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11. 12. 21

港務所見学会(1)

港務所、というのは多分聞きなれないお役所名なのでは
ないでしょうか。 でも漢字っていいですね。見ただけで
大体意味が想像できます。 つまりは港の諸事務を
統括する役所のことです。
この港務所なのですが、戦前に建てられた港務所の
建物は、いまや全国で2つしか残っていません。
しかもその2つとも香川県にあります。

しかしそのうちの1つが老朽化が激しく、
かつ保存も難しい状態であるとの判断に至り、
今月の末から解体工事に入る、と聞きました。
その前にこの壊す建物の思い出を語る会と見学会が
開催されると聞いたので、その見学会に参加してきました。


そのときのことをしばらく書いてみようと思います。
港務所の建物は、当たり前ですが
港の事務の役所なので海辺にあります。 2001年までこの建物は
使われていたのですが、新庁舎ができたのでそちらに
移り、使われなくなったのです。

これがその建物です。
この建物、ちょっとアンバランスな形だと思いません?
最初、できたときは左右対称の形だったのですが、
後から3階部分を増築したのだそうで、そのために
なんだかおさまりの悪い形になってしまったように思います。

Koumusho1


以前はこの1階が県営桟橋で
内海航路の切符売り場、桟橋入り口がここにありました。
関西汽船で阪神方面に行くときは船で行く人が
多かったのです。 連絡船だと、宇野で乗り換えて
岡山で乗り換えて、と非常に乗換えがたくさんありました。
でも夜行の船ですと、晩の10時過ぎにこちらを発つと
神戸中突堤が早朝の6時前くらいで大阪弁天埠頭が7時台くらいに
到着していたかと思います。ちょうど今の夜行バスのような
感覚で利用が多かったのです。
しかし、橋ができて、JRの所要時間が大阪までは
2時間かからなくなってきましたし、大阪までのバスが20分から
30分おきに出るようになって、かつての阪神航路は姿を
消してしまいました。

かつては四国の主要な港と阪神間には
航路が何本もあったのですが、
いまやフェリーの数本の航路を除いて1本もなくなって
しまいました。

あのころ内海を走っていた客船、たとえばこれは
関西汽船のくれない丸ですが、

Kurenaimaru_1

お化粧直しをして東京湾クルーズなんかで走っています。
下のが昔のくれない丸が変わって今は横浜港にいる
ロイヤルウイングです。

たまに神戸とか東京に行くと、昔瀬戸内海航路で走っていた
船が中古で引き取られたのを見ることがあって、懐かしく
思います。鉄道とは逆ですね。鉄道は都会を走っていた電車が
田舎の私鉄に来る、というのがほとんどですが、船に関して
言えば、田舎を走っていた船が今、大阪とか東京とか横浜に
結構いて、あ、こんなところに来ていたのか、と懐かしく思うことが
多々あります。

Yokohama1_2


この港務所の建物が出来たのは、1927年(昭和2年)だそうです。
設計は当時の内務省、と記録にあります。
建設期間は5ヶ月だったそうです。

というのが、この建物の落成式での
当時の県知事の祝辞が残っていて
その中に、「五ヶ月を閲し完成したる」という言葉が
出てきているからです。

見学会の前に、港湾庁舎の会議室で
桟橋の建物の歴史的経緯の説明会とシンポジウムが
あって、まずそちらに行きます。
バスでJRの駅前に到着です。
駅前のホテル、来年から名称が変わるそうで


Jrryokan

この表示を見るのもあと3か月ちょっとです。


さてシンポジウムの会場の会議室に着きました。
北に面した窓の外は瀬戸内海が一望です。
(蛍光灯が映りこんでいますが、ケンチャナヨ。気にしない気にしない。)

Sanbashi1
この建物について説明を聞きながら、竣工当初からの写真を
順次見せていただきました。
中には、ちょうど謙介が離島に住んでいて、毎週この桟橋を使っていた
頃の写真もあって、そうそうこんな感じだった、と、長いこと思い出しも
しなかった記憶が蘇ったりしました。

その後、当時の港務所で勤務していた人、近所の土産物屋を
経営していたおばちゃん、船会社の人、そうした人たちが
この建物にまつわるお話をしてくださいました。
何せ建てられて、もう80年以上になる建物ですから
時代を映すいろいろな話があって、しかもそんな話は
今日、はじめて聞いた話ばかりだったので、
とても興味深く、おもしろくあっという間に時間が
経過してしまったのでした。
さて名残惜しいシンポジウムも終わり、いよいよ見学会です。
港湾庁舎の建物からコリドー(回廊)で桟橋へ移動します。

正面の山がやんやん屋島です。
来年の大河ドラマではここも出てくるはずなので
この屋島にも観光客が来るのではないか、と思います。

Sanbashi2

さて港務所に到着しました。
この建物、全体に右に傾いています。
中を見たら、床のいたるところに亀裂が走っています。
正直な話、保存修復をして直せないことはない、のだそうです。
直すことはできるのですが、費用が3億かかるのだそうで。
その3億かけて保存工事を行うのに値する建物なのか、と言われたら
建築史的にもこういう建物はほかにも多数あって、
保存する価値はあまりない、と。
しかも3億かかると、ということで種々勘案した結果
やはり壊してもいいのではないか、という結論に達した、
と案内の建築学会の方が教えてくれました。

Koumusho2

見学に当たっては長年使っていなかった建物ですから
危険が伴う、ということで全員ヘルメットを着用です。
謙介もかぶりました。
と言ってもうちのオヤジが道路建設の専門の人間だったので
小さいころからヘルメットなんて家にごろごろありましたから、
謙介はかぶり慣れています。 あ、久しぶり、という感じです。(笑)

Koumusho3

さて。今の建築と昔の建築の特徴的な大きな違いをご存知でしょうか。
そう思って、ここにその例の写真を持ってきました。
これは愛媛県庁舎です。竣工は1929年(昭和4年)です。


Kenncho

それからこれは大宰府にある九州国立博物館。
Kyukokuhaku

決定的に違うのが建物の構造です。
つまり戦前の建物は柱で建物を支えていました。
建築物は柱がまず在って、その間に細い縦長の窓が作られました。
建築物の場合柱が主の構造で、窓は従でしたから
小さくならざるを得なかったのです。

しかも建物の強度をある程度確保するためには
左右対称の建物でなくてはならなかったのです。
国会議事堂もそういう建築ですよね。

しかし、現代建築の九州国立博物館は、、
外はぜーんぶ窓。(笑)
こういう建物の建築方法がまるで変ってしまったのです。

それで、この港務所の建物は、というと
窓はそこそこ大きいのです。
しかし、まだ柱で支えようとしている建築物です。
なので、ちょうど古典的な建築方法から
現代的な建築に移行する、過渡期の様式で
あったのだ、という解説がありました。

さて、ここが以前の入り口です。

Koumusho4

今では使われていないので、前をガードレールが
ふさぐように設置されています。

謙介、この入り口を見てちょっと複雑な気持ちに
なりました。
離島に住んでいた時、たまに実家を往復するのは
この入り口を使ったからです。
島からの船が着いて、ここから実家に帰り、
実家でいろいろな荷物を抱えて、仕事のこと
嫌な上司のことを思ってまた島に渡るのが嫌で
本当にしんどい気分を抱えてこの入り口を何度も
通りました。ずいぶんと差別待遇があって、
理不尽なこともたくさん言われて、、
とうとう最後には身体を壊してしまいました。
嫌なことばかりの離島生活でした。
まぁ今では少し、そんな記憶とも向き合えるようには
なってきましたが、、。
というふうにこの入り口を見ているうちに
あのころのことを思い出してしまったのでした。

長くなりました、今日はここまでにします。

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