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11. 10. 18

秋色探訪(全9回のうちその6)

二日目です。

今回の旅行では、そうそう大きな移動は
ないのですが、
街をゆっくり歩いてもらったり
そこの場所でしか食べられないものを
食べてもらったりして時間をかける。
ゆっくりとその土地ならではの風光を見る。
そんなことを経験出来る旅に、と思っていました。


同じ場所でも朝と昼と夕方では日ざしや
光線が違っていて、全く違う風景のように
思える場所だってたくさんあります。

時間をかけてその土地をゆっくりまわる。
たとえばそこにいる人と話をしてみる。
そこからまたガイドブックにはないことを
聞くことができたり、
わき道にそれたことで思いもよらなかった
風景に出会えたりします。


観光地を駆け足で見てまわる、
たとえば
はいうどん、はい道後、はい高知城、はい眉山
たってそれは表面をなぞっただけで
観光ガイドブックの追体験でしかないように思います。 

だから二日間という日程であれば
あわただしくあっちこっち回るのではなくて
狭い地域かもしれないですが、
1地域に絞ってそこを集中的に見てまわる、
というほうが、四国のゆったりと流れる時間を
体感していただけると思いますし、
そこから得るものも大きいような気がしました。

もうそろそろ何とかパックの
団体ツアーみたいな旅から、もっともっと
心の贅沢を楽しむ旅へと、変わってきてもいいんじゃ
ないでしょうかね。特に四国の旅の場合。

そんな思いを今回の日程を
組むにあたって実現できたら、と思ったのです。


朝食を食べて薬を飲んで出発です。
昨日は南でしたが、今日は北東方面です。
高速道路で走ること40分。高速を降りて
20分ほど走ると今治に到着です。

実はなぜ今治にしたのか、と言えば
数日前の新聞の折り込みチラシで
今治の地方産業振興局(じばさんセンター)
で今治地方の特産物の即売市があるのを
見たからでした。

タオル、じゃこ天、お茶、いろいろなものが並ぶ
とありました。「これはいかなくてわ。」
と思ったわけです。
会場に到着です。
駐車場は近くの小学校の運動場が臨時の駐車場でした。
イベントは10時からで、着いたのが10時半だったのですが
なんと、もう買い物を済ませて帰ろうとしている人が
何人もいたのには驚きでした。

振興局の建物の前にはぐるりとタオル屋さんの
テントとか、じゃこ天、たこ焼き、金魚すくい、
といったお祭りにはよくあるテントから、整体、
それから魚に体のよくないところを吸わせるという
癒し関係のコーナーまでいろいろなものが並んで
いました。ひとあたり見てから
ヒシさんタオルを買おうとあちこちのテントを
まわりました。
バスタオルが1枚500円くらいでしたか
タオルケットが1枚1000円くらいです。
バスマットが4枚で1000円という値段でした。

タオルを買って、それからこちらの名物の
じゃこ天の店に行きます。
はらんぼ、という魚を骨ごとミキサーにかけた
ものをつなぎを入れて成型し、油で揚げたものが
じゃこ天です。
なので、食べたら鱧じゃないですが
口の中で小骨のシャリシャリとした
食感が残ります。 それが好き、という人もいれば
謙介のように、ちょっとそれが苦手、という人もいて
好みが分かれるところです。
ただまぁ、カルシウムはしっかりとれそうです、よね。

お土産にタオルを買って(なんて実用的なお土産
なんでしょう。笑)会場を後にして次はお城に行きます。

Daimaru

お城に行く途中で、かつての今治大丸の前を通りました。
この店は2008年の12月に閉店しました。
まだ後継の利用方法が決まっていなくて
廃墟のままです。

行くたびにだんだん荒れ方がひどくなって
いって、しかも元がデパートですから市内の中心地に
あるわけで、、街の真ん中に廃墟があるというのも、、
街の活気にかかわるんじゃないか、って思います。

以前の今治には高島屋と大丸というデパートが二つもあった時期
さえありました。というのも今治沖の離島の人が買い物に来るのは
今治でしたし、今治の人口も20万近くあった時期さえありました。
そういうことでこの街の商業は非常に盛んな時期もあったのです。

ところがしまなみ海道ができて、本州と陸続きになってしまうと
みんな買い物は本州に行くようになりました。
加えて離島航路があらかたなくなってしまい
今治の海上ターミナル性も無くなってしまいました。

以前は桟橋から今治大丸までずーっと商店街があって
島の人の買い出しでにぎわったのですが、今は
本当にさびしい商店街になってしまいました。


さてお城です。

かつてのお城はこんな感じで、、

Imabarijyo2011

というのはウソです。(すいません)

画像加工して古い写真っぽくしただけです。
この写真がもとの写真です。

Imabarijyo5


天守閣は1980年にできた鉄筋天守閣です。

Imabarijyo1

それでも高さがある天守閣からの眺めはすばらしいです。
海が一望できます。

この城を作ったのは藤堂高虎でしたが、
もとは近くの山に城を築いていたのを
わざわざ地盤の不確かな砂地のここに持ってきました。
だって、海からお城が見えて、睨みを利かすことが
できますから。来島海峡にそびえる城、
というのを高虎さんはイメージしたようです。
高虎さんがこの場所に城を築いた理由が
分かる気がしました。

上の写真を見ていただくとお城から海が
近いのが分かっていただけると思います。
今は埋立が進んでお城の外側にもこうした
住宅地がありますが、以前はお城の石垣が
直接海に面していたのです。

ですから高松城と同じく海城で
お堀の水は海水です。

Tenbo3


下の写真、お城から港のほうを見ます。
正面奥がしまなみ海道です。
もともとこの橋、愛称で「くるくる大橋」と
いう名前がついたのですが
やっぱりくるくるなんとかを
連想させるからでしょうね。
こちらの名称は廃れてしまって、
もうひとつの「しまなみ海道」
というほうは定着しつつあるように思います。

正面右のビルは港湾事務所のビルです。
見ていただくと分かるのですが
古い家がないでしょ。

というのもこの街は太平洋戦争に4度の空襲に遭って
市内の中心はほとんど焼けたからです。

何せ、この街の位置が中国地方に行く経路上にあるので
行くときのついで、帰るときのついで、に
焼夷弾を落としていったのです。
最後の大規模な空襲があったのが
昭和20年の8月5日から6日早暁にかけての空襲でした。

そう。8月6日です。


この街が焦土に変わった数時間後、
対岸の広島にエノラ=ゲイが姿を現したのでした。


Tenbo2


今治城天守閣はコンクリートなので、
まぁ建築的には見るべきものは
何もありません。さきごろ門も再建されたのですが
こちらはさすがに最近の再建なので、コンクリート造では
文化庁がご許可しなかったようで、ちゃんと昔の工法で
再建しています。
それがこれです。

Imabarijyo2

内部はこういうふうになっています。

Imabarijyo4

お城見物も十分堪能したので
次はお昼御飯です。

長くなりました。今日は一旦ここで措きます。


(今日聴いた曲 近藤等則 CHINA BOOGIE
 1985年 近藤さんはこの今治の出身です。
 夏の今治のジャスのお祭り、
 IMABARI JAZZ TOWN 今年も8月の20・
 21日にありました。今年から民営移管に
 なった催しですが、この催しの開催の
 きっかけは、やはり彼の存在があったから
 こそ、だと思います。)

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