« 緑の映える季節になりました、が。 | Main | かれーですか? »

11. 05. 17

今年の夏は、これ。

みなさま、今年の夏はこれでございます。
       ↓

Komatateishi3

もうちょっと近づいてみましょうか。

Komatateiwa_2

と、ここでこんな石の写真見せられたって、
はぁ? っていうようなものですが。

「古ま立石」(駒立て石)と石碑にあります。
川の河口にあるので潮の満ち干があって、
当然のことながら満潮の時は見えません。


この石に那須与一が馬の足をかけて
扇の的を射抜くために弓を放った、となると
この写真の意図はお分かりでしょうか。

画面をひいてみます。 
 
Villa_dan


(おっさん、ひきすぎやんけ。)

やんやんやしまからみた屋島の戦いの古戦場です。
古戦場はいまやヴィラ壇ノ浦という住宅分譲地です。


この画面の真ん中よりやや右のあたりで那須与一が
よっぴいてひゃう、と矢を番えて放ったわけです。
ここに至るまでが、「ヤシマ作戦」ですね。

え? あれって「福音漫画」が元じゃないの、って?
いいんですってば。「福音漫画」の元を
さらにさかのぼった名前の由来は
ここなんだし。


Yanyanyashima11

これが本物の屋島どす。


今年の夏はヤシマ作戦。
がんばりまーす。


|

« 緑の映える季節になりました、が。 | Main | かれーですか? »

いなかのせいかつ」カテゴリの記事

Comments

岩の向こうに人が見える……(笑)。
上にもいるので、近所の子どもでしょうか。
ということは、結構大きな岩ですね。

歴史的なものについては以前から疑問があります。
有史以前も有史もです。
たとえば恐竜。
足跡の化石が見つかりますが、足跡って化石になるんだ!と思うわけです。
現代人の足跡も、どこかで化石になる過程を踏んでいるのでしょうか。

那須与一の伝承も900年も前のことですよね。
よく語り継がれたなと思うわけです。
現代は人が多すぎて、認知されるものが少なくなっているのかな。
情報が多すぎる分、これだ!と思うものがなくなってきているのかも。

なんて思ったりするわけです(笑)。
ヤシマ作戦、頑張って下さい!!!

Posted by: タウリ | 11. 05. 18 at 오후 5:05

---タウリさん
そうなんです。近所の子でした。6歳くらいかな。実はここで転びそうになってしまいまして。(笑) そうしたら、この子が「大丈夫ですか? 」って声をかけてきてくれました。「はい、なんとかおっちゃんはだいじょーぶ。いつもここで遊んでるの? 」って聞いたら「はい。」って元気よく言ってました。平安時代の物語って、本当はもっとたくさんあったんですよ。でも、歴史の中でどこかに行ってしまって今は名前だけしか伝承されていない物語もたくさんあります。歴史書もその当時の為政者の意思で何度も書き直されています。それとか単に写し間違い、っていうのもありますし。それでも昔の人がこれはいい本だから手元に置いて、ずっと読みたい、と思った本が残って、今に伝わっているのだ、と思います。現代はまだ混とんとしているから後世に残る、というのはわからないのかもしれません。それは50年とか100年単位だから、今、生きている人はその判断をするのは難しいかもしれないですね。

Posted by: 謙介 | 11. 05. 18 at 오후 10:56

讃岐だけに、駒立石も「人こそ知らね 乾く間もなし」と、常に水底だともっとおもしろかったかも(笑)。
ところで、来年のNHK大河ドラマ『平清盛』、新視点を期待していたのですが、頼朝の視点から眺めるというので、これでは源平対決史の焼き直しになりそうで、ちょっとがっかりです。最近の研究のなかには、清盛は義満の世界観を先取りしていたというようなのもあって、これだとおもしろかったのですが…。
でも、藤原忠実・頼長親子に重要な役者をあてるというのは、これまで大河ドラマには正面から登場しなかった保元の乱にかなり比重を置くということなのでしょうか。そのとき、頼長は男色家として描かれるんでしょうか?
で、崇徳院、西行が出てくるとなると、やはり「讃岐」は注目されてくるでしょうね。
そういえば、讃岐の○田醤油の遠祖は、崇徳院に従って讃岐まで来た京武者とのことで、おそらく西行とも顔見知りだとおもいます。
そんなことで、讃岐の新しい話題が広がるといいですね。

と、ここまで書いたら、今回の私の営業旅行の先は鴨河原に近く、保元の乱の古戦場だったことを思い出しました。白河、泉殿と、白河院、崇徳院ゆかりの地を、少しまわってみようかしらん。金平糖屋さんもそのすぐ側にあるということのようですし…。

Posted by: 闇太郎 | 11. 05. 19 at 오전 8:19

一人の人間のライフスパンで“歴史”を考えるのは難しいということですね。“物差し”が違う。
うん、そうだと思います。

日本で“図書館”ができ始めたのは奈良時代だったと記憶していますが、正しいですか?
そういった設備があっても、書籍や物語を残すことは大変なんですね。
現代の書籍を500年後にはどれぐらい残せるのかな?
「Badi」とか「G-men」などは“古代男色文化”という紹介になるのかな?(笑)

有形のものを残すのも大変なことですから、足跡を残すなんてもっと至難の業になりますね(^^)。

Posted by: タウリ | 11. 05. 19 at 오전 8:24

---闇太郎さん
そうですね。また西行・崇徳院をめぐる旅、というのもあっていいかもしれません。(笑)京都の姉一家の住んでいるマンションの近くに(今出川堀川)白峰神宮がありまして、ここは近くに清明神社もあるから近く同士で、修学旅行生からまた脚光を浴びるかもしれません。西行さんはやはり北面の武士、という地位も捨てて家族も捨てての出家ということと、歌の魅力があって、どこかに日本人の「あこがれ」とか「琴線」に触れる部分があるんでしょうね。せっかくのご上洛です。今の風景から往時をしのぶ、ということは無理でしょうが、位置関係とか風土を知る、ということでは何とかなりそうな気もします。どうぞそういうところはいい機会ですし、楽しんでこられたらいかがでしょうか。

Posted by: 謙介 | 11. 05. 19 at 오후 11:12

---タウリさん
記念すべきヒット数! おめでとうございます。最古の図書館は奈良の一条高校の横にあったとされる「芸亭(うんてい)」ですね。紙の記録だと洋紙は100年くらいの保存です。日本の和紙は1000年くらい持ちます。しかし、今の電子媒体は30年です。昔の媒体より寿命が短かったりします。(笑)人文系の学問は過去とか記録を大切にするのですが、理工系は現在とか近未来しか頭になくて、アーカイブスなんて要らない、って言われたりします。でも前にも書いたように過去のものがダメとは俺は思わないんですけどねぇ。
 あ、それから「芸」の字の正しい読みかたは「うん」なんですよ。戦後すぐに「藝」の略字を作ったときに「芸」の字がもともとあってよみは「うん」という字だったのを字を作った人が見落としてしまって、芸を藝の略字にしてしまったのですが、だから、「芸」をげい、と読ませるのは、本当はあれは間違いなんです、とゲイの人間が言っています。なんだかゲイゲイしいお話で失礼しました。(笑)

Posted by: 謙介 | 11. 05. 19 at 오후 11:21

Post a comment



(Not displayed with comment.)


Comments are moderated, and will not appear on this weblog until the author has approved them.



TrackBack

TrackBack URL for this entry:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/91870/51650011

Listed below are links to weblogs that reference 今年の夏は、これ。:

« 緑の映える季節になりました、が。 | Main | かれーですか? »