮です。
ご祭神は当然崇徳上皇ですね。
この白峯は、白峯御陵の「白峯」ですから。
目下、大河ドラマにも登場していますですね。
え?
さっきからあんた、なんや怨霊のこもった神社ばっかり
参詣してへんか? って?
そーんなことはあらしません。
たまたまだすがな。
明治になって王政復古の世の中になったときに
明治天皇が崇徳院のみたまを京都にお戻し
することになって、その建物として建てられたのが
このお社です。
お社の周囲にはお茶の三千家(表千家・裏千家・武者小路千家)
のお家元の家がありますから、こういうところ↓にも、
それが出ていたりしますね。
表千家と裏千家はこの神社の北側にあるのですが
武者小路千家の官休庵は、この神社の南に
あります。
神宮からちょっと西に行って
今出川堀川の交差点から北にい、い、行こうとしたのですが
この日もものすごい風が吹いていて
歩くのに難渋しました。
歩いているつもりなのに、前に進まないのです。
何とか歩いて、、
おせんべいの田丸弥さんの横を右に折れると
お茶のお家元のある通りに出ます。
ここが表千家。
風になんか負けないぞ、といいつつ
また北に歩きます。
再び烏丸通に出て、北大路駅まで
戻ってきました。
よく歩いたので、ここからは、バスで
戻りました。
晩御飯は、佛大からちょっと南に行った
千本北大路の角にあるおおさかやで
食べました。(カメラを忘れていったので
写真が、ありませぬ。)
31日はすんごく寒くて、、晩はマフラーをして
冬のような格好で、ご飯を食べに行きました。
寒かったですわ。
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