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11. 12. 01

おべんきょうじゅんかん(2)

ということで、阿波の徳島から帰った翌々日に今度は
伊丹十三賞の記念講演会に行ってきました。
講演者はそこにあるようにうちだせんせい。


Jyuzo

ここの表示にあるように、伊丹十三賞は、今度で3回目。
1回目の受賞者は糸井重○さんで2回目がタモリさんで
今回3回目がうちだたつる先生、ということでした。

糸井さんは受賞記念の講演はせずに対談をしておしまい、
タモリさんは何もせず。
で、3回目にしてようやっと受賞記念講演が開催
されることになったようです。
今回のこの講演会も新聞にお知らせが出ていて
希望を出して、参加者多数の場合は抽選で
ということになっていました。


謙介は講演会場の開場が6時15分だったので
6時過ぎに行ったのですが、その段階ですでに
100人くらいの人が並んでいました。
俺は一人だったので、さっと入ってささっと
空いている席を見つけて座ることが
できました。大体演者の目の高さの正面の
なかなかいい場所に座ることができました。


何でこっちで伊丹十三賞なのか、って言えば
伊丹さんの出身がこちら、ということもあるし、
お葬式以来、ずっと一貫して伊丹映画の製作を
ずーっとやってたのがこちらのお菓子屋でもあるから、
という理由。
で、前にお話したように謙介のアパートからそう遠くない場所に
(車だと10分かからない)伊丹さんの記念館があって、
そこの館長が伊丹さんの奥さんの宮本信○さん。
というわけで、この日の司会も館長の宮本さんが
出てきて司会をした、ということになったのでした。

講演に先立って、普通なら講演者の紹介、ってあるじゃ
ないですか。でもさー、うちだせんせいだし、
そんなのみんなうちだせんせい、知ってて聞きにきている
人ばっかだから、紹介、っていうのが全然なかったんですよ。

「今日飛行機で○時に着いて、お昼は海鮮北○で食べて、、。」
という今日の話を館長と講演者が掛け合いで漫才みたいに
やったの。
なかなかおもしろい入り方だなぁ、って思った。
まぁ、館長が役者さんだったからできることだろうけど、、

伊丹さんの本と最初に出会ったのは高校の時かなぁ
それ以来あちこち移動はあったけれども、
ずっとその時の文庫本を持ち歩いています。
だから奥付見たら初版とか初版第2刷とかだもん。


で、講演の中身でございます。
以下、謙介の雑駁な頭でちょっとまとめてみました。

Itami22

伊丹さんが亡くなってからもう結構な年月が
経とうとしているのに、伊丹さんの業績を
まとめて「伊丹さんとは~いう人間であった。」という
総論的なものがいまだに出てきていないのは、
一体これはどうしたことか、という問いからうちだ
せんせいは話をはじめました。

一つは、義理の兄弟の大江健三○の存在が
大きいであろう、と。義理の兄弟以前に
伊丹さんと大江さんは高校の時からの
遊び仲間だったわけで、大江さんから見れば
伊丹さんを一番知っているのは自分だ、
という自負があって、そうした大江さんの
有形無形の圧力が文筆界全体にかかっていて
いまだに大江さん以外の他人が伊丹さんの
全業績をまとめるのをさせないようにしている、
ためらわせている、という部分があるだろう、、。
とお話でした。 ただ、それとともに、もうひとつ
日本の社会のなかで伊丹さんの業績を
どうもきちんと評価できないようなことに
なっている部分もありはしない、か、という問題提起が
ありました。


その提起の手始めとして、「伊丹さんと同時代の他の人って
誰か分かりますか? 」と質問されたのですが、
「江藤淳」という答えが出てきて、正直、謙介びっくりしました。
江藤淳、ってじいさんのイメージが強かったし、
伊丹さんは永遠の青年、というイメージでしたから。
二人は半年くらいしか生まれた日が違っていない、と。
この二人に共通することがあるのだ、とうちだせんせいは
いいました。それは多感な時期に日本が敗戦を迎えた
ことだった、と主張されました。つまり昨日までは神国大日本帝国だったのが
今日からは民主主義国家日本国になってしまった、と。

世の中は180度変わりはしましたが、
とにもかくにも人間は生きていかねばなりません。

自分の中でその大きな思想的な断絶を
どう縫合して、統合して行こうとするのか
それがこの世代の精神的な大問題で
あっただろう、と。

ヨーロッパ退屈日記の中に
伊丹さんが「北京の55日」という映画のオーディションに
参加してその役を見事射止める話は出てくるけれども
伊丹さんがそのエッセイに一切書いていないことが
あった、と指摘されました。

Itami21

それは伊丹さんが演じた役のことです。
ここで、伊丹さんが演じたのは
旧会津藩士でのちに中国に渡って義和団事件の中で
北京の防衛を果たした柴五郎という陸軍軍人の
役だったのです。この柴五郎が義和団の乱のときに
非常な活躍をし、その活躍により、当時のイギリス公使は
柴を深く信頼し、その柴に対する信頼がイギリスにとって
日本が信頼に足る国であると判断した結果、日英同盟が
締結されることになった、その軍人の役だったのです。
柴はそれほどの活躍をしたのですが、元の出身は
明治新政府にとっては仇敵の会津の人です。
しかも、幕藩体制崩壊のさなかに柴の家族は
ほとんどその内乱で死亡しています。彼だけが
生き残ったそうです。

つまりは、明治維新になって、江戸の幕藩体制から
明治新政府に日本の体制が変化をしたときに
仇敵の会津から伸していった一人の人物の役だった
ということです。伊丹さんはどうしてもその役に
こだわったのだ、と思う。
おそらくは、その柴の人の上に神国日本から
民主国家日本に変わった時にそこに生きて
いなければならなかった自分を重ねていたのではないか、
とうちだせんせいは指摘されました。

江藤淳にしても、ある時期、江藤さんはサバディカル
(謙介註:大学の教員が一定年限勤めたり、役付きの仕事を
数年やった後で、半年とか1年とかもらえる休暇)
を使ってアメリカに行き、占領軍の日本政策を集中的に
見た時期があった、と。どう日本の統治を進めていったのか
どう占領政策は行われようとしたのか、
江藤さんの専門は文芸評論です。
そんな占領政策なんて全くの専門外ではあったけど
江藤さんはどうしてもそれを見ようとした。
見なくてはならなかった。
なぜかといえば、「自分の中の中で外的な要因のせいで
ずたずたになってしまった自分の生きる哲学の
思想的な縫合をおこないたかった
からではないか」とおっしゃいました。

そういうふうに考えて伊丹さんのエッセイを読むと
伊丹さんがエッセイの中で何度も何度も批判している
表現があることに気づく。「ミドルクラスの思考なんて。」
という批判の言葉だ、と。

これは謙介よくわかりました。
つまり伊丹さんは「志を高く、自分の信念と責任を持って
仕事をせよ。」と言っているのだと、解しています。


志を高く、という気構えを持ったときに、この「ミドルクラスの思考」というのは
伊丹さんにとってみれば、志は低いわ、意識の次元は低いわ、で
あんなもの、排斥しなければこの国はダメになる、と思ったのでしょう、と。

伊丹さんのエッセイで語られているのは、自分が
こうした、ということともに、読者への呼びかけが実に多い、
とうちだせんせいはおっしゃいました。

伊丹さんの一連のエッセイは
エルメスとかジャギュアの車とか、ルイ・ヴィトンとかの
紹介が確かに出ていて、表面だけ読めば
ヨーロッパ文化を体現した品物の紹介、という程度の
ものではないか、と思われるのだけど、決してそうでは
ない、その品物の背景にあるヨーロッパの文化をもとにした
商品哲学があって、その哲学に対する尊敬が伊丹さんに
あったのだ、と。単にブランド信奉、ということではなくて
その背後の文化というものの見識とか哲学を
伊丹さんは読者に伝えたかったのだろう、という読みをした、
とおっしゃっていました。

ところが今の日本を見たときに、
そういう伊丹さんが一番嫌っていた志の低い
まぁこのへんでいいか、と妥協するようなミドルクラスの
考えがどうもこの国を覆ってしまっているのではないか。
伊丹さんの願った「志を高く、安きに流れず孤高を守って
自分のポリシーを貫く」という考え方が、今の日本では
ちゃんと受入れることが無理なほど劣化した世の中に
なってしまったのではないか、だから、伊丹さんの
批評とか考えの本質が理解されず、従って
伊丹十三とは何者であったのか、というまとまった考察も
されずにここまで来てしまったのではないか、
というのがうちだせんせいのお話であったように
思います。

この国のいろいろな点での劣化は確かに思います。
こないだも品性のかけらもないような発言をした
官僚がいましたし、、、。

俺の禅のお師匠さまだった大森曹玄老師が
「教育はあっても、品性のない人間が多い。
お前は品性のない人間にはなるな。」と
注意をしてくださいましたが、、
うちだせんせいの話をお聞きしながら、
そんなことを一緒に思い出していました。


講演の最後に
うちだせんせいはこの国には、それでもまだ
孤高を守って、崩れていこうとする社会の中で
必死に高い志を持って、自分の仕事の職責を果たして
いらっしゃる方々がいて、その方々が必死に
働いてこの国を守っていてくださるから、まだ何とか
この国もなっているのだ、伊丹さんはそうした
人のひとりであったのだ、と私は今回改めて
伊丹さんの著書の『ヨーロッパ退屈日記』
を読み直してみて、そう思った、と締めくくられました。

Itami23

お勉強旬間の最後にとてもいい講演を聴けたこと
運に感謝したい、と思いました。

         ×      ×       ×


お勉強の後はおなかがすいたので
帰り、京都風のギトギトのこってり
ラーメンを食べたくなり、天一に行きました。

Tenichi


チャーシュー麺 普通 ネギ大盛りにしてもらいました。

京都の料理って、薄味で上品、って思っている
人がいますが、そんなのフランス人が毎日の食事で
フルコースを食べている、と思っているのと
同じような錯覚です。

うーん。確かに関東と違って薄口しょうゆで汁の色は
薄いことは確かです。でも、京都の一般的な家庭で
好む味とか家庭料理って、ギトギトでこってり、が
多かったりします。
大体、餃子の王○が京都発祥なんですから。(笑)
普通の京都人が本当は
ギトギト大好き、ってわかってもらえるのでは、、。

京都へ行って、上品・薄味のものを食べた、
っていうのは、そら、あんさん、観光客や言うて
だまされはったんやわ、(笑)と思います。
あれはタテマエ、というのか観光客用の
看板ですねん。

なんたって謙介、当時は北白川にしかなかった
天下一品の本店に毎週通える、という理由だけで
後先考えずに当時の芸短で留学生に日本語を
教えるアルバイトを引き受けたくらいですからねー。
もう天一、大好きです。

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Comments

謙介さん、大変貴重で面白い講演の記録ありがとうございます。

伊丹十三は幼少期は京都で、少年期を松山で過ごしたのでしょうか。松山の精神風土の影響がどの程度あるのか、あそこから出た人は、司馬遼の坂雲ではありませんが、精神的に高邁で、特異な、そして孤高的な人が多いような気がしています。

大江の影というのも、確かにありますよね。あと、日本ではマルチタレントは一般に評価されないと聞きますが、まさにそういう点もあるのではないかと思います。北野武の低評価も同じでしょうか。

それにしても、賞というのは、誰にあげるかで性格が規定されるにもかかわらず、何でタモリと糸井なんでしょう?さっぱりわかりません。誰が選んでいるんですか?お菓子屋さんの宣伝にもならないでしょうが。少々気になりました。

Posted by: まさぞう | 11. 12. 03 at 오후 8:06

---まさぞうさん
確か父親の伊丹万作が病気になって地元に戻って療養することになって、一緒にこちらに来ることになったようです。伊丹と大江についてはやはりもうちょっと書かないといけないとは思うのですが、。実は大江健三郎の実家の内子町大瀬からは松山の学校には行けないのです。校区制の縛りがあって。彼の行く学校とすれば大洲高校あたりだったのですが、彼は籍を松山の親戚に移してしかし実家から松山東高校に通いました。それは勉強のため、というのではなくて、この辺の高校がどうも古い道徳的なことをがみがみ言うから、だった、と聞いています。(いかにも大江らしいでしょ。)最初、大江も伊丹も松山東高で出会うのです。京都からの不満を抱えたやつと内子からの不満を抱えたやつが出会い、二人はすぐに打ち解けます。が、ほどなくして、伊丹は松山南高に移ります。戦争直後のドサクサの時期だったので、そういう転校も簡単にできたのかもしれません。東高と南高はそう離れていません。自転車でも10分少々の距離です。ですから転校したから、と言っても2人はずーっと友だちだったわけで、しかも伊丹の妹が大江夫人になりましたし、、それがずーっと今に続いている、というわけです。
実はこの時、うちだせんせいもお話だったのですが、今のもの書きの世界で大江を怒らせたら、大変なんだそうです。(どのくらい大変なのかは語ってくださいませんでしかが)そういう実際的な影響があるのだそうです。
 松山の人は割とのんびりした人が多いんです。坂雲の登場人物たちは松山の人間の特徴からみればむしろ少数派かもしれません。少数派だったために目だって有名になった、という気がします。ただ、共通のベースがあるとすれば、ものすごく教育に力を入れていた、というところはあるかもしれません。借金をしてでも子供に十分な教育はつけさせたい、こういうところが開花した、というところはあるかもしれません。北野さんの場合、地域的なものがあるのかしれません。実はうちの周辺の演劇の人間に聞いても「何で北野がいいのか分からない。」って正直に言う人が多いんです。ひょっとしたら東では受けるけれども西では受けにくい、という地域差があるのかもしれません。
 賞の受賞者の選定、なんだかよく分かりませんよね。その年の辺で有名だった人をはい、って安易に選んできちゃったんじゃないの、っていう気はします。何せこの一六タル○の社長の前職、「でんつう」でしたから。

Posted by: 謙介 | 11. 12. 04 at 오후 5:11

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