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12. 02. 28

案外普遍的な問題だったりします。

さてもさても今放送中の朝の連続テレビ小○です。
あの中の三姉妹の洋服、俺、それぞれモデルになった
本人がデザインした洋服そのものかと思っていたら、
違うんだそうで、ドラマの衣装係さんがデザインした
服と聞きました。(時代考証担当経由)

もちろんモデルになった本人が
着ていた服、を参考にしたということはあったのでしょうが。
俺、てっきり本人が、この時はこんな服を着てたから
これを、って持ってきていたのかと思いましたです。
まぁそれはともかく。
次女はなんたって本職は女子プロレスラーの
おねいさんですから、眼力もあるし肝も据わった
感じですね。

ドラマ中の彼女がデパートの中にアトリエを作ったけれども
お客の意向を一切聞かずに、彼女の思うデザインの服を
つくり、着せようとして、手伝いに着ていた長女と大喧嘩に
なるシーンがありました。

あれって、結構芸術の世界ではよくある
普遍的な問題だったりしますよね。
どこまで自分を出すのか、どこから相手のことを
考慮に入れたらいいのか、ということです。

そのことについて姉と何度か話をしました。
たとえば、ピアノのコンクールに出る、と
そのときに姉に聞きましたら、やはり審査員の顔ぶれを
見て考える、ということでした。

たとえば、あ、この先生であれば、こうした演奏方法とか
こうしたタッチを好むだろう、このコンクールであれば
こういう弾き方はダメ、っていわれるだろうから
別の違う弾き方を考える。コンクールに出ようとするときには
審査員を見て、どういう演奏方法なら入賞するのか
考えるなんて当然やんか、ということでした。

あ、やっぱりそうか、と思いました。
書道の公募展でもそうですもん。
審査員の顔ぶれを見て、やはりこの展覧会だと
こういう書き方をしないと入選しないな、ということは
やはり考えます。

それから前に文学賞の新人賞をいただいた時も
その文学賞に応募するときは、やはり、その文学賞の
過去の作品傾向を見ました。
どういう傾向性の作品が割と入選しているのか
どういう文体の作品を出せばいいのか、
ということに始まって自分の中で、その文学賞との
距離をいろいろと分析していって、その方向性を
決めて、それでテーマとか文体を絞って書きました。

俺の場合は公募の書道展に出した経験があったので
そのことを話したのと、姉のピアノコンクールの話を
聞いたりしました。

「そういうコンクールで、自分のやりたいようにやる、
自己表現したいから、自分のやりたいようにやる、
って言う人がたまに居てるけどね、私から言うたら、
それは単なる世間知らずのアホやわ。
何の戦略もあらへんでどうするの? 」

話のきっかけはドラマを見てて
あまりに彼女が「自分の着たい服」ということにこだわってるなぁ
というあたりからスタートしたのだったと思います。

「そらコンクールで、たまたま
審査員の目指す方向と、出品者のセンスが一致して
賞をもらう、ということもありはするけど、、。 
そういう偶然の一致もないとは言わへん。けどな、
やっぱりそのコンクールに出すのやったら、
『どうしたかて押さえなあかん』という部分はあるやろ。
そこをしっかり押さえて、その次に自分の
表現で出したらええ部分、出さんとあかん部分、っていうのを
出さんと。 なんでもかんでも、自己表現や言うて、自分の
思うままにやってしまうの、って、単なる無鉄砲なだけやわ。
そんなんアホやし。」
「書道展もそうやしなぁ、、。審査員の顔ぶれ見るし。」
「そやろ。出てくる先生の顔ぶれやっぱり見るやろ。」
「そら見るよ。そやから、この展覧会だったら、こういうところ
気をつけ、あの展覧会やったらここに注意せんとあかん、
っていうの、俺、先輩から聞いたし、、。」

実際のファッションの世界でもそうじゃないですか? 
パリコレで、モデルさんが着ていた服が
あった、と。その服がそのまま売られる、ということも
あります。

でも、服を作ってもらう人は
ファッションショーで気に入ったデザイナーのところに行って
あの服のデザインで、とはいいます。でも体型的に無理
という場合だってあるし、着たときに、あ、全然似合わへん
ということだってありますから、デザイナーとよく相談して
そこで、その発注主に似合ったパターンに変える
ということをするのは、当然やっています。


たとえばあるデザイナーがとってもスリムでタイトな
シルエットの服をどこかのコレクションで発表した、と。
その服を、見た人が私、その服着たい、と言って
相談に来た、と。でもそのお客さんの身体は
ものすごく太くて、その服はちょっと似合わへん、、ということが
あった、と。でもその人は、「どうしても着たい着たい。」という。
そういうときであれば、やはりデザイナーは、
自分の追求するデザインの方向もあるけれども
相手の客のことだって考えないと、っていうことに
なるではないですか。

ドラマの中でも、そういうデザイナー側の
創作意識だけ考えて、顧客の側への配慮がない点に
ついて、「挫折の経験」というエピソードとして語られていました。

CMの音楽だってそうですよね。
CM全体のコンセプトがあって、
CMの対象年齢は、このくらいの人を対象に
しているから、と条件を種々出されます。
こういうCMなので、こういう曲にして欲しい
という方向性が決まっていて、その中で作る
ということになったりします。

もしくは、そのCMの方向性に合いそうな
既成の曲からセレクトして使う、ということも
あります。


新しいアルバムを出すときだってそう。
プロデューサー、制作サイドから
最初に、どういう方向で売っていくのか、っていう
戦略が立てられて、それに基づいて、じゃあ
どういう系統の曲を作るか、っていうのを決めて
それで、そういうコンセプトで曲を作っている。
すべてミュージシャンが自己主張できる
わけではありません、というのか、もっと言えば
ミュージシャンが自己主張できる範囲というのは
傍が思うよりずっと狭かったりします。

売るための戦略とか妥協と、
クリエイターとしてのやりたい自己主張と
拮抗しているところでどうやって自己主張をして、その人らしさ
を出すのか、その難しい線引きの上でみんな
クリエイターは悩んでいる、ということですよね。

そうした上で、曲を作る人は、
やっているではないですか。


やはりそこに相手があって、
その相手と、自分の表現の間でどう
折り合いをつけるのか、っていう作業が
そこにあります。
プロであったら、相手に合わせながらも
やはりその人の個性とか自己主張が出していく
でしょう。 そうしたものが出る作品を
作るはずですよね。


そういうことができて、はじめてプロなのだ、
と、このことについて、珍しく姉の話と
こちらの話の意見の一致をみたのでした。

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