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12. 01. 31

思い通りに体が動くかどうか

質問をまずはじめに。

字を書くとき、あなたは身体のどこまでを意識しています??

と聞かれたら、どう答えます?

指先ですか?
それとも手全体までですか?
腕も入れますか?

俺の場合は身体全部です。
指先とか手だけで書いているのではないのです。
字を書くときには、一番自分が字を書きやすいポジションまで
紙を持っていって身体の正面に紙を置いて字を書きます。

そうして身体中を使って字を書きます。
ですが、最近、自分で自分の書いた字を見て
ああ、下手になったなぁ、と思うことが多くなってきました。
20代の頃の字も自分の字は好きではなかったのですが
最近では自分で書いた字を見て、あああ、これではあかん、と
思うことが多くなってきました。

実は、本日のお話はここから、なんですが。
じゃあ、下手というのはどういうことなのか、
ということです。
謙介が下手になった、というのは
一方で自分は「これくらいの水準で書けるだろう。」
という程度を勘案した推測があります。しかし、
書いた文字が、見るとその水準に
達していない、ということです。
思うような字が書けていない、ということですね。


前々から言っていますが、書道で作品を作る人は
1枚の作品を仕上げるのに何百枚と書いて練習します。

でも、書道を知らない人は1枚か2枚書いて
作品を仕上げている、と思い込んでいる人がいるんです、
という話をしました。
先週、うちの仕事場に最近来た
体育学のトレーニング指導の先生に
そんな話をしたのです。そうしたら、
こんな話をしてくれました。

「人間の神経系っていうのは脳や脊髄の中枢神経か
ら末梢神経に伝達されて、そこから各筋肉に情報が届いて身体が
動くようになっています。そのシステムは練習を
繰り返すことによって多くの神経回路ができるんですよ。
だから神経回路を増やせば増やすほど
より伝達方法が増え、身体の自由が利くように
なるんです。」と。


で、その神経回路がものすごく増えた人
っていうのが要するにスポーツの得意な人
とか運動神経がいい、と言われる人に
なる、ということでした。

ちなみに運動神経がいいとか悪いとか
いうのは上に書いたようなことですから、
そんなものは全然遺伝には関係ない、と。

ただまぁ親が運動嫌いで、家とか育ってきた
環境で身体を動かす経験をしたことがあまりなければ
そういう反復訓練によって神経回路を増やす
こともないわけですから、必然的にどう身体を動かして
いいのかわからないでしょうし、ですから
運動が好きになってくれずに、他の人と一緒にやった
ときもどう動いていいのかわからず、ほかの人から
どんくさいの下手だのと言われ、
結果として運動が嫌いということに
なってしまうかもしれませんね
ということではありました。

ただ、その練習を繰り返して神経回路を増やす
ということを書道で考えてみますと
つまり1000枚も書いたら、脳がこういうふうに書け
と命じた命令を身体が上手に反応して
脳の思うように反応できる=書くことができるようになる
ということです。 

練習をすればするだけ上手になる
というのは脳の命令を身体が反応しやすくなって
その結果自分で思っているような字が書けるようになる
ということが科学的に証明された、ということです。

すばらしい。ぱちぱちぱち。


「そういう神経回路、おっさんでも回復したり定着しますか? 」
と聞いたら「そりゃ回復は簡単でしょう。練習したら
復活します。それに新しくやってもちゃんと付きます。」という話でした。

あきらめないでやりましょう!!!

しかし最近では単にスポーツの能力を高める、
と言っても実際の指導法は非常に複雑に
なっているそうです。
スポーツの能力というのは6つの方向から考えないと
いけないことがあるのだそうで。

たとえば、自分の置かれた状況を
すばやく客観的に把握する能力。
それからポジショニング。 手足を
そのプレイをするときに一番正しいと
思われる場所に、ちゃんと置くことができる能力。
それからスピードや出す力を瞬時にコントロール
して、適正な状態に持っていける能力。
そういうふうな6つの能力のうち、
自分として、どの能力が劣っているのか
優れているのか、を指導者が的確に見て
その選手に足りない部分を伸ばす、そういう
指導しないといけない、ということでした。


聞けば聞くほど書道と同じじゃないか、と
思ってしまったのですが、、、。

書道は単に字を上手に書く、ということでは
ありません。
筆にかかった力をどうやってコントロールするのか
どこに紙を置いたら、自分にとって書きやすい字が
書けるか。作品全体の中で、この字はどういう大きさで
書けばいいのか。そうしたさまざまな修練の結果が
作品としての「字」なのです。

うちのブログ、「隷書の書き方」で
検索してくる人が非常に多いのですが
こんなネットで隷書の書き方を見たって
全然ダメ、っていうのはそういうことです。

実際に書いている人の書き方を目の前で見て
筆がどう動いているのか、どういう息遣いを
しているのか、よくよく見て、そうして
自分で同じようにやってみる。

息遣いの練習も字を書くには必要です。
呼吸が乱れていたら、線がぐらぐらと
途中で歪んでしまいますから。
長い線を引くとき、特に縦の線は
息は吐きながら書くこと。
そうするとまっすぐで彫の深いきれいな線が
書けます。

お手本だけ見て作品を書く、
ネットで書かれた作品だけ見て、隷書の書き方が
分かるのであれば、イチローの打法を
DVDで1回見て、自分も同じように打てる
ようになる、ということです。

聞けば聞くほど
なーんだスポーツ
と基本的な考え方なんて全く同じじゃないか、
って思いました。

さっき正面で必ず字は書くように、
といいましたけれども、おっさんになると
なんでも必ず自分の一番見やすい、
確かめやすいポジションで動作を
しなければなりません。
する必要ができてきます。

どうしてか、と、言えば、きちんと見も
しないで、若いときのようにやると
失敗することがあるからです。
たとえば何も考えずに、足を上げて、
障害物をまたぐとします。

20代のころは足がすっと大きく上がるから
ろくに見もしなくても、またいでも何もひっかからなかったのです。
それがおっさんになりますと足の上がり方がやや低くなりますから
見ないで適当に足をあげてまたいだりすると、足が障害物に
引っかかって、痛い! という目にあうか、ひどい場合は
当たった拍子におっとっと、と
自分がバランスを崩して転んでしまう、ということさえ起きます。

だから、何かをするときに見もしないで
いい加減にしてはいけないのです。
必ず正面でちゃんと自分の目の届くところで行う、もしくは
目を行き届かせる、きちんと見て行う
ということが非常に大切になってきます。

そんなもの、茶道の心得の一番最初に
書いてありますけどね。
お道具は自分の目の正面にもってきてちゃんと見て
扱え、なんて。でも、それこそがおっさんになってくると
とても大切なことになってきます。


まぁ基本的に身体を動かす
ということをどう意識するか、
という点では同じなので
そういう非常に似た部分が
あって当然か、と思いました。

話を聞き終えて思ったのは
下手になった、ということは
やっぱりもっともっと練習が
必要だ、という、ごく当たり前の
結論だったのでした。

ちゃんちゃん。


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