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12. 02. 08

2月11日

もうじき2月11日です。
2月11日は祝日なんですが、
そもそもこの日が何の日かご存知?
と聞かれて、

あ、そういえば休みだったわ、という程度ですかね。
まぁその程度でいいんですが。
ちなみにこの日は建国記念の日、です。

日本書紀の神武天皇元年正月庚辰朔条に
「辛酉年春正月庚辰朔。天皇即帝位於橿原宮。
是歳為天皇元年。」 とありまして
「辛酉年」に神武天皇が橿原宮で即位して、この年を
神武天皇元年とした、とあるわけです。

この辛酉年が紀元前660年と換算されて、
今の暦で春正月庚辰朔が2月11日、ということなのです。

成人の日とか体育の日はそれぞれ1月の第二日曜
とか10月の第二日曜というふうに元の日にちから
移動してしまいましたが、建国記念の日は
2月の11日、と決まっているので、他の祝日のように
動かすことはできません。

ただ全然知られていないことですが
日本書紀の中で重要なのは神武天皇ではありません。
大体が神武天皇陵だって当然国家が
管理していたはずですが、後に「所在不明」という
ことにさえなっています。


歴代の天皇の即位宣命でも
神武天皇の意志は全く出てこなくて、「天智天皇の定めた法」という
ことは繰り返し述べられます。
あくまで日本書紀の中で重要なのは天智天皇なのです。

でもそれって当たりまえのことじゃないか、って謙介は思います。
だって日本書紀を作成したのは持統天皇ですもん。
持統天皇のおとっつあんは天智天皇です。

前にも何度も言いましたが、元の日本書記を作ったのは
持統さんのむこさんの天武天皇です。

歴史書というものは後世の人に自分がしたのはこういうことであった
どうだすごいだらう、と、今風に言ってしまえばドヤ顔したいがために
作るものです。天武天皇が作った日本書紀は当然のことながら
天武天皇の意思が濃厚に反映されていたはずです。

ところが、もうちょっとでできあがる、という時に天武天皇はなくなって
しまいます。後を引き継いだのが天武さんの奥さんだった持統天皇です。
持統さん、天武さんの作っていた原日本書紀を大幅に改訂します。
ええ。大幅にです。何せ80巻あったものを40巻に圧縮しましたから。
ばんばん原稿を切って削除したことでしょう。

そうして天武の作っていた日本書紀ではおそらく天武が
自分の行った政治については讃美するような記述が
あったのでしょうが、それを持統さんは軒並みカットしたと思われます。
そうして別の記事を入れた。

謙介の研究結果からですが、前にも言ったように
天武朝の2巻に限っては人の死亡記事が
異常に多いのです。
要するに天武朝は人死の多い乱れた世の中だった
ということを暗に知らそうとしたのでしょう。
ろくでもない時代であったぞ、と。

そうして、それと対比させるように、じぶんのおとっつあんである
天智天皇の治績については加筆し、天智朝をその中心においたのです。
天智朝はよかった。そして天智天皇の時代に行われたことが後の全ての
基準になるようにしたわけです。

だもんで以降歴代の天皇の即位の宣命に
「天智天皇の定めた法」という文言が出てくるのは
持統さんの狙い通りということです。

そういう日本書紀の編纂過程を見ていたならば
謙介が当然予想できること、と言ったのはそういうことです。

前にも言いましたが古代において天皇家というのはそう大した勢力では
ありませんでした。そもそもが自分の先祖を祀る神社さえ
他の豪族の反対にあって大和には作れませんでしたから。

奈良には作らせてもらえず、ようやっと伊勢の度会さんのところで
引き受けていただけることになって、かの地に創建されたのが
伊勢神宮です。

ちなみに神武天皇を特別視するようになったのは
そう古いことではありません。 大体がさっきも言ったように
神武天皇陵ですら、所在不明でずっときていたわけですから。
それが明治に入る頃に例えば王政復古の大号令の中でも
「諸事神武創業ノ始ニ原キ(モトヅキ)」とあるように神武天皇の存在に
重きを置くようになっていくわけです。そして神武天皇の
特別視の延長線上として明治23年に奈良の橿原に
橿原神宮を建てることになるわけです。


Kashihara4

歴史観というのは時代時代によって大きく変化を
しています。今の歴史観で明治時代を見てはいけませんし、
明治の歴史観で日本の古代を見るのもいけません。

俺が今の坂本龍馬ブームに辟易としていて、嫌っているのは
そういうことです。江戸末期の社会状況の中で
客観的な史料をもとにして、丹念に調べた結果の発言で
あればいいのですが
現代の概念で極端に美化・ドラマ化されたような
見方で坂本龍馬がこういう人であった、とか
あの時代がどうだったこうだった
と言っても、それは違うやろ、ということです。


まぁいいや。話を元に戻して、、っと。

そうして1941年が神武天皇元年から数えて
2600年ということで、その前年の1940年には大々的な
祝賀行事がありました。昭和14年から15年にかけてですね。

母校の歴史学の先生がこの2600年の
祝賀行事について研究をしているので
いろいろと教えていただきました。


2600年記念として
そもそもが中止にはなってしまいましたが
オリンピックも万博もこの行事に関連させて
開催するはずだったですし。

でもそんな中でその前年の1940年は国内的には
来年が皇紀2600年ということで
さまざま行事がありまして、その最後を飾る形で
1940年の12月に音楽会が開催されたそうです。

41秒あたりからその音楽会です。


この音楽会では、外国の作曲家による
(イギリス・ハンガリー・フランス・ドイツ・イタリア)
皇紀2600年祝賀の曲が演奏されました。

アナウンスでは友好4か国から贈られた、
とありますが、本当は贈られていなくて
依頼して、曲を書いてもらったのです。
だってちゃんと代金として1作曲家あたり7000円を
払ってあります。

ただしイギリスはベンジャミン・ブリトゥンさんだったのですが
曲名が「シンフォニア・ダ・レクイエム」だったので
演奏されず、後のハンガリーのベレッシュの「交響曲」
フランスのイベール作曲の「祝典序曲」
ドイツのリヒヤルト・シュトラウス作曲の「祝典音楽」
イタリアのピツェッティ作曲の「交響曲イ調」は演奏されました。
ブリトゥンさんがレクイエムを作ったのは、嫌味では
なくて、依頼したときに「神武天皇を偲ぶ曲」ということで
依頼されたので、彼が「偲ぶ」点に力点をおいて作ったのでそうなった、
ということらしいです。

リヒヤルト・シュトラウスの曲には
「深い畏敬の念を持って日本の天皇陛下に捧げる」
と献呈の辞がついています。

歌舞伎座での初演ですね。 帝国劇場とか
日比谷公会堂でなくて、歌舞伎座、というのが渋いですねぇ。)

もうじき2月11日だしぃ、ということで今日はこんな話を書いてみました。


丸亀ではうどんよりマラソンだって。

Marason

(もう済んだけど。)

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Comments

僕、神武天皇様がい日本の古い神道の良いところや悪いところの奥義とかもいろいろお隠しになったんだと持ってるたんだけど…。
オカルトチックになりそうなんでやめておきます…笑。なんだか、いろいろひもとくと面白いですね…。

Posted by: holly | 12. 02. 10 at 오전 12:09

---hollyさん
先日、お話したように、上代文学にもいろいろな考え方がありますし、、。学会の研究発表会なんか行ったら、もうねえ、お互い自説は譲りませんからねぇ、、すごいです。まぁそういう説はともかく、神社におまいりする、というのはやはり心がすがすがしくなって、気分も一新されていいなぁと思います。

Posted by: 謙介 | 12. 02. 10 at 오후 1:15

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