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12. 04. 27

ほうかな方面へ(4)

さて、再び海峡(笑)を渡ります。

Mukaijima10

フェリーの操舵室は、どちらが前になってもOKのような造りに
なっています。別に珍しいことでもありません。この辺の
フェリーにこういう対称型の操舵室を持った船って
結構よく見かけます。 瀬戸内海沿岸でも、特に広島では
こういう構造の船が多いように思います。
前に宇品でこの手の船を何隻も見ましたから。

船は海峡を往きます。

Kaikyo1

この尾道⇔向島の間の距離は短いですが、
向島に渡るフェリーは東西に走る航路を
横切ることになります。東西の航路は船の行き来も多いですから
船長さん、操船に結構神経をつかうんじゃないか、と思います。

瀬戸内沿岸の県のNHKのローカルのラジオニュースを聞いていると
「明日の巨大船通行状況」というお知らせを
よく聞くことがあります。 
こんな具合です。

「リベリア船籍のタンカーなんたらかんたら号は、
午前7時に山口県周南市の徳山港を出航し、
午前9時○○分に来島海峡を通過します。
△△時に瀬戸大橋を通過し、翌朝○○時に大阪南港に着岸予定です。」
とかいうお知らせを放送しています。こういう船は大抵、瀬戸内海を
東西に走る航路を航行しますが、それに直交する航路を
走る船も多いですし、漁船だっていますから、注意を喚起しているわけです。

僚船がやってきました。


Kaikyo2


こんなふうに東西に走る船もいます。

Kaikyo3

尾道側の桟橋に到着しました。
まもなく接岸です。

Setugan


桟橋から渡し場通りを北に行くとドラマのてっぱんのセットを
展示してある 『てっぱん坂のみちしるべ』に出ました。
ここ、以前は松下電○のお店じゃなかったか、と
思うのですが、、。電器屋さんが廃業した後の空き店舗
の活用、ということなのでしょう。

Teppan10


中はこんな感じですね。


Teppann11

そのままセットが再現されていて、、。
そういえば徳島にもちょっと前の朝の連ドラだった『ウエルかめ』のセットが
置いてありました。こういうの、流行みたいですね。


『てっぱん』のあと、『おひさま』があって、『カーネーション』があって
今は『梅ちゃん先生』ですね。そう指を折ってみると
月日のたつのは本当に早いなぁ、と思います。

実はあの『てっぱん』の中で、実は謙介、うわー変わったなぁ
とちょっと感心して注目していた人がいました。
え? 駅伝くんやろ?

ったく、どうして、そこへ行きますかねぇ、、。

謙介、その駅伝くんのコーチをしていた松田くんを
ちょっと驚きながら見ていたのです。

うわ、こんな役をするようになったんだ、と正直思いました。


最初に彼を見たのは、日曜朝の仮面ライダーの
シリーズだったと思うのですが、あの時は
単にそこそこお顔がよくてクールな役、というだけでした。
正直演技も何もなくて、ただそこにいるだけ、
という感じでありました。
(せりふも少なかったですが。)

それが10年近く経って、NHKの朝の連ドラに出ていて
最初はその仮面ライダーの彼とは分からなかったのですが、
オープニングに出てくる配役を見て、え? あの時のあの人なのか、
と正直びっくりしたのでした。

すっかり変わってしまって、、。
まぁ芝居ですから、その役がそういう「熱くてめげない人」
という設定の役だった、
と言ってしまえばそれっきりでしょうけれども、
それでも人間、年齢とともに出てくる顔のありようとか
全体の雰囲気は役を超えて出てくるもののように
思います。


ふーん、彼はこういう役者さんになったのか
こういう人になっていたのか、と思いました。
もちろん、いいほうへの変化だったのですが。

どういう考えの人なのか、ということを知りたくて
彼の本を読んだりもしました。

Matsuda


あのドラマで思い出すのは、そのことでした。

そこから商店街を駅のほうに戻ります。


Shotengai_2


尾道の商店街も、ご他聞にもれず
やはり歩いているのは、お年寄りが目立ちますし、
商店街の店も閉まっているところが多いです。
それでもまだ、観光地、ということもあるし、
地形とか人口の集積の関係でしょうかね。
ゆめタウ○のような敷地面積だけで
何万平方メートル、というような大規模な商業施設が
(イズ○とか岡田屋はありますけれども、小規模です。)
近隣の市まで行かないとないので、やはりこの商店街は
そこそこ一定の需要はあるのかなぁ、とも思いました。

商店街を歩いていると北に(JRの線路側)
抜ける道がありましたので、出てみました。


Houdoji1

すると宝土寺の山門が見えました。
あそこくらいまでは上がってみる時間もありそう、
と思ったので、ちょっと上がってみました。

今度は山門から下を眺めてみます。

Houdoji2


さっき渡っていた向島が見えます。
お寺から駅のほうに戻ろうとすると、
この辺の地図がありまして
見たら志賀直哉旧居、というのが
この近くと分かりました。


家々の間に細い路地のような道が
続いています。しかも道の上がり下がりが激しい。


Machi1_1


位置的にはすぐ近くに見える家に行くのに、まっすぐには行けず、
ぐるっと大回りをしないといけない、なんていうことがあります。
まるで謙介が一時期住んだ島のような道です。

以前、何度かこの街に来たときは、いつもほとんど山側ばかりを
歩いて回りました。千光寺公園とか志賀直哉の旧居も
そのとき行ったのです。 ですがまぁ折角来たし、、
ということで、時計を見たら後、40分くらいは
時間があったので、志賀直哉の旧居に行きました。

Naoya1


山の中腹の見晴らしのいいところにその家はありました。
内部はこういうふうです。
なるべく当時のまま、ということで保存されています。


Naoya2

小津監督が『東京物語』でこの尾道を使ったのは
先日も書きましたが、やはり小津監督の尊敬する
志賀直哉がここに住んだ、ということが大きいでしょう。

最近の言葉で言えば、志賀直哉をリスペクトして
オマージュを捧げた、とでも言うことなんでしょうね。
きっと。


この辺の家々も、空き家が目立ちました。
やはり見晴らしがよくても、家に帰るには急な狭い坂を
上らなくてはなりませんし、買い物だって
近くに店がありませんから、下に下りてさっきの商店街まで
行かないといけません。 

Machi2


たまに観光で来る分には
情緒があっていいね、で済みますが、
365日の「日々の生活」にはやはり覚悟が要るでしょう。

Saka

住んでいたお年寄りが亡くなると、そのまま荒れるに任せて
朽ち果てた家、というのを何軒も見ました。

しかし、それは実は小津さんの『東京物語』に包まれた
テーマとも重なるのです。

映画の最後のほうで東京見物から帰ってきた周吉の妻、
とみ(東山千栄子)がとうとう亡くなります。

お葬式に東京にいる長男夫婦(山村聡・三宅邦子)
長女(杉村春子)次男の嫁(原節子)が尾道に来ます。
お葬式が終わり、長男長女は仕事が多忙と言って
とっとと東京に戻りますが
最後までいた次男の嫁(原節子)も、やはり帰ることになります。
汽車が尾道駅を出たとき、地元の尾道で小学校の先生をしている
末っ子(香川京子)が自分の腕時計をみやります。

「おねえさん、出発する時間ね。」とでもいうふうに。
そうしてその後で、それに呼応するように
東京に帰る列車の車内で
義父からもらった義母の形見の時計を
次男の嫁の原節子が見ます。

それから、独りの周吉のカットがしばらく
続くのです。


当時(1953年)で言えば、
年ごろの娘は当たり前のように結婚したでしょう。
この末っ子もいつかは嫁に行くことになります。
となると家に残るのは、周吉だけ、です。

これから先、老人一人だけの時間がどれほど続いていくのか。
その長い時間を、周吉は何をどう考え、生きたのでしょうか。
そうしてその生活は誰がどう支えたのでしょうか。

あの映画を最後を観た時、
孤独な周吉の背後に
これから先の独り暮らしていかなければならない
父親の「長い長い時間」を暗喩しているような
そんな気がしてなりませんでした。


そして、この2012年の4月の尾道で、朽ち果てた家々を
前にして謙介は、小津監督の描いた『東京物語』の
現実としての結末をそこに見たような気がしたのです。

        ×      ×      ×

再び商店街に下りて、街の中を歩きました。
気になりそうな何軒かのお店に寄って
再び駅に戻ってきました。


Machi12

駅前のおみやげもの屋さんです。
おそらく戦前の建物でしょうね。

こういう建物が謙介は好きです。

(ただし、後ろに中国銀行尾道支店の石造りの建物も
見えていますが、あの銀行は、支店の建物も擬古調の
重々しい造りにするようにして建築する趣味があるので、
石造りで古そうに見えるのですが、案外新しい最近の
建物だったりします。)


時間は2時45分です。
駅前から新尾道駅行のバスに乗ります。
この尾道駅から新尾道駅までのバスの便数が
あんまり多くないのです。
2時台なんて1時間に2本しかありません。

乗り遅れたら、その次のきららにも間に合わなくて
乗り遅れることになってしまいます。
でもまぁこの尾道駅が始発なので、
早く来て、通過してしまっていた、ということもないだろう、
と思いました。(定刻に来ました。)
バスは尾道の狭い街中を北に向かって走り始めました。


Machi11
バスの中から撮ったのですが、車が対向できにくい箇所も多々あります。
本当に道幅が狭かったです。
そんな狭い道路をうねうねとバスは走っていきました。

2時50分尾道駅発、で、15分で新尾道駅に着くと。
ですから3時5分に新尾道駅だから、、
3時13分発のキララエキスプレスには
間に合うと思ったのです。
(事実間に合いました。福山からのバスもちょっと遅く
到着しましたし、、。)

Timetable5

でも、こっちの時刻表には
「キララエキスプレス」という表示は一か所も
ありませんでした。 どうしてなのか??
まぁいいや。来たバスに乗ります。


バスに乗ったら、運転手さんに「○○さんですね。」
といきなり名前を呼ばれてしまいました。
実はこのバス、予約制なのです。

しかも新尾道から乗る予定にしていた人間は
俺だけだったので、運転手さんは確認の意味をこめて
名前を呼んだ、というわけです。

バスのお客さんは行きより少なくて、3分の1くらいの乗客でした。

バスからはかんきつ類の畑が見えました。
ここなら潮風が100パーセント当たるから、
きっと品質の良いものが採れることでしょう。


Shima9


バスはしまなみ海道を渡って再び四国側に入りました。
これは菊間の太陽石○の石油精製プラントです。
夜はとてもきれいです。


Kikuma

海沿いの196号線を走っていたバスもようやく
謙介の降りる北条まで戻ってきました。
鹿島が見えると、もうすぐそこです。

Kashima

ということであわただしくはありましたが、おいしいものも食べられたし、
いろいろなものを見て、考えて、気分をかえることができました。


そうそう。仕事場の同僚への「おみや」悩みました。
広島っていうと川通り○とかもみぢまんじゅ○とかに
なってしまって、、。

で、洋菓子店のバッケンモーツアル○、に行って、
あれこれ見てみたんですが、、

「てっぱん」ってさー、もうなんの関連もなくても
それに寄りかかるようにして命名しますよね。

でもさすがに洋菓子店だから、きよちゃん関係で
命名したお菓子はなかったですね。
(でも、そのうち、なんか作りそうですね。
きよちゃんをイメージして作りました、とか、、。)


Bakken1


あけたらなんだ、もみぢまんじゅうじゃないか、って
思ってしまいました。

Bakkenn2

(これ、どう見たってもみぢまんじゅう、って思いません?)

でも、食べたらもみぢまんじゅう、じゃなくて、
抹茶味のバターケーキというか
フィナンシェをもみぢまんじゅう型に焼いた、
というようなものでした。


Bakkenn3


もみぢまんじゅうのようなあんこが入っていません。
謙介はあんこ好きなので、なんだこれは、あんこが入ってない。こんなの
許せない!! って思ったのですが、仕事場の女性はあんこ嫌いな
人が何人かいて、その人たちには好評でした。


ということで大団円です。


ながながと続きました「ほうかな方面」への出張の記録、
これでおしまいです。
最後までおつきあいくださいまして
どうもありがとうございました。

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