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11. 06. 21

とろい顔

とろい顔、って、もちろん謙介自身の顔のことなんだけど。

俺が小学校の頃、今は亡くなった母方の祖母が
小学生の頃の俺に向かってよく
「しっかりした子は目が走っている。」
という言葉を言った。
意味としては
血走った目に近いのだろうか、
ただ、そこまでは行かないように思う。
辞書とか語例を見てみたのだけど
あんまり他に用例がないところを見ると
目が走る、というのは、祖母独特の
言い方なのかもしれない。
今風の言い方であれば、目力がある、というのか
強い意志がこめられた目、という意味だろう。

ことわざで「目は心の窓」と言うのは
確かにそのとおりで、内なる心の状態は
そのまま目や表情に出るよね。

祖母が「目が走った子になれ。」と言ったのも
目がそうなるのはおそらく結果であって、それ以前に
強い意志を持て、ということを言いたかったの
だろうと思う。

どうしてそんなことを言われたか、といえば
謙介の顔がその真逆だったからだ。
つまりいつもぼんやりとした「とろい」顔をしていたから。

まぁ実際とろい人間なので、そのとろさが
顔に横溢していたいたのだろうと思う。何せ世間の
小学生が野球だソフトだ、と言ってる横で、ぼーっと座って
何を考えているのか分からないような子だったし、
スポーツの経験が皆無だったから、
当然とろかったし、言い返すすべも分からなかったから
クラスのほかの連中からしょっちゅう
いじめにも遭っていたし、それがもとで
登校拒否にだってなったこともあったし、、。

明治生まれで気性が激しかった祖母は
そういう「いじめに遭う」子は、
とろくて鈍くさいから、そういう目に遭うのであって
目が走ったような子になれば、
そういういじめにだって遭わないはずだ、
と常々思っていたのに違いない。

でも、三つ子の魂なんとやらで
謙介はずーっととろいまんまの状態、とろいまんまの顔で
そのまま大きくなってしまった。
目の走った精悍な人間にはならずに
ぼんやりとしたとろい顔つきの大人に
なってしまった。

その状況は今日ただいまだって変わらない。
現に昨日だって、スーパーのレジで
おつりを渡されたのだけど、その
おつりが105円足りなかったのを
見て、おつりが足りないとそのレジの人に
言ったら、店員さんの表情の中に
「このおっさん、ぼんやりしてる顔をしている割には
しっかり見てるんだ。」という意外な表情がさっと浮かんだのを
俺は見逃さなかったし。

いや、昨日に限らず、俺が店とか窓口で
「これは~じゃないのですか? 」と
確認をするとほぼ大抵の人の顔に
「このおっさん、ぼんやりしてそうな顔つきをしているけど
言うことはちゃんと言うんだね。」という表情が
相手の顔の中に浮かんでいるのが分かるもの。(笑)
ちょっと意外、って顔つきしてた。


そんな人の顔を見ながら、そうか、世間というのは
謙介を「とろい」とか「ぼんやりしてる人」というカテゴリーの中に
入れているんだ、と改めて思った。
まぁ、実際今だって十分とろいのは間違いないけど。(笑)

精悍な顔つきとか、今更目が走ったおっさん目指す、たって、
みゆきさんが歌うとおり、かもめはかもめでしかありえないし
いくらうらやましがったところで、他のものには
なれないし。 

本人の「中」では結構葛藤を抱えていて
だからのほほんとしているわけでもないんですけど、
まぁ平和そうに見える、ということなんでしょう。
もしくわ「おめでたそう」とか。(笑)


最期だってもうそう遠くないし。
まぁこうなったら、このままおしまいまで
行くしかないと、改めて思っている
今日この頃。


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Comments

謙介さん、こんばんは。今夜は夏至ですね。暑い暑い夜を迎えています。

私も関西人の義兄から、「目が死んでいる」を評され、傷ついた覚えがあります。実は関東では、目がどうのこうの、それが性格を示しているというような言い方はしません。知る限りではありません。関西人には、目がどうのこうのというのは普通みたいですね。関東では目が輝いている、と肯定的に使うことはあっても、否定的に利用することはまずないです。関西には、色々危ない人間を目で判断する習慣があるんでしょうかね。

最近短髪にしたのですが、髪が無くなると、顔の中での目の占める比率が増えるためか、目が目立つようになりました。私も死んだようなトロイ目をしているのですが(恐らく)、黒い髪がなくなると目の黒さが目立つためか、少し鋭く見えるようです。変な人とばかり目が会います(危なそうな人ばかりです)。どんよりした印象の目をしている方が(大阪や東京では)安全かと思いますよ。

Posted by: まさぞう | 11. 06. 22 at 오후 7:20

上のコメントでどんよりした目というのは、私自身のことですので、誤解のありませんように。万が一、失礼があったらお詫び申し上げます。

Posted by: まさぞう | 11. 06. 22 at 오후 7:23

狼の皮をかぶった羊より、羊の皮をかぶった狼のほうが生きやすい時もあると思いますよ。
僕は、羊の皮をかぶった羊なので、何時も血ながしながら、泣きながら歩くことが多いですが…汗。
走る目をしてなくても、走る心眼が謙介さんにはあるのでいいではないですか!
ライオンは、ライオン、トンボはトンボ、見た目は違いますしライオンのように目は走ってなくても、トンボは、トンボの美しさがあります、スマートさがあります。
僕も、羊のままで、羊らしく生きるだけ、
きっと、ちょうどいいものしかあたえられないし、ちょうどいいものしか選んで生まれてこないんですよ。
だから、ちょうどいいんです。
人生の卒業まで、ちょうどいいもので、らしく、ファイティングです!

Posted by: holly | 11. 06. 22 at 오후 10:43

---まさぞうさん
まさぞうさんの今までのお心づかいから、まさぞうさんがどういうおつもりでお書きになったかは十分わかります。失礼なことなんて全然ないのは承知いたしておりますので、どうぞお気になさらないでください。そうですか。やっぱり目がどうのこうの、っていうのは、関西の風土的なものなのでしょうか。今まで目がどうだのこうだの、と言われ続けてきたので、もうそういうものか、と思ってきました。そういわれてみると、「目つきが怪しい」とか「目がいっている」とか「視線が変」とか、そういうことをしょっちゅう気にしているようにも思います。 まず、相手の目を見て、判断する、ということも多いように思います。まさぞうさんのおかげでよい気づきの機会が与えられたように思います。もうちょっと周囲の人間の目についての言葉に注目してみたいと思いました。ありがとうございました。

Posted by: 謙介 | 11. 06. 22 at 오후 11:03

---hollyさん
hollyさんの言葉、本当に勇気づけられました。今まで、死んでるだの、もうちょっと目をなんとかせえだの、と無理難題をふっかけらえてきたのですが、そんなこと言ったって、謙介は謙介でほかの人の目つきにはなれないし、、。そうですよね。自分は自分の持ち味があるのですから、それで行くしかないですし、それに自信を持ってやっていったらいいのだ、と改めてhollyさんの言葉で思いました。 

Posted by: 謙介 | 11. 06. 22 at 오후 11:05

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