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12. 02. 21

どうなっただろう

Shionoe1

この写真、昭和のはじめに四国の山の中を走っていた鉄道です。
ガソリンカーと呼ばれて、山の中の温泉地へと
走っていました。線路幅は広軌でした。
でもね、太平洋戦争が激しくなって資源を戦争に集中しなくては
ならなくなった結果、この路線は不要不急の路線、とされて
廃止されてしまいました。


Shionoe2_2

この写真、満州国の首都の新京の写真なのですが
左端の車両、上のものと似ていません?

そうなんですよ。廃止後、四国の山の中から
車両は新京に送られました。
内燃車は、ヒューゲルをつけて電車に改造されて
新京の路面電車になりました。
調べてみたら新京の電車、車輌を作る、というところまで
出来なかったみたいで、日本の中古の路面電車の車輌を
かき集めたみたいです。
玉電とか、阪神電車とか、それからこんな元電車じゃなかったものまで
とりあえず電車改造して走らせた、と。

新京もとい長春の路面電車は今もありますが、この車両は
もう今は、、どうなんでしょう。
車体はだめになっても、台車は頑丈なので流用でもされて
どこかでまだ車輌として走っているのでしょうか。
それともとっくの昔に鉄くずに
なってしまった、のか。

北朝鮮では戦前の日本の車両が
今も現役で走っていて、ろくに保守もされずに
(走らざるを得ないのでしょう。)
ひどい状況で走っているようですが、
中国に渡ったこのガソリンカー、
今はどうなったことでしょう、、。


新幹線300系がこのほど引退する、という
ニュースが先日ありました。
300系といえば、この本を思い出しました。

Nozomi


この本が出版されたのが1994年でした。
この年は、新幹線開業30周年でもありました。

この本を読んだ後に新大阪から東京まで
のぞみに乗りました。
300系を作るにあたって、従来の車両から
高速化をするについて、どのようなコンセプトのもと
どういう工夫がなされたのか、
どういう苦労があったのか、その開発から運用までの
苦労、苦心のあとがこの本にありました。

乗客として乗ってしまえば
あ、2時間半で東京に着いたわ、速いなぁ、
で済んでしまうようなことですが、この時間短縮の
ためには、技術開発陣の本当に大変な苦労が
あった、ということですね。
たとえば空気抵抗をさらに少なくさせるために
天井を低くしなければならなかった。
そのために、照明の位置を今までとは
全然違うようにしないといけなかった、ということが
ありました。この本を読まなければ、照明が
変わったね、で済みますが、どうしても蛍光灯を
横に持っていかざるを得なかった、その結果として
ああいう照明になった、とあって、やはりこの本を
読んでおいてからの乗車は、なるほど、と思うところが
多々ありました。
当時ののぞみは全車指定席でした。

しかしあれからもう20年が経過したのですね。
本当に歳月の経過は早いものです。

昨日、仕事が終わって、がんセンターへ車を走らせたのですが
夕陽が山や家々に当たって本当に穏やかな風景でした。
まだまだ体感温度としては寒いのですが、
日差しはいつしかゆっくりと季節が動いているように
感じました。

春はいろいろと異動や卒業、進学、就職でそれまでの
人のおつきあいが変わる時期でもありますね。
この時期になると、漱石の随筆、「京に着ける夕」の
このくだりを思い出します。


  子規と来て、ぜんざいと京都を同じものと思ったのは
  もう十五六年の昔になる。夏の夜の月円きに乗じて、
  清水の堂を徘徊して、明かならぬ夜の色をゆかしき
  もののように、遠く眼を微茫の底に放って、幾点の
  紅灯に夢のごとく柔かなる空想を縦ままに酔わしめたるは、
  制服の釦の真鍮と知りつつも、黄金(こがね)と
  強いたる時代である。真鍮は真鍮と悟ったとき、われらは
  制服を捨てて赤裸のまま世の中へ飛び出した。子規は
  血を嘔いて新聞屋となる、余は尻を端折って西国へ
  出奔する。御互の世は御互に物騒になった。
  物騒の極子規はとうとう骨になった。その骨も今は腐れつつある。

自分も学校を出て、就職していろいろな経験がありました。
学校を出た時に抱いていた気持ち、それからの歳月。

この文章を読むと、京都での随筆であることもあって
読みながら、いつも自分の経験とこの文章を重ね合わせて
見てしまいます。


この漱石の文章を読んでいると、なぜか寺町のキムラを
思い出してしまいます。 前に触れた、中島おこうしょう大先生の
看板のある三嶋亭からずずーっと南に下がった西側にある
お店です。同じすき焼きですが、こっちは比較的お安く学生にも
何とか手が届くお値段ですき焼きが食べられたために、
何度か学科のコンパをここでやりました。


Kimura


もうすっかり色が変わってしまいましたが
この店の前で撮った写真、今も大切に持っています。
あれから本当に幾星霜、、。

こんな過ぎ越した季節のことをあれこれと思い出すのも
春という旅立ちの季節のせい、なのでしょうか。
 

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