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11. 08. 01

世の中のしくみ(その2)

前回でも少し書いた
伊良部選手が自殺した、という話。
やはり週末、更にその自殺の詳細が伝わるに連れて
実家の街ではニュースの扱いが結構大きくなりました。
スポーツとか社会面じゃなくて、
こちらではローカル面で大きい記事になって
いた、というのが興味深いことでした。

伊良部選手、実家のある地元の高校を出ているので
まだ高校時代、彼を指導した先生もおいでです。
そうした方のインタビュー記事とか思い出話もあったので
新聞の扱いはローカル面の記事のほうが大きかったです。

その話から思い出すのが、
毎度毎度問題になる野球留学のことです。
高校野球、各郷土代表とか言いながら、その選手の
出身中学を見ると、ずらっと県外の聞いたことも
ないような中学の出身者ばかりです。

それでいて高校の所在地だけは、とりあえずその県にありますから
一応○○県代表と言うことにはなりますが、
出場選手なんて全員他府県中学出身者だから
あんなの、県代表と言う気が全然しない、
応援だってしたくない、
という声を毎年のようによく聞きます。

伊良部選手もこちらの県の出身生徒ではなくて
他府県からその高校に来た野球留学生でした。

みなさんはあの
他府県からの野球留学について
改めてお伺いしたいのですが
どう思います?
出場生徒ほとんど全員、県外の出身者で
それで○○県代表校、って言って名乗るのって
どうでしょう?


あんなのインチキ、って思いますか?
それともひとつの「戦略」としてオッケー、って容認しますか。


うちの姉は音楽大学を出て、ピアノを教えているのですが
先日習っている生徒さんの保護者から、ご相談を
受けたのだそうです。

その生徒さんは、今度地元のピアノコンクールに出ることに
なったとか。
その生徒のお母さんが言うには
「そのピアノコンクールの審査員の先生は
自分の持っている生徒にそのコンクールの課題曲だって
早くから教えて練習させるらしいですね。」
で当然そんなのはフェアじゃない、と怒っているのだそうで。

でもそういうの、って俺、別に?
って謙介は正直思います。

例えば、○○音楽大学に行こうとしたら、中学あたりから
その音楽大学の先生に師事して個人レッスンをして
もらったり公開レッスンに参加して、それで
その先生のお勤めの音楽大学を受験する
なんていうのは、音楽の世界では普通のことです。

その間に男の先生と男の生徒にややこしいことが
あったらまるっきりゲイ小説のネタですが。(笑)
でも逆に言えば、それくらい身も心も先生に
師事してこそ一流になれるわけですよね。


宝塚歌劇○に入りたかったら、宝塚コドモアテ○にまず入って
めでたく先生にしっかりと顔やら何やらお覚えいただいて
それで音楽学校受験する、というのが
当たり前です。


書道だってそうです。
書道界の中で伸していこうとしたら
今だったら日本書芸○系統の、しかもその中で
有力な先生に師事して、練習をしていく、と。


もちろん習う側にそこそこの水準は必要ですよ。
ろくに書けもしないのに、いくらその先生に
師事したところで、展覧会で入賞は無理です。

ただまぁ、そこそこの技量があって、さらに
そうして有力な先生について、その中で
目だっていけば、展覧会に出しても通るように
なります。
その先生が審査員をしていたりしますからね。

審査は公正である、たって
毎度の練習の時にその先生から
どうやったら入選するか、というノウハウは
当然伝えられるはずです。
「こう書きなさい。」という指導だってあります。


俺はそういう恣意的なのを本当に何度も何度も
繰り返して経験してしまい、すっかり嫌気が
さしてしまったので、展覧会に出すのを止めて
しまったわけです。

展覧会に出すときには、まず審査員の先生の
顔ぶれを見て、この先生ならこういう題材で
こういう書き方をしたら通る、というテクニック(笑)だって
あります。
日○には日○の書き方。毎日○には毎日○の
読売書法○にはそれに合った書き方というのがあります。

謙介も書道の世界で十二分にそういうのを
見てきました。だもんでそういう世界のことは重々承知なので
音楽の世界だって、まぁそんなものじゃないかな、と
しか思わなかったんですけどね。


小説のコンクールだってそんなものだと
思います。
前に俺、ある文芸賞で新人賞をいただいたときも
その文芸賞向きの作品の書き方しましたもん。


俺はすでに書道でコンクールに出すときに、
そういう「傾向に合わせる」という方法が
絶対に必要なのだ、ということを知っていましたから
そういうことは当然意識して、その部分を
効果的に使いました。

受賞したとき、ええ思いました。
何や書道の世界とおんなじやんけ、って。

たまに自分は書きたいものを書いて
投稿する、という人もいるようですが、
その人の書く方向性と、応募する賞の目指す
方向性がたまたまうまく合えばいいですが、そうでない場合
は出しても出しても候補にも残らない、ということです。

それにもの書きだったら、自分の好きなように書くのは
シロウトであって、プロっていうのであれば、相手の意思を
汲み取った文章を書く、とか相手の依頼に
応じて書き分ける、ということは普通にできて当然じゃ
ないですか。


姉に聞いたら、これこれのピアノコンクールだと
審査員の先生は○○先生だから、その○○先生の
好みの演奏法をする、と言っていましたから
あ、おんなじおんなじ、と思っちゃいました。

世の中、ってこんなふうですよね。
これをフェアじゃない、と取るのか
ひとつのことを成し得ようとする際の「戦略」と
取るかで、まぁ違ってきますけど。

ただ「過去の傾向」を知る、っていうのは大事でしょう?
いや、そんなものは要らない、って突っぱねますか?
でも、本屋さんに行ったら、いろいろな資格試験の
「過去問」の問題集が山のように出ていますけどね。(笑)
過去の傾向を知って、その対策を立てて臨むのは
フェアじゃないですか?

え?
謙介はどうするのさ って?

決まってるじゃあーりませんか。
「あんさん、よう気張らはって、ご精が出まんなぁ。」って
思いながら、だまーって見てますのん。

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Comments

芸術やスポーツの世界は純真無垢であって欲しいという願望なのでしょう。
「必死に努力してオーディションに合格」よりも「友人の付き添いで行ったオーディションでスカウトされた」の方がシンデレラストーリーとして好まれますし、欲を表に出さないのが美徳のようです。
実力の世界なのは、陸上や水泳の個人競技くらいでしょうか。でも、マラソンなんかだと「タイムはそこそこだけど、勝負強いから」とか言って、主観を交えて代表選手を選んだりしますから、本当に実力だけというのは、なかなか思いつかないですね(;;;´Д`)ゝ

Posted by: mishima | 11. 08. 02 at 오후 12:28

---mishimaさん
そうなんですよ。いつもフィギュアスケートとかシンクロナイズドスイミングで「芸術点」というのがありますよね。あれだって相当怪しいじゃないですか。いくら数値化する、たって、審査員の好みが全く働かないか、といえばそれだってないですし、、だからキムヨナとまおちゃんのどっちが、っていうことだって起きてきますよね。陸上競技みたいに、やったらはっきりと結果が出てその優劣で、というのがすっきりしてますかね。でも選手が変な薬を飲んでたりするか、、。(笑) ねぇだから公正って結構難しいですよね。

Posted by: 謙介 | 11. 08. 02 at 오후 1:04

私も昔試験官を何度もやりましたけど、採点するのは人間ですからなかなか公平にはならないものです。一番最初の演奏には高得点をつけにくいですし、同じ曲が続けば飽きてくるし…。それと、全く同じに歌ったら、美人の方が上手く聞こえちゃうんですよね。謙介さんだって好みのイケメンとどうでもいいおじさんが同じように演奏したらどう聞こえるかって解りますでしょ?容姿は大事です。好きな曲だと聞く気が違いますから、選曲だって大事です。こんな具合ですから、いい点取ろうと思ったら戦略は必要です。

Posted by: アリクイ | 11. 08. 04 at 오후 10:43

---アリクイさん
前に図書館の司書さんと話をしていて、「五体不満足」の本が売れたのは、著者が障害をお持ちではあるけれど、顔がそこそこの顔だったからだ、と俺が言ったら、同意してくれたことがありました。逆にバイオリンの日本のある女性の演奏家で頭に数字のつく姓の方(おわかりですよね。笑)は演奏技術はあるのにお顔が、いまひとつ、で売れないのだ、というのが姉と俺の一致した意見です。でも実家の近所のご出身の川○さんはそこそこのお顔なのでやはり売れます。芸術関係については、本当にそういうところありますですよね。

Posted by: 謙介 | 11. 08. 04 at 오후 11:18

世阿弥が、風姿花伝で、うろ覚えですが、客が喜ぶものが良い能であり演技だ、と言っていたような気がします。つまり需要が全てであって、需要にあった供給がベストだという、まるで経済学のような考え方です。そこには、芸術の、美の絶対性は二の次で、客の嗜好が全てを支配するのだ、という超現実的な考え方があります。

大学受験も、大学の先生が望む回答をすべく、赤本を買って、出題傾向を調べ、それに合った解答をするよう勉強しますよね。マーケティングでも、まずは客の分析、需要の分析が第一です。商品が良いから売れる訳でもなんでもなく、また会社で出世するのも、上司に好かれ愛されるから、つまり選択権を持った客(上司)にいかに愛されるかで決まるように、全てはニーズにいかに合わせるかで、そこには客観性はなく、客の主観性があるのみです。

経済学をやっていると、芸術至上主義(というのがあるのであればですが)はむしろ不思議な考え方で、世阿弥のような、或いはお客様は神様です、のような需要が全てだよね、という恐らく皆さんがお嫌いになるような考え方をついつい当ったり前と思ってしまいます。

とはいえ、永遠に残るものは、人気のあるものでも売れるものではなく、本物なのでしょうが。例のバイオリニストは弟は美形?なのに、確かに、似ていないですね。

Posted by: まさぞう | 11. 08. 05 at 오후 7:06

---まさぞうさん
たとえば入試の国語の問題もそうです。作者の意図とは全然違うところで、いわゆる入試の問題の答え方、っていうのがありますよね。だから作者がその国語の問題を解いたけれども、間違っていた、ということだって起きます。長年のうちにひとつの形式ができてきて、それに「則った形式」でないと間違い、と言って拒否されるということがあります。そういうことはあるように思います。ただそれが真実かどうかは別ですが、、。

Posted by: 謙介 | 11. 08. 05 at 오후 10:38

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