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12. 03. 05

人間なんて本当に、、

先日、うちの仕事場で出している論文集の編集委員会が
ありました。
テーマは、先日、謙介が規定ページの20ページを
超えてしまったので、上下に分けるとか、いうふうに分割して
いただくか、何kかしらの方法を考えていただきたい
とお願いしたら、ごねてつむじを曲げてしまったCさんの
原稿の取り扱いをどうするか、でした。

実はCさんの規定ページ破りは、今に始まったことでは
ありません。10年ほど前に一度掲載したときも
やはりページ数を超過したので、そのときの編集委員長が
Cさんに会って話をして、次号以降で掲載するときには
きちんと規定の枚数を守る、という話し合いの元で
そのとき、超過はしたけれども、掲載する、ということに
なっていました。
そういういきさつがあって、今回なので、掲載するに
あたって、編集担当としては、そのときのお約束で
枚数を守っていただきたいということがありました。

その先生は、編集担当者が、枚数のことまでいちいち
文句を言うのはけしからーーーーーんとお怒りだったのですが、
けしからん、と怒ったということは、きっとそのときの
お約束なんて、すっかり忘れてしまっていた、という
ことなのでしょう。(笑) まぁ人間自分に都合の
よくないことはさっさと忘れますし、、(笑)
いまさらあの時、そういう約束でしたね、と
言った言わない、って言っても、多分、そんな約束
した覚えはない、とさらに怒るのは目に見えています。

ただ、編集担当として言わせてもらえば、
編集担当者だからいちいち言うわけです。

だって、その先生の例外を認めてしまったら、
他の執筆者だって、Cさんが10枚も20枚も規定を
オーバーして書いているんだったら、自分だって
いいじゃないか、っていうことになります。
現に、以前のときも、Cさんが規定ページオーバー
でも通ったのであれば、私だっていいですよね、
って言ってくる執筆者がいて、事情説明に苦労した
いきさつがありました。

結局、1時間の審議の末、今回に限って掲載を
許可する。ただし、次回以降はなし、ということに
なりました。これが最後だからね、ということです。
2度と掲載はお断り、ということになりました。

毎年発行しているのですが、すんなりと
発行できた年、って本当に少なくて
必ず何かしらの問題が生じてきます。

大抵は、そんなのダメじゃないか、っていう
規定違反をへへへのへ、って無視しようとする人がいて
そこで、それはできない、いや、ちょっとくらいの無理は
目をつぶれ、ということで問題になるのです。

まぁねぇ、人間なんて、
得手勝手なものですからね、、。


震災以降、本当にあちこちで「絆」という言葉を
聞くようになりましたよね。
新聞とかウエブで、もうこの「絆」という文字を
見ない日はないなぁ、
とさえ思うのですが、、。

ただね、田舎に住んでいる人間から言わせて
もらうと、この絆という言葉を聞いたときに
どうしても違和感がありました。

というのが、田舎から都会に出た人の理由の
中で結構大きいのが、田舎に存在する濃い人間関係が嫌だ、って
言って都会に出た人も結構多いわけです。

前々から言っているように、
田舎にはプライバシーというものがあんまりというのか
ほとんどありません。個人情報保護法ってどこの国の話?
っていうようなもので、
名前を言っただけで、近所の人なら
あ、○○さんところの息子さんで、、どこそこの学校を出て
なんとかかんとかという会社に勤めていて、というふうな
個人情報が近所の人間の口から出ます。

地震前までうっとしいとか、嫌だ、と言っていた
濃密な人間関係の絆ですが、
地震後には、それをもう一度受け入れる、
というふうに変わった人も多い、と聞きます。

ですが、田舎の濃い人間関係に辟易とした人の
中にはやっぱりそういう濃密な人間関係の絆は嫌だ
という人もいて、でも、その一方で、やはり絆は
必要だ、と思う感情もあって、、という非常に屈折した
状態で現在にきている、という人も結構いる、と
いうことも心理学専攻の友達から聞きました。
絆という言葉でアンケートを取ってみると
絆は大切、と答えた人も多い反面、
押しつけがましさを感じる、という人も結構いた、
と聞きました。(どれくらいなのか、NH○の放送は
その割合は言ってなかったのですけどね。)

片方で絆は大切、と思いつつ、片方ではやはり
うっとうしい、と思っている、という、アンビバレンツな
感情です。 そういうふうな心理的葛藤の結果、
田舎にいる自分の家族とか知り合いと向き合うのは
どうしても嫌なのだけど、東北の被災地の人とは
心を開いて話をする、というのです。

人の気持ちって、何があって、そのためにどう
感情の振り子が振れるのか、というのも、考えてみれば
なかなか簡単に割り切れません。
自分の親族だから出来なくて、他人だからできる
ということもあるし、、、人間の感情の行方というのは
今回のCさんの論文のこともありますが
どこを「腑に落とす場所」にするのか、と思うと
(おかしな日本語ですが、、笑) なかなか一筋縄で
いかない難しさがありますですね。

かなの書家の杉岡先生がお亡くなりになりました。
杉岡先生の書を見ていると、
やはりお師匠さんだった日比野(五鳳)先生の
影響が非常に濃いなぁ、と 思います。
俺の先生の上嶋先生もやはり日比野先生門下
だったので、杉岡先生のかなはやはりすんなりと
心に入ってくる作品群です。

ただ、やはり日比野先生と違うのは
日比野先生の書は、空間、余白を大胆に
その作品の中に取り入れたのに対して、
杉岡先生は、かなの文字の連綿の美しさ
ということに取り組まれた、という違いが
あるのかなぁ、と作品を見ていて思います。

杉岡先生の筆の墨の潤渇を生かした作品
本当に美しいと思います。

ただ、万葉集の歌をひらがなで書いたのは
感心しませんけどね。(ぶつぶつ)

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