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11. 12. 26

港務所見学会(2)

2011

早速中に入ってみました。この建物、去年の瀬戸内国際芸術祭で
ここもオブジェとして使われたため
1階の内部はすべて白く塗られていました。

1階の要所要所に、
以前この建物がかつて現役で使われていた時の
写真が置かれていました。俺もその写真を見ているうちに
ああ、そうだったそうだった、と思い出すことができました。
下の写真が同じ場所の1994年の写真です。

1994

写真を見ながら歩いているうちに思い出しました。
時間は経ってしまいましたが何せ3年間
通っていた場所だったですからね。(笑)

↓ここ、今は壁で埋められたようになっていますが、
以前はカウンター式になっていて、ここにうどん売店がありました。 
そのうどんがまぁ、まずく 
よほどおなかが減ったときで
ないと、、食べようという気が起こらないというものでした。
3年間で食べたのは2回くらいだったかなぁ、、。


Udon

ここは各船会社の切符売り場だったところです。
本当にかつては何社もの切符売り場があったのですが、、、。


Kippuriba2

俺が通勤に乗っていた船の時刻・運賃表もありました。
やはり運賃はだいぶん上がっていましたが
ダイヤは同じでした。
Shiyujima


壁面から天井から全部真っ白に塗られていたので
思い出すまでにすごく時間がかかりましたが
次第に記憶がクリアになってきましたし、
はっきりと切符売り場の位置を思い出したので、
後は、あ、そういえばここに桟橋に入る入場券を売る
自動券売機があったなぁ、とか、この辺に椅子が置いて
あったよなぁ、とか、関連して記憶が蘇ってきました。

1階は毎週この場所を通っていたので
おなじみの場所だったのですが、2階に上がるのは
これがはじめて(で、最後)でした。だから
全然どうなっているのか、は知りませんでした。


階段で2階に行きます。

Kaidan3


2階は1階の3分の2くらいの幅しかありません。
というのが、後の3分の1はデッキになっていて、
ここで一般客がわかれて行く人を見送った場所
だったからです。
(今回は危険、ということで、デッキに出ることは
できませんでした。) 2階は大きく4つの部屋に
わかれていました。東から順に事務室。
真ん中に貴賓室。その西が所長室、そうしてもうひとつ
西側の事務室があります。

貴賓室なんか、と思われるかもしれませんが
実際、1953年の国体の時、昭和天皇・皇后は
この建物から四国に上陸しておいでですからね。

これが東側の事務室に入る入り口です。

Jimushitsu


ペンキで塗られてしまっていますが
かつてはこの板に室名の表示が書かれていたのだろう
ということです。

Shitsumeiban

東側の事務室です。
Higashijimushitu

これがちょっと写りが悪いですが
貴賓室です。
Kihinsitsu1


Kihinshitu3

腰板もこんなふうに細かい細工がされて
いました。

所長室は本当に狭い部屋でした。

これが西側の事務室です。

Nishijimusitu7

柱が、端は角柱なのに 部屋の間の柱は
円柱です。

Nishijimusitsu2


梁にも細かい細工がありました。


見るもの見るもの、すべてこれが
最初で最後なので、ついしみじみと
眺めていきます。

長かった見学会もそろそろ終了時刻に、、。
それでは、ということで案内の県職員の
方に促されて、1階に降りました。

もう一度最後に、と思って、1階の端から端まで
歩いてみました。

月曜の朝、ああ、また嫌な一週間がはじまる、と
思って、確かこの辺にあった椅子に荷物を置いて
船を待っていたなぁ、と思い出しました。
こんなふうに北風の吹きつける冬の日もあったし、
暑い夏の日も
あったし、、。
いろいろな記憶がよみがえってきました。

裏というのか、桟橋側にまわって、みました。


Ura1


ここに桟橋の屋根がついていて、海に桟橋が
張り出していました。その桟橋に船が横付けされて
乗降していたわけです。

Ura2


もう一度表にまわってみました。


ここがお土産ものを売っていた売店の跡です。
Baiten


お向かいが小豆島の観光案内所。
Annaisho


先日本当に嫌いで嫌いで仕方なかったあの時の上司も
亡くなった、と新聞のお悔み欄でその名前を見ました。

そして今度はこの桟橋の建物も消えてしまうことに
なりました。 こうしてひとつひとつ「あのとき」の
ものが消えていきます。 

たまにあのときのことを思い出すことはあります。
ゆっくりと思い出すと、そう嫌で嫌でたまらなかった
ことばかりでもない、のですが、、

最後にもう一度振り返って、建物を出ました。

Oshimai

この建物、今年中に解体工事が
開始されるそうです。

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Comments

港の景色って、街毎に個性がありますね。
那覇は戦後に、しかもここ20~30年内に整備された港がほとんどなので、かなり近代的です。
那覇は大型船が入港できる港が4ヶ所ありますが、そのうち1ヶ所は米軍港なので日本人は立ち入れません。
1974年に返還がきまったのですが、38年経ってもまだ治外法権です。あと数年以内には返還が実現しそうです。

良くも悪くも思い出の地や物が消えるのは寂しいですね。
あって当たり前だった場所ですから。
寿命は80年近くなったかもしれませんが、人が作れる歴史なんて人生のうちのせいぜい40~50年程度です。
意外に儚いものだと思ってしまいました。
短いからこそ、土地・地縁や人間関係といった、自分の姿を映せるものを大切にしていきたいと思いました。

東日本大震災では多くの人たちが、人命や人生、帰る場所を失いました。
謙介さんが見た港湾景色と似た街に住んでいた人たちも、一瞬にして思い出もあらゆるものが消えてしまったわけです。
被災地から一番遠くに住んでいる僕には実感のわかないことですが、その喪失感・喪失そのものは計り知れない辛さであり悲しさだと思います。
思い出の港務所をゆっくりと振り返ることができた謙介さんは、そういう意味では幸せな時間を得られたのだと感じました(独断でスミマセン)。

そうそう、あと数日で平成23年も終わります。
僕は年末年始はバンコクに行く予定で、29日に出国します。
一足早いですが、お礼を。
今年は謙介さんに学ばせていただくことが多々あり、感じ入ることもありました。
自身が浅いブログしか書けないため、内容をもったブログを読む楽しさを知るきっかけになったのです。
とても感謝しています。
お身体の調子を整えて、元気に活躍できる平成24年でありますように願っております。
来年も宜しくお願い申し上げます!

Posted by: タウリ | 11. 12. 27 at 오전 9:16

---タウリさん
港もその港のある街の色合いが強く出るように思います。謙介はあまり東日本の港は知らないのですが、大阪、大阪南港、神戸、高松、宇野、今治、松山、小倉、博多、長崎、鹿児島。外国は釜山、上海、といろいろ見てきて、やはりその街の個性がはっきり出ているなぁ、と思いました。俺にとっての港は人との別れの場所だったり、自分の出発の場所だったりしましたが、ひとつ共通するのは、ちょっと緊張する場所だ、ということでした。なんか港で緊張するような経験ばかりしたせいで、のんびりとした風情とか情緒を楽しむ、というようなことにはならないんですよ。
 でも、それぞれの空気とか雰囲気の違いがあって、そういうのを比較するのはおもしろいなぁ、と思いました。 
 こちらこそタウリさんのブログではかっこいい人の写真をたくさん見ることができて楽しませていただきました。 浅いブログなんてとんでもないです。タウリさん自身はいろいろなことをよく考えておいでで、そういう考えていることが言葉のあちこちに出ていました。
 そうですか。お正月はタイなのですね。暖かいところでお知り合いにもあって、いい年末年始を過ごされますよう。謙介は、うーん。原稿用紙と向き合う日々で終わりそうです。(笑) 今年一年どうもありがとうございました。来る新しい年もどうぞよろしくお願いします。またタイのお話、楽しみにしています。どうぞよいお年をお迎えください。こちらこそありがとうございました。

Posted by: 謙介 | 11. 12. 27 at 오후 7:18

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