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11. 11. 28

寺町三条にて

19日・20日と京都に行ってきました。
と、言っても紅葉狩りではなくて、家の用事だったんですけどね。
オヤジと一緒に伯母の家に行くことがあったので。


今回は、いつものバスではなくて
JRで。
まず、朝の5時35分の快速電車に乗りました。

Kaisoku1


俺一人だったら自由席でよかったのですが
電車が混んでいて座れないと、ちょっとオヤジはしんどいと
思ったので大事をとって指定席にしました。


Kaisoku2


岡山でのぞみに乗り換えです。
のぞみ以前は新大阪までが1時間弱、京都までだと1時間20分
かかっていたのが、今では京都までが1時間になりました。
四国からだと京都までは2時間ちょっとです。

でも前にも言ったと思うのですが、2時間少々でも四国は遠い、
って思っている人が結構いるんですよね。
7時40分京都着です。 ですから2時間5分ですね。
2時間5分、って遠い距離になりますか? 

で、地下鉄で北大路へ。伯母の家には8時過ぎに着きました。
オヤジと伯母でいろいろと話があるようだったので
こちらは、ちょっと失礼、と言って雨の中、買い物に出ました。
地下鉄を乗り継いで京都市役所前まで行って、

Teramachinijyo


二条御幸町の柳櫻園でお茶を買って、
寺町を南に。
鳩居堂で便箋と封筒を買って、さらに南下します。
三条通の角にある三嶋○というすき焼き屋の前まで来ました。

はぁ、と大きなため息をつきつつここの看板を見やります。

Okosho2

見やるというより、ほとんど寺町三条を通る人にとっては
大抵目に入ってくる看板でしょう。

謙介、あーあ。とか思ったりします。


この看板を書いたのは実は
俺の書道の草書・行書の先生でした。
中島○象という人です。
だから、この作品の端に「象」の字の落款が押してあります。

Okosho1


技量面はともかくとして、
正直、この先生とはあまり、というのか、はっきり言って
全然合いませんでした。 合う合わないというより
正しく言えば先生として尊敬できるか?
と聞かれたら、できません、という先生でありました。


先生は臨済の大徳寺派の僧籍を持っていました。
じゃあ、枯れた禅坊主かといえば、髪は長髪で
黒いセーターに大きいハウンド・トゥース・チェック
日本で言うところの千鳥格子のジャケットを着て
ボクはお芸術家だよーん、っていう顔をして
そこいら辺を歩き回っていました。

10年くらい前に出た退官記念の作品集には
教授近影とある写真に30年位前の
若かったときの詐称写真を使うし、何より謙介が
生理的に嫌だったのは先生の話し方でした。

ものすごく下品でした。
誤解のないようにお話したいのですが、言葉遣いが
乱暴だったとか、汚い言葉でしゃべる、というのでは
決してありません。

なんだか話す言葉を聞いていると、人としての奥行きが
ない、というのか、品性のかけらすら感じられない、
という話し方で、それで嫌だったのです。

そのころ謙介は各書体すべてそれぞれ違う先生に
書道を習っていました。

草書行書と調和体(近代詩文)はこの中島先生。
楷書といわゆるお習字の指導法は榊原先生
かなとかなの作品制作は上嶋茂堂先生
漢字の作品制作は村上三島先生
という具合です。

他の先生は普通に接することができたんですが、、
ちょっとこの中島先生は、、うーん。はっきり言って
嫌でした。

でもまぁ今の謙介だったら、それ以降いろいろな人に
会ってきましたし、あそこまで毛嫌いすることもないでしょう。
世の中いろいろな人もおりますしね、で済ませることもできる
ようになりました。それから
先生のやり方、というのもある程度理解できるようにもなりました。


しかし、何せ若いころは直情ですし
自分の感情の幅もせまいです。 それで
つい、そういう感情がはっきりこちらも出たのだろう、
と思います。
まあ、それを世間では「青い」というわけですが。(笑)

いつも三条寺町の三嶋○の前にくると立ち尽くして
しまいます。
そういう若い時の先生に対するさまざな割り切れない
気持ちの記憶がやはり作品を見ていると、いろいろと
浮かんでくるのです。


それはともかく。

若干の作品解説をしてみますと、、


この字、おそらく筆はヒツジの毛の筆を使ったはずです。
線の粘りからみて、筆の形状は扱いの難しい、
長鋒(毛先の長い筆)だと思います。
しかも羊毛の毛というのは毛の質が非常に柔らかいのです。
その柔らかい毛のしかも長い穂の筆、というのは、
絶えず筆を垂直に立てて、真上から力を筆の先の一点に
向かって落とすようにして書かないとしなやかで力強い線が
出ません。。
筆を斜めにした途端、筆が紙をなでこすっただけの
死んだ線になってしまいます。
この作品にはそれがありません。
絶えず筆が垂直に動き、筆と紙が90度の角度で
接していたはずです。
で、なければこんな線は出ません。出せません。
そういう技量で言えば申し分ない、と思います。

墨も濃い墨です。
本当のところを言うと、中島先生は
あんまり濃い墨で書くのはお好きでは
なかった、記憶があります。

俺たちが作品を書いて持っていくと
墨の色があまりに濃い場合は
「汚い」ということをよくおっしゃっていましたから。


ですが、やはりこの場合は店の看板、という
役目がありましたし、その店の扱っているものが
牛肉だった、ということも考慮に入れて、
濃墨を選んだ、と思われます。
薄墨で書いたのではなんだか
インパクトがありませんし、濃厚な牛肉の
味を表現するのでは、、ちょっとねぇ、、。

先生のこの字の書き方から想像して
おそらく70年代の終わりか80年代のはじめのころの
字でしょう。1979年とか80年ごろ、と想像します。

ただまぁ字に好き嫌いはあって当然です。
俺の恩師なんて中島先生の字は
「くにゃくにゃしてて嫌いや。」って
はっきり言ってましたし、、。
でも、二人は結構仲が良かったみたいですけど、、。
まぁそれが大人の付き合い、というものなのかも
しれません。

ということで、「なまぐさ禅坊主」の看板を
複雑な思いを抱えつつ、
寺町三条の雑踏の中でしばらくながめていた
謙介さんだったのでした。

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Comments

作品見ただけで、筆の毛の種類とか技法、書いた時期まで分るのですね。
三嶋〇の本店は敷居が高いですけど、大〇の地下にあるカウンター式のレストランは時々利用します。
すき焼き膳。すき焼きをオカズにして一膳目のご飯を食べて、二膳目はすき焼きのタレをご飯にかけるのが旨いヽ(´▽`)/

Posted by: mishima | 11. 11. 29 PM 6:19

---mishimaさん
やはり三嶋○に行くと、謙介が日常慣れている野口さんではなくて、1樋口3野口とか1諭吉でようやっとおつりが少々、というような費用になりますから敷居が高いです。それに何より看板を見たくない(笑)ですし、、。
でも、今回mishimaさんにいいことを聞いたので、今度上洛した際は行きたいと思います。
作品を見て、どういう材質の筆を使って、どういう墨で書いたのか、ということは、実は書道の授業でしょっちゅうすることなんです。自分の作品を作るにあたって他人の作品鑑賞・とか書作品の分析、という作業はまずどうしても必要なことなので、、。先生は作品の鑑賞のときに必ず筆は? 紙は? 墨は?というような質問を学生にしていました。

Posted by: 謙介 | 11. 11. 29 PM 11:01

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