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11. 07. 13

鋭意? 製作中(一応)

先日、奈良の友達から電話がありまして、
「今年は、展覧会に作品を出せよ。」との
厳命がありました。

「ええええええ。ご多忙なので作品なんか
できなああああああい。」と言ったら、
「できなああああああい、なんて余裕かませるんやから
できる! 」と言われてしまいました。
一応「前向きに検討はしたい。(が、でもやらない。)」と言ったのですが、、。
「締め切りは8月の末やからな。ちゃんと送ってくるように。」と
言って電話は切れてしまいました。

あのですね。8月の末、ということは、
8月の末までに字が書けたらいいのでは
ありません。すべて表装が終わって
額縁に入れるか、掛け軸の状態に
なるかして、奈良市雑司町の彼の家に
それが届くのが8月の末まで、ということです。

で、その表装をするのに3週間かかります。
おまけに今回はお盆をはさむので余計に
余裕を見ておかないといけません。
というと、実質7月の末までには作品が
仕上がっていなければ間に合わないのです。

ひええええ。

仕方なく
草稿を作っています。
題材は、先日知り合いが
短歌の歌集を出版したので
その中の歌を書く、という極めて安易な
題材を選びました。

仮名の作品をどうやって作るかですが
一番オーソドックスなのは

まず自分が基本にしたい仮名の
古典の作品を選んで、その作品を
お手本を見なくても書けるように
なるまでにします。

今回の謙介さんの作品は
高野切の第三種を古典作品の
ベースにして行こうとしています。
この古典をきちんと学んで
その作品の字体をお手本を見ないで
書けるようにしておくことが
その人の作品を書くときのベースに
なるわけです。
そのベースを使いながらも
どうしても書いている人の「くせ」が
出てきます。それがその人の持つ
本当の個性だと思います。

俺がタケダなんとかいう小太りのにいちゃんとか
紫なんとかというおねいさんなんか全然ダメ、と
批判をするのは、あの人たちにそうした古典を
学んだ基礎力というものがまったくなくて
最初から自己流で書こうとしているからです。
あんなことしていたら、早晩行き詰まります。
まぁ別に人のことだから知ったことではないですけど。

それができたら、次に自分が
作品を書く題材を決めます。
この時に気をつけないといけないのは
作品に書きやすい題材を選ぶことです。
歌によったら書きにくいものもありますから。

歌が決まったら、草稿を作ります。
どこにどの字を持ってくるか。
字の配置、文字を選ぶわけです。

え? 仮名なんだから選びようがないじゃないか?

そんなことはありません。
変体仮名というものがあります。
例えば
「あ」だったら「阿」の草書体も「安」の草書体も
(まぁ安が崩れてあ、になりましたが)使えます。
特に同じ字が近くにあると

 なつのよは
 またよひなから、、

の場合、「な」が近くに接近し2つてあるので、どっちか片方の
「な」を「那」に変えて書きます。

  奈つのよは
  またよひ那から、、

とします。 でももうちょっと変えることもあります。

  奈つのよ八
  またよ比那可ら、、

こういうふうにどこにどの字を置くか、ということを
前後の字くばりを考えながら、ここにこれだったら
次の仮名はどれを使うかなぁ、と頭を悩ませるのです。
これが結構しんどい仕事です。

というのが、
歌には当然感動の中心、がありますよね。
その中心の文字をやはり印象的に書く必要が
あります。 歌の解釈と字の表現で、紙のどこに
どの字を置くか、ということを考えなくては
なりません。
そうして大体頭の中で草稿ができてそれを
(絵でいえばラフスケッチとでもいいますかね。)
まぁ鉛筆で書いてみるわけです。
大体の字の配置を見るわけですね。
こんなふうに。

Kana2


もしくはこれとか。
Kana1

↑は4行目がまだもうちょっと書き直しの余地がありますね。
字が団子みたいになっているので。

この作品の場合、
最後のところ「なきしぐるなり」で
「な」が2回近接して出てくるので、
最初のほうは「那」という字の草書体の「な」にして、後のほうは
「な」にしています。
こうやって変化をつける必要もあるわけです。


まだそれだけでは終わりません。
紙はどんなものを使うのか、
墨はどの墨を使うのか。
筆の毛の材質は何か。

全部頭の中で考えて、その作品にふさわしい
筆、紙、墨を選ばないといけないのです。

そうしてやっと紙の上に筆を走らせる時が
くるわけです。
ただまぁさっき写真でお見せした草稿以外の
ことは、何度も作品を作った経験があれば
頭の中で、紙はこれ、筆はこれ、墨はこれで行く、
と考えることができますから、実際に表立って
どうのこうの、ということはしないでもいいです。

紙に書いて実際に作品になるのは
もうちょっと先になるのですが、、


東京の友達が「おきばりやす」と言って
こんな「手ぬぐい」と「うちわ」を送ってくれました。

Uchiwa7


てぬぐいのほうの熟語はぜーんぶ謙介に
足りないものなので「財力」「気力」「活力」「馬力」
全然ありまへん。 でもまぁ
いっぱつここで「努力」してがんばりたいと思います。
どうもありがとうございました。

と、いうことで日記には8月にむけて
一応「鋭意製作中」と書いておこう。(うそん。)


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おげいじゅつ」カテゴリの記事

Comments

おー、謙介さん、芸術家でもあるのですね!(驚)
すばらしいです!

歌った本人になりきって、その言わんとするところを文字に置き換えて、しかも、それを視覚的にも美しくなるように配慮する。

僕には出来ません(キッパリ)。

すごいなぁ~!
あと2週間程度で、その域に達し、作品を完成させるんですね。
芸術に期限があるのは変な感じですが、応募型は仕方ないですね。
頑張って下さい!

Posted by: タウリ | 11. 07. 14 at 오전 8:24

---タウリさん
いえいえ、そんな立派なものではありません。タウリさんみたいに言ってくれる人なんていなくて、同僚なんか、冠婚葬祭のときに、熨斗袋を持ってきて、「書いてね♪」というだけですし、、。俺とか書道をやっていた友達もそうなんですが、今の書道の現状に嫌気がさして、展覧会に出すとかさらに書道のほうで身を立てるというのはやめて、自分が納得のいく方法で作品を出していければいいなぁ、と思っているのです。本当はそのための展覧会なので、重要な意味を持ってはいるんですが、何しろ去年と今年は忙しくて、ちょっとできるかどうか、、でもなんとか今年はがんばってみようと思います。

Posted by: 謙介 | 11. 07. 14 at 오후 3:08

謙介さん、こんにちは。

源氏を読むと、贈答する歌の言葉だけでなくて、字のうまさ、墨の濃さ、かすれ具合、線の細さ、紙の趣味、色、それにつける花などの付属物、手紙を持たせる人間の様子にまで言及があり、手紙と字というものが今と違って、その人の性格、身分、教育、育ちの全てを表すようであり、空恐ろしく感じましたが、今でもそれに似た世界があるんですね。

メールを読み返すことなく、誤字脱字のまま送信してしまう自分が恐ろしいようでもあります。

Posted by: まさぞう | 11. 07. 18 at 오전 8:01

---まさぞうさん
いえいえ、そういうふうに意識をしていらっしゃるまさぞうさんだったら大丈夫です。実は先日、大学生に手紙の書き方というのを教えたのですが、正直ぶっ飛びました。封筒の書き方を知らないのです。とんでもない表書きに唖然としました。ただ、それでも救いだったのは、彼が書いた字が彼なりに一生懸命に書いた文字だったからです。その表書きを見ながら、たぶん彼は生まれてこのかた封筒というものを使って手紙を書いたことがないんだ、と想像しました。大学生も4年になったら、実習があって、その実習受け入れ先にお礼の手紙を手書きで書かなくてはなりません。まぁ大学卒業するまでに一度は手紙の書き方を経験しておくことができたのは、よかったのかなぁ、と思い直しました。

Posted by: 謙介 | 11. 07. 18 at 오후 12:53

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