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12. 02. 13

自分をみつめる

朝日のアエラをずっと読んでいます。
その中に中田○寿氏のコラムがあるんですけど、、。
あの人、一体いつまでああいう状態を
続けるのでしょうか?

毎回の連載を見たら、
急に書道を習っている、と書いてあったり
紙漉きをやった、と書いてあったり、、
はたまた陶芸をしたとか。
機織をしてみたとか。

「した」ことについては、あ、そういうことをしたのね、
って分かるのですが、彼が一体どのような意図のもとに
一体何をどうしようとしているのか?
ということはさっぱり分かりません。
 
ずいぶん前にプロの蹴球選手を辞めて
自分を探す、と言って、
その後ずーっとああいう状態のような
気もします。

自分の中で、腑に落ちる、というのか
気持ちがぴたっと定まる、という「もの」が
ないまま現在に至る、ということなのでしょうか。

彼の場合、人生前半で、ぴたっと来ていた
ものがあったから、なおのこと、これからの
人生の中で「ぴたっ」と来るものを探そうと
必死になっているような気がします。

うーん。
でも、どうなんでしょう。
いや、そういうふうに自分の人生で
自分の今後の仕事についてぴたっとくるものが
あればいいんですが、 
俺の場合自分の周囲の人間の話を聞いたり
見たりしていると、最初は必ずしもぴたっとくる仕事じゃ
なかった、っていう人も結構多いです。

ぴた、っと来はしなかったけれど
その仕事の中で自分とその仕事との
うまく合致する接点を見つけて
そこを手はじめにすこしずつ自分のものに
していった、という人のほうが多いように思います。

というのか、今の世の中、本当に職探しが大変で
なかなか仕事が見つかりません。
むしろぴたっと来た仕事を続けている
という人のほうが非常に少なかったりします。
謙介も最初の仕事はしたい仕事ではあったのですが
非常な激務で(1日20時間労働、っていうのが
ずーっと続いたことがありました。)身体を壊して
しまったりして、ちょっとこれではいけないな、と
思ったわけです。

だけど何の展望もないのに
発作的に仕事を辞めたのでは
たちまち明日から困ります。

そこで自分のことについて考えました。
自分にできることをまず書き出しました。
それから、この仕事は絶対に自分は向かない、という仕事を
書き出して。
そうして、これだったら、何とかできそうな、という仕事を
書き出してみました。 何とかできそうな、というのは
能力的なこともありますが、自分の性格とか
気持ちが折れないで続けられそう、
ということもあります。

そうして世の中にはどんな仕事があるのか
いろいろ見てみました。

そうしておいて、じゃあ、自分の性格とか
能力とか、自分にできそうか、そうでないか、
いくつか自分が何とかなりそうな仕事をリストアップして、
その仕事についてイメージではなくて、その仕事をしている人は
実際はどんな感じなのか、観察してみました。
そうやってひとつひとつ検討してみました。


そこまでするのに1年くらいかかりました。
そうやって、自分の能力とか適性を見ていって
それと自分にできそうな仕事とか
その仕事の中で何をしたいか、何が出来るのかを
組み合わせてみて
じゃあ、、ということで出てきたのが今の仕事です。

でも、その仕事は資格が要ったので、当時の仕事と
平行してその仕事の資格を取りました。
自分には何が出来るのか、ということから考えはじめて
ひとつの回答が出てくるまで3年かかりました。
そうやって自分の仕事を見つけました。

自分を見つめて、自分を分析して、
社会とリンケージさせてみて、
ひとつひとつ組み合わせて、どうか考えてみる。


時々仕事のことで、相談を受けることがあります。
今の仕事、嫌なんだけど、、とか、辞めたいんだけど、、
というような。
その時に謙介は大したことは言えないのですが
自分の経験の話をします。

仕事って、本当に難しいです。
自分がやりたい、という仕事の場合
才能が係ってくるものもありますよね。
自分はこれをしたい、というものがあっても
その才能があるかどうか、っていうことも大きいでしょうし、、。


仕事は「自分探し」ということを言っていた人がいますが、
俺は自分探しじゃないと思います。 

俺は仕事は自分を見つめることだと思います。
自分は何がしたいのか
自分は何ができるのか
自分はどこまでだったら許容範囲オッケーなのか
自分の才能の限界とか、
短所も含めて自分を眺めてみるということ。
そうして見ておいて、他方、その仕事は社会的に
見てニーズのあるものか。
仮に今はまだニーズがなくても
将来的にはどうなのか、そういうふうに
自分の中で確認作業をしてみたのでしょうか。

自分の悪いところ、才能の限界、
自分にはこれはできない、というところも
直視しないといけませんから、それは
本当にしんどいことです。

でもそのしんどい作業をきっちりすると、
今度は自分を客観的に見ることができます。
自分の長所とともに短所が分かっていたら
それは強みになると思います。
その部分を何とかカバーするためには
どういう方法が取れるのか具体論だって
考えられるわけでしょ。

どこかの学校に行ってそういう部分を
補強するために系統立てて学ぶのがいいのか。
弱みを知っていて、その部分を省略して
強みの部分だけで押し切るか、
方法と対策を考えられるのではないですか。


でもそれをしないで仕事に就いたとしても
自分を徹底的に分析した上で就いた
仕事ではないですから、場合によれば
自分の適性と仕事の内容の間で
ミスマッチが生じてしまって、簡単に
あ、これはダメだ、っていうことに
なってしまうように思います。

簡単に、この仕事はダメだ、とか辞めたい、っていう人って
仕事に就く前にどれくらい自分自身をまず掘り下げて見つめて
いるのでしょう?
仕事の内容についても、単に人から聞いたイメージとか
ネット上に転がっている人のうわさではなくて
実際に自分の目でよーくその仕事を観察して
それから自分とよくつきあわせをして、って
時間をかけて見ているのでしょうか。

やっぱり自分の仕事ですから最低限、それくらいは必要なんじゃ
ないですかね。


で、自分の思う仕事がなかったら、まずその仕事に
近い職種の仕事を選んで、そこでノウハウを積んで
ある程度経験とか人間関係ができたら 独立して
そこから本当に自分のしたいことを自分でやりはじめる、
という方法だってあると思うし、、。

俺だって自分で自分の仕事はこの方向で行けばいいんだ、って
思えるようになったのって、20年くらいかかりましたもん。

そんな経験からなんですが
仕事について考えるときに
まず見つめないといけないのは、
自分自身の中身、のような気がするんです。

そのあたり、どの辺まで突き詰めているのかなぁ。
まずは自分の足元を見つめる、という作業が
まず必要じゃないのか、って俺は思います。

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Comments

中○氏と書くと、エロサイトの隠語のようで気恥ずかしいのですが……(苦笑)。
彼は奇をてらった生き方しかできないのか、自分の居場所を見失った“人生迷子”の状態なのか、なんだかそのような印象を受けました。

仕事って難しいですね。
人それぞれに捉え方があります。
僕は若い頃、技術職と非技術職で分けて考えていたことがありました。
でも、だんだんと説明できないことがたくさんでてきました。
技術職はいわゆる資格職の方が多いと思いますが、その資格も強い志を持って取得した方から、たまたま取り易いものがあったからという方まで幅広いことに気付いたのです。
なので、最近は職人と非職人に分けて考えています。

職人=生きがい=生そのもの
自分の心に迷いなくその職に人生を捧げ、誇りと自信をもって仕事に臨んでいる人。
伝統工芸の“職人”とかだけではなく、一途にひたむきに取り組んでいるのであれば、農業も漁業も工場長も会社員も誰でも“職人”になれると思います。

非職人とは職人でない人たちです。
多くの人がここにいるのではないでしょうか。
労働の対価として報酬をもらうというだけのプロセスにいる人たちです。
職人と比較して決して楽なわけではありません。
適正な報酬を得るには、最大限適切な労働を提供する必要があります。
職人のような目標・目的が薄い場合があるので、謙介さんが仰るような就労迷子になる方もいらっしゃいます。

何のために働くのかという基本方針が定まっていないのが原因だと思います。
「好きなことをしたい」のか、それとも「良い報酬を得たい」のか。
「好きなことをして良い報酬を得る」というのは、実は2つの課題を同時に実施するという難しい状況なのです。
そういう事実を理解しないままに仕事に臨もうとするから、「自身の実力・現状」と「現在の仕事」にギャップを生じるのだと思うのです。
自身の実力や能力を過信したり、また過小評価しすぎる人が多くなっているように感じるのも、謙介さんの仰る“ミスマッチ”の原因かなと感じます。

仕事には割り切りが必要だと思いますよ。
「好きなことをする」ために、報酬を多少犠牲にできるか。
「良い報酬を得る」ために、好きとは言えないまでも継続できる仕事を見つけるか。
やはり「好きなことをして良い報酬を得る」ために、普通の人以上に努力する覚悟をするか。
いつまでも子どもお遣いのような人生は歩めないので、それなりの覚悟と責任を持って「仕事」というものへの自身の考えを確立することが大切だと思っています。

おー、熱く語ってしまいました(>_<)。
長々とスミマセン。

Posted by: タウリ | 12. 02. 14 at 오전 10:20

---タウリさん
いつも本当にありがとうございます。
俺がね学校を卒業した頃も、実はものすごい不況で、公務員の昇給が3年間の時限付きでストップしていました。うちの職場もその公務員の給与にスライドしていたので、就職したわ、給料は3年間ずっと初任給のまんま、ということがありました。給料は安かったし勤務も20時間勤務だったりしたのですが、自分がこれで行こう、って思って入ったところだったから、何とかがんばったのだと思います。
 仕事のやり方の方法の問題で当時の上司からは睨まれていたようですが(3年経って転勤して、転勤した職場の上司からこそっと聞きました。)でも、転勤先の上司は厳しい人でしたが、(3年間その人の下で働いたのが自信になったくらい。)基本は叩き込んでくれました。
 あの頃だって、大学を卒業すると、大学の時に勉強したのとは違う学部に行くケースってよくありました。俺の周囲でも国文科を出て自動車のディーラーに入った、なんていうヤツもいましたし、、。でも今のように会社のほうも即戦力即戦力、って言わないで、折角入ったのだから社内で研修をして一人前にしてやろう、という人材育成っていうことをしっかりやってくれていたようです。だから結構そういう専門外のところに入っても社会の中で、会社の中で、何とか独り立ちする、というところまでいけていたんですが、最近はそういうゆとりは会社にはもうありませんよね。
 就職してからいろいろな人を見てきました。少しの間の腰掛でいいや、って言う人。自分は○○の才能があるはずなのに世間が認めてくれないから仕方なくこの仕事をして糊口をしのいでいるだけ、これは仮の仕事、って思っていた人、その仕事が好きで好きで、っていう人。自分はそういういろいろな人の仕事に関する考え方を見ながら、少しずつ自分なりの仕事に関する考え方を作ってきたような気がします。
 タウリさんのおっしゃるように、やはり仕事をしながらどこかの時期までには、自分なりの仕事観、「それなりの覚悟と責任を持って「仕事」というものへの自身の考えを確立することが大切」というふうになっていかないといけないんじゃないかなぁ、って俺もそう思います。

Posted by: 謙介 | 12. 02. 14 at 오후 12:07

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