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11. 07. 28

見ただけではわからない

お正月中、参詣の人出で、特に多かった神社仏閣が
新聞の記事で紹介されますよね。
その中で大抵上位にいつも入っているのが
川崎大師です。
川崎大師の「大師」は弘法大師のことですから
当然川崎大師のお寺は真言宗のお寺です。

だけど川崎大師が真言宗のお寺だ、って
ちゃんと理解した上で参詣している人ってどれくらい
いるのかなぁ、って、俺、ふと思ったりします。


いや、決してあの辺で真言宗の信者さんが
少ないなどとは思いません。
どうしてか、と、言えば、
多摩川の流域に四国八十八箇所を模した
ミニ四国の巡礼コースが3つもあることを
聞いていたからです。

関東から四国はとても遠いです。
(たぶん今も東京から四国はとても遠いところ、
というイメージがあるのではないでしょうか。)

四国に行けないのであれば
小規模の四国を模した霊場めぐりのコースを
作ってしまおう、といろいろな人が考えたのでしょうが
そんなコースがあの川の流域だけでも3つも
存在したというから驚きです。

ですから、そうした弘法大師への信仰をお持ちの
方々も非常に多いのは知っています。
ですが、それは江戸とか明治の頃であって
いまの人たちにお家の宗教を聞いても
例えばお寺さんが法事に来る、と言っても
お家は何宗なのですか、と質問して、はい
うちは一向です、とか、臨済ですというふうに
明確に家の宗派が出てくるのか
と、なったら難しいのではないでしょうかね。


今回の芸術新○は空海の特集です。

Geishin


1ヵ月前だったか実家でとっている
全国紙のローカル面に、善通寺の寺宝が
東京の国立博物館に貸し出されることになった、
との記事が載っていました。
それで、あ、東京でこんな催しがあるんだ、
と知りました。
今、出てる芸術新○もそれとタイアップした
特集なんでしょうね。
出陳される展示品を見たのですが、
確かにその展示品の内容はすごいと
思いました。真言宗の本山から
選りすぐった名品を集めての
展示でした。

芸術新潮もその中で、特にこれは
というものの写真を載せています。

でも、、って謙介は思います。
これって、たとえばデパートでやってる
日本全国のうまいもの市に行って、
赤○を買ってきて、自分の家で食べるようなもの
じゃないか、って思うんですよ。

確かに買ってきた赤○、
経木の箱にちんまりと入った赤○には
間違いありません。

でもね、伊勢に行って、内宮参道のおはらい町の
赤○の店にあがって食べるのと、
自分の家のテーブルで食べるのでは
やはり違うと思うんです。

確かに美術館なり博物館で見ると
学芸員の方が展示の意図とか
その意図に沿った文物を集めてきて展示
してくださるので、系統だてて見ることは
できます。
でも、そこで見るものって、
そのものを所蔵しているお寺で
同じもののはずなのですが
やはり、、ちょっとなぁ、、って
思ってしまうのです。

真言宗のお寺もいろいろなのですが
そういうお寺に実際に行って、
その土地の日ざしや空気を感じながら
お参りをして仏様に出会う、というのがやはり一番
じゃないですかね。


前にも言いましたが
同じ真言宗の寺院でさえも
京都の東寺と香川の善通寺では全然雰囲気が
違います。 高野山でもそうですが、
東寺はどちらかと言うとやはり
仏教を学問として学び、修行をしていく厳しさが
前に出ているように思えます。
弘法さんの市の日はともかく
普段の東寺は伽藍に一歩入っただけで
やはり厳しい雰囲気が漂っています。

しかしそれに比べて善通寺は
地域の人の生活の中にお寺がすっかり
溶け込んでいます。境内でラジオ体操をする人
赤ちゃんをベビーカーに乗せて
夕方の散歩をする人、お参りのお遍路さん。
いろんな人が境内を行きかっています。

そうそう引退した野球選手の伊良部さん
亡くなったんですね。
彼の出た高校、この善通寺の街の
東のほうにあるんですよ。あ、話が脱線してしまった。

東寺や金剛峰寺の境内でラジオ体操をしたり
ベビーカーで赤ちゃんとお散歩、というような人は
いないと思います。
やはり四国の温暖な土地柄のせいでしょうか。
誰でも受け入れてくれる穏やかな空気が漂っています。

そうしたお寺に足を運んで空海由来の仏像を
拝観する。 博物館なんかじゃなくて
「その場」に行くことがまずは大切なのではないですかね。

ですが、もっと言えば、空海のことをより知ろうと思えば
やはりそれだけでは足りないように思います。
空海の場合、そのお寺とお寺をつなく道。

Henromichi1


その道を回って、お寺をまわる。
その道中にも「空海」を感じるための大きなポイントが
あると思うのです。


深山の連なる高野山、
四国の海を見下ろすがけ、山を縫い、平野を縫って
続いているへんろ道。
そうした道を歩いてみて
はじめて気がつくことだってあります。

ですから空海のあの展覧会は
空海の全貌なのではなく、空海という巨人の
全貌を知るための取っ掛かりというのか
単なる入り口にしか過ぎない、と思うのです。


善通寺。空海の全てはここからスタートしています。
善通寺の本堂です。

Zentsuji1

五重塔。

Zentsuji2

御影堂への回廊。


Zentsuji3

Zentsuji4
御影堂。この建物の下に戒壇めぐりという灯りのまったくない通路を
通って、お参りをする、という場所があります。
胎内のような真っ暗な間を壁伝いに歩き、心身を鍛えようというものです。
灯りのない通路はいかに自分が甘くぼんやりと
生きているか、という反省にもなります。


博物館で見る、こともいい機会ですが
やはりその由来の場所を実際に訪れてみる、ということが
必要なんじゃないか。特に弘法大師の場合は
そういう旅が要るなぁ、と俺は思うのです。


Henromichi2


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おげいじゅつ」カテゴリの記事

Comments

沖縄は仏教でも神道でもないので、お寺が立派なのは不思議な感じがします。
お参りをするところ=何もない、という印象です。
御嶽(うたき)や御願所(うがんじゅ)と呼ばれる自然神を祀ったところは、慣れないとただの雑木林に見えるのです。よく見ると御香炉(うこーる)が置いてあるので、それだと分かります。
修学旅行で東大寺などを見たときは、なぜにこんなに大きくなくてはいけないのか、と疑問に思いました。
宗教というか、文化の違いなのだなと思いました。
そうは言いますが、寺院仏閣巡りは大好きですよ(^^)/

Posted by: タウリ | 11. 07. 31 at 오후 9:17

---タウリさん
本土にも山そのものがご神体で、礼拝所しかない神社っていうのもありますよ。奈良の大神神社(おおみわじんじゃ)は拝殿しかありません。御神体は後ろの三輪山ですから。富士山がまずそうですね。それからこちらで言えば石鎚山もそうです。鳥取の大山もそうですし、、山そのものが信仰の対象というところ結構あるんですよ。
東大寺はもともと聖武天皇のときの国家仏教の総本山の位置づけとして建てられたお寺です。全国にあった国分寺の本山なので、まぁでかいお寺を建てる必要があったですからね。ただ、仏教と言っても日本の仏教は特殊なものですからね。まず仏教教学としての仏教と、一般の人の信仰する仏教は全然別のもの、と思ったほうがいいです。京都とか奈良の各宗派の総本山で教えられている仏教と、ごく普通の街の中にあるお寺の仏教はちょっと違いますし。それがおそらく俺が書いた京都のお寺と四国のお寺の雰囲気が違う、ということだと思います。それから日本の仏教は世界のほかの国の仏教とは非常に異質です。他の国の仏教にはお盆とかお彼岸なんてないですし。あれは日本の土着の宗教の影響ですね。仏教行事ではありません。

Posted by: 謙介 | 11. 07. 31 at 오후 11:51

善通寺、ご案内いただいたことを懐かしく思い出しております(o^-^o)
仏像はお堂に安置されてこそのものだと思うのですが、なまじっか文化財に指定されてしまうと、防火設備が整ってないとか、温度湿度管理が出来てないと劣化するとか言って、宝物館や収蔵庫にしまわれてしまうのは残念です。
環境が悪いとひびが入ったり装飾がめくれてきたりしますので、文化財保護の立場も理解できるのですが、みんなに撫でられてテカテカの賓頭盧尊者も、篤い信仰の証として誇らしいと思います。

Posted by: mishima | 11. 08. 02 at 오전 11:04

---mishimaさん
そうですよね。「おびんづるさん」とか神仏ではありませんが、天満宮の「牛」もそうですよね。みんな希望とか願いを持っていて、どうぞかなえてください、と思って撫でる。その行為だって立派な信仰だと思います。スペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路が世界遺産になったこともあって、四国遍路の道を世界遺産に、という動きがあるんですが、俺はあれは止めたほうがいいと思っています。世界遺産になったら「お商売してはいけません」からお寺でお札お守りは一切売ってはいけませんし、ご朱印帖だって怪しくなります。私たちの考えている信仰そのものだって形を変えさせられる方向に行ってしまうかもしれません。日本の辺地に巡礼をする島が在る。それだけでどうしてダメなんでしょう。わざわざそんなことをしてまで世界遺産に登録されなくたっていいじゃないか、って思うのですが。

Posted by: 謙介 | 11. 08. 02 at 오후 12:22

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