距離のとりかた
先日こちらのみうらお釜製造会社が
それまでの広告を一夜にして外した話をしました。
その前後でうちの実家で話をしていたことなんですが、、
今日の話はおそらく東日本と西日本ではまったく
理解しあえない話ではないか、と思います。
このあいだから知り合いにそれぞれ話したのですが
西日本の人の間では、そやねん、で共感を得るのですが
東日本の人には理解できない、って怒られてしまいました。
それはやくざについての距離のとりかたのことです。
そもそもやくざの成り立ちはどこから来たか、
と言いますと、直接には鎌倉新仏教との関連です。
謙介はやくざの発達史を日本の中世史の中で
習いました。
人間、どこにいっても
大抵税金を支払うことになっています。
ですが、中世では税金を払わなくていい場所、
というのがありました。
それは土地ではない土地です。
具体的に言いますと、川の河川敷です。
先日の新潟の豪雨災害でも、そうした
河川敷を利用していたいろいろな施設が
大水で浸水しているのをご覧になった方も
多いと思います。
あの河川敷は正式な登記された土地では
ありません。
大雨が降ったら川になってしまいますが
そうでないときには確かに「場所」はあります。
いわば番地外の土地です。
それを番外地と言いました。
ああいう場所に住むと正式な土地ではないので
税金を支払う必要はありませんでした。
しかし、人間は生活はしなくてはなりません。
何らかの稼ぎをして食べる糧を得なければ
なりませんでした。
そうしてある集団はその河原の石でもって
庭を作る、ということをはじめました。
またある者は芸能とか売春に行きました。
それからこの時期、お寺に所属していなかった
僧侶が、新たな仏教を唱えはじめました。
これが鎌倉新仏教でしたよね。
新仏教は今までの仏教では満足しきれなかった層に
アピールを始めます。 当然こうした河原にいた
人がその重要な信徒集団になっていきました。
ところが旧仏教に対抗する新仏教ですから、敵も多い。
だもんで、そうした敵からのボディガードが必要と
なりました。つまりこの新仏教の指導者たちの
身辺警護をやっていた集団が次第に組織化されていって
やがてやくざになっていった、というわけです。
ですから、お寺の組織とやくざの組織、本当に
よく似ています。聖と俗の相似形、ということです。
雑駁な言い方をすれば芸能とやくざと新仏教と
造園というののもとはみな同じ場所から、
ということになるわけです。
今もお寺とか神社の行事には
やくざが深くかかわっているところがあります。
祭りにはいろいろな屋台がつきものですが
あの屋台の場所を決めるのが興行やくざの
仕事だったりします。
俺の仕事場の街では秋祭りが大々的に
ありますが、あの祭りで神輿の目立つところを
担いでいるのは、はっきりいってやくざです。
言い方は悪いですがどう見たって堅気の衆では
ありません。
ここからが関東の人に理解不能、って
言われることなんですが。
知り合いに組関係の人がいる、というのは
関西の人間の中ではひとつのステータスです。
もっと言ってしまえばこっそりとした自慢になります。
「俺のつれに、○○組の奴がいてんねんけどな、、。」
関西の友達で仲良くなって打ち解けてくると
そういう話をこっそりしてくれるようになります。
こういう話をするとき、相手の表情はすっかり
「どや顔」になっています。
つまりは俺は顔が広いんだと。そういう
「やばい方面」の知り合いだっていてんねん、
どや、すごいやろ、えっへんという
のが関西の人間の間では自慢になります。
今でこそ警察は市民お困り相談窓口なんて作ってくれて
ご近所のごたごたにも相談に乗ってくれるようになりましたが
以前は民事不介入と言ってよほどのことがないかぎり
何もしてくれませんでした。
そうしたとき関西では「その筋の人」にお金を出して
解決を頼んでいたわけです。ダーティな部分を
そのようにして引き受けてもらう。
関東にくらべて都市の歴史の古い関西は
長年そうやって関西の人間はやくざとの付き合いを
してきました。紛争解決の上での必要悪として
やくざを存在させてきた、ということです。
ですからやくざに対する嫌悪感が比較的(比較的ですよ)
関東に比べると低いわけです。
ですから今回の引退騒動の人のやったことは関西では単に
そうした「長年の習わしの上に続いてやった」というだけの
ことであった、と考えられます。
大阪府知事が「あんなことぐらいで」」という言い方をしたのは
まさに関西ではそういう習わしがあった、という上の発言であった
と考えれば、別に驚くようなことでもなくて自然なことでした。
何度か言ったように、岡山駅前が縄張りだった
興行やくざが福○組でした。それが出版事業に
商売を拡大してしていって福○書店になって
今のベネッ○になりました。
もし東日本だったらやくざの出版社なんて
とてもじゃないけど問答無用でダメ、と
言うことになっていたのでは
ないですかね。
ですが、その根底には岡山が西日本の古い街だったために
やくざに対する敷居が低かったいうのもあったと思っています。
つまりそうしたヤクザの出版社でも受け入れる素地があった、
ということです。
俺ねここで東日本の方に聞いてみたいのです。
ベネッ○もベルリッ○もそういうやっちゃん企業なのですが、
「じゃあ、この会社のものを一切利用するの止めることが
できますか? 」となったらどうでしょう?
やくざが母胎の会社はいけない、って斬ってしまいますか。
それともやくざでも使えるいいところは使う、というふうに
しますか?
関東の人にこの判断、ぜひ伺ってみたいのですが。
どうでしょうか???
生活の中に深くそれが浸透していたら
果たして原理原則であんなやくざ企業はダメダメ
って斬ってしまえるかどうか。
しんけんゼ○はダメ、ってやめられますか?
関西でやくざがなくならない理由の一つに
そうした浸透の度合いが関東と関西とを比較したとき
関西のほうが比べ物にならないくらい根が深い、ということが
あると思います。
それは例えばやくざの発生とも密接な関係を持つ
部落問題のことについても同じです。
関東の人に部落問題についてちゃんと説明できますか?
と聞いたらどうでしょうか。
前に東京の人で、部落問題をそもそも知らない、
と平気な顔で答えた人がいて、謙介、驚愕したことが
ありました。
今のマスコミは東京発信ですから
当然関東圏の考えになっていて、
「やくざなんてけしからん」
という考えになっていることでしょう。
でも、もしも仮におそらく大阪のたとえば
住之江のボートレース場で世論調査をして
みたらずいぶんと違った答えに
なっていたんじゃないか、と俺は思います。
さすがにやくざとの距離の近さ云々、と
いうことはさすがにマスコミでは言えませんから、
こうした考察はおおっぴらには
おそらくできないでしょう。
あのニュースを芸能人の引退のどたばたと
見るとしたら、あほらしいニュースです。
しかしそうではなくてもうちょっと深く掘り下げて
この国の東西の文化の中における
やくざに対する距離のとり方、として考えるならば
俺は結構大切な文化比較になるのではないか、
と思っています。
さらには東京のやくざに対する考え方
一辺倒ではなくて、西日本の生活文化の中での
やくざに対する付き合い方、もしくは敷居の
低さ、から考察していって、そうした延長線上において
この問題を考えないといけないのではないか、と
俺は案外まじめに思っているのです。
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Comments
ご無沙汰しております(^^)/
内容がdeepなので、ちょっと真面目にレスしてみます。
文化に“良い”“悪い”を評価するのは僕もどうかとは思いますが、一応の基準は社会状況だと思っています。
“やくざ”という組織・形態が成立した鎌倉時代と、現代が同じ状態であれば、社会の流れの一つとして受け入れやすいかもしれません。
ただ、謙介さんが解説されたように、鎌倉時代の発生要因は当時の社会状況からもやはり外れているように感じます。
極論を書いてしまうと、現代において“生け贄”や“食人”を文化風習として掲げている地域があったとき、それを他の文化の人々が「あちらの文化だから仕方ないよね」と受け入れられるかというとことに似てないかなと。あっ、あまりにも極論過ぎました。スミマセン。
長い時間を経て、“やくざ”の性質は変わってきているのではないかと思います。
都合の良い面だけを見、利用してきて、表裏である悪い面には目をつぶってきた程度と時間の違いが、関東と関西での温度差の原因になってきているように思います。
利用してメリットを得る人(島田さんのように)もいれば、損害を受けたり怖い思いをする人もいるわけです。
関東のほうが早く離脱していったのかもしれませんね。
政府お膝元ということもあり、警察権力による掃討が進んだからだと想像します。
文化論としてはすごく面白いですね。
学校では教えてもらえませんし(笑)。
国史のような大きなものではなく、民俗学の理解が深まる事象の一つだと思います。
Posted by: タウリ | 11. 09. 02 AM 8:44
---タウリさん
そうですね。西の人間が東京に行って何に驚くかといってみんな順序を正しく守っていることです。やはり政府のお膝元であった、ということだと思います。神戸のやくざと東京のやくざの抗争についてはあまりにたくさんの映画とか本が出ているのでそっちに譲りますが、やはり文化的に考える、というのはありじゃないか、って思っています。
Posted by: 謙介 | 11. 09. 02 PM 6:57