なかなか決断できない。
大文字の送り火の薪について
二転三転したあげくに東北の薪を使うのは
止めにした、というニュース。
聞いていていかにも京都らしい対応だなぁ
と思いました。
京都の人間は、ひとつのことの判断を下すまでに
非常に時間がかかります。
ある人が「被災地の薪使うたらええがな。」と言うと
別の人の中から、「放射性物質が入ってたらどうすんのよ。」
と必ず言う人が出てきます。
集団の統一した考えがまとまるまでにものすごく
時間がかかります。それを横から見ると
なかなか決まらない→決断が遅い、ということになるわけです。
そのうえ、
仮に一度決まったことでも自分はやっぱり嫌、
という場合だって出てきます。
そういうとき、京都の人間は
一度決めたことですから、表だって反対はしないのです。
それでいて、それは嫌だと思ったら
それをいつの間にか骨抜きにしてみたり、
嫌だと思ったらしれっとした顔をして返事だけ「へえ。いますぐ。」
とか言っておきながら決して実行しようとはしません。
それをうまく言えば「したたか」という言葉だったり
「じゅんさいな」という表現になって京都の人間の
特徴を表してきた言葉だったわけです。
ところが今回のことについては
相手がいて、「その判断に従って別の地方の人が準備をしなければならない。」と
いうことがありました。
しかも、それは年中行事のことですから、逆算するとどうしても期日が決まってきて
その日までに判断をしないといけない、という必要がありました。
今回のようにある特定の期日までに
結論を出して、それにしたがって相手が何かをしないといけない、
ということで結論を出せ、と言われた場合、なかなか結論を出せない
府民性では本当に無理がありました。
謙介はそうした府民性からみて
そんな統一見解なんて出せるはずないやないか、と思っていましたし
おそらく結論が出ても二転三転するだろう、ということはなんとなく
想像していました。
なのでああいうことになって、ああ、やっぱりなぁ、
と正直思いました。
それではどうしたら成功していたのか。
俺は薪を使うのであれば、
時間をもっとかける必要があった、と思います。
少なくとも1年をかけてあらゆるところに根回しをして
同意をもらう必要があった、と思います。
1年、と言ったら、え? 1年も、と驚かれるかもしれません。
しかし、京都の人に納得をしてもらってことをすすめようとしたら
それくらいの時間がどうしてもかかるのです。
まずは方法として、、。
相談を持ちかける時にどうしても外せない、という
勘所の団体の長がいます。そこに行ってちゃんと
話をつけておくことがまず第一です。
団体とかお寺さんとかに話をつける。
団体と言うのは、たとえばお茶のお家元とか
お花のお家元にはじまって、やくざとか
そのあたり一帯の顔役の人とか、会社のえらいさんですね。
そういう人をまず納得させる。
それから時間をかけて被災地の薪を
大文字の送り火で使いましょう、という世論を作る。
こうしておいてはじめてあの街では大きな「流れ」がきちんとできて
来るように思うんです。
それを数か月でそれをするのは本当に無理が
あった、と思います。大文字が今年の暮くらいに
あったのだったら、十分コンセンサスとか
実施のための安全確保もできていて、今回のような
不細工なことにはならなかったような気がするんですけどね。
大文字の送り火はそもそもが
お盆で家の仏壇に帰ってきていたたましいを
再びあの世に送る行事でした。
今年は悲しい年になってしまいました。
いまだに安らかな眠りにさえつけないたましいが
一体何柱、この空に漂っているのでしょう。
四国霊場のお寺でも、それぞれの本堂のところに
この東日本大震災で犠牲となられた方々の霊を
とむらいましょう、とありました。
お盆の間、突然にこの世の中で「生」を断ち切られる
ことになってしまったたましいが、少しでも安らかに
憩うことができたのか。いまだ文字通り浮かばれない
たましいがそこここに漂っているのではないか、、。
蝉の鳴き声を聞きながら、ふと空を見上げて
そんなことを思ったのでした。
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