逃げない(その2)
昨日、謙介が今受けている研修の講師の先生が
俺の仕事場に来られた。
来訪の目的はいくつかあって、今受けている
研修は来年度も続くのだけど、それについて、
仕事場の協力をよろしく、ということと、うちの
仕事場の人に、俺が受けている研修の1年間の
状況の説明ということと、後は俺と講師の先生で
1年間の総括の話をする、ということだった。
実はこの研修を受けるにあたって、課題を
提出しなければならなかった。
その課題というのは、就職してから現在に至るまで
自分のやってきた仕事について、このときはこういう仕事を
した、そしてどういうことを感じたのか、どういう経験を
得たのか、ということをできるだけ詳細に振り返り、
その記録を作ってくるということ。
併せて今の自分にとってのビジョン。将来的に
そのビジョンをどういうふうに進めていきたいのか、
ということ。
そうしたことをまとめて来る、というものだった。
できるだけ詳しく、というご指示だったので
学校を出てから今に至るまでの仕事について、
自分の今までの業務の総まとめと思って書いた。
毎年毎年今年度の業務について、という
記録を書いていたし、そういう記録からの
転載をしているうちに、そう言えば、あの時に
こういうこともあった、と思い出したことも
結構あった。
それを事前に提出して、この書類をもとに一回目の
研修もあったし、それ以後、さらに思い出したことを
さらにさらにどんどん加筆していった。
この自分の業務の振り返り、書く前はものすごく
面倒で、なんでこんなものを、と思っていたのだけど
次第に書き進んでいくうちに思い出すことが
結構あったし、そうした昔の自分と向き合っているうちに
あれも、これも、と思い出すことが結構あって、
一応のめどをつけて提出した時には、書いて
よかったなぁ、とさえ思った。 おそらくこういうことで
指示でもない限りはこんなことはしなかった、
だろうと思ったし。
そして中心に書いたことというのは
今までの自分の仕事の経歴を書くのではない。
そんなことではなくて、今まで
どういう仕事をやってきて、そこの中から
そこからどういう経験を吸収できたか、また吸収できずに
失敗したのか、ということ。その「経験」を書いて
いくことだと、自分なりに解釈をして書いていった。
提出してから担当の講師の方に、
よくここまで詳細に振り返れましたね、と
個々の内容はともかく、その点については
褒めていただけた。
「大抵書いていたら、どうしても自分と
向き合うことになってしまうし、その自分と向き合うことが
苦痛で、書くときには肝心な部分を見つめられずに
逃げてしまうから結果としてお茶を濁すような記述が
多くなってしまうんでね。」
という話だった。
俺のことでいえば、
そういうことで逃げたりすることはないなぁ、、。 と思う。
何度か今まで書いてきたれど、27~30歳の時に
本当に精神的にしんどい時期があった。たまたま
その時に、その当時仕事を通じて知り合った
大学で心理学を専攻した人がいて、その友達に
身の上相談をしたら、そういう自分の中を見てみる、
ということをやってみたら、と勧められた。
ものすごくしんどくて、時間もかかるけど、その中で
自分を見つめていったら、その経験が後になって
絶対生きてくる時期があるから、と言われた。
一体自分はどういう存在で、どういうふうに生きてきて
自分を取り巻く人間について自分はどういう感情を
持っているのか、というようなことについて
ひとつひとつ検討をしていった。
なんでそんなことをしたかと言えば、自分とそういう相手の
人の関係を見ることで、(相手と向きあっていて、緊張するか、
とか、嫌な感情を起こしてしまうか、とか、楽に話せるか
とかひとりひとり検討してみた。)自分はなぜ、その人に
そういうふうに思うのか、ということをとっかかりにして
じゃあ、その人にそういう感情を持つのはどうしてなのか、
ということを考えていった。そうることで、自分が
どういうことに対して、おそれの感情を持っているか、
ということが分かったし、もっと突き詰めて、そういう感情を
持った記憶の中での始まりはいつだったのか、ということを
突き詰めて考えてみた時期があったから。
そういう自分の内面を覗く、ということは、ものすごく
しんどい作業だった。その作業自体は全部でやはり4年半くらい
かかったけれども、(地獄の釜の蓋をあけて
しまった、と心理の先生は教えてくれた。)そうやって
そうやって自分の内面を見て以後、ドロドロした
汚い自分も、お気楽な自分もさぼりたがりの自分も、
はたまたちゃんと仕事をやっている自分も
すべてが自分なのだ、と思えるようになったし、
そういうドロドロしていた自分を拒否するでもなく
ごまかすわけでもなく、きちんと客観的に
見ることができるようになった、と、思う。
その時、自分の存在のぎりぎりまでそういう分析を
した、と思ったから、今回の今までの仕事のまとめを
する、というのは全然しんどい作業ではなかった。
それもあるし、日ごろからこのブログでもそうなのだけど
「書く」ということを行うことで、自分の仕事にはじまって
自分の感情も、行動も相対化してみる、という習慣が
ついていたから、ということもあると思う。
書くことで自分と向きあって、自分の中のドロドロと
したものを見ることができるようになった。
今までの自分のやってきたことをとりあえず
文章に書いてみる、ということはすごく
意味のあることだなぁ、と思う。そこから、じゃあ、
どうしてその時にそういう行動を取ったのか、
今ならその行動について自分はどう思うのか、
というふうなことからスタートして、自分の分析を
やってみる、というのもいいかもしれない。
その時にいちばん大事なのは、カッコ悪い自分がそこに
見えてきても逃げないで見るということ。
ただ、ものは考えようで、そういうカッコ悪い自分とか
逃げてしまいそうになっている自分がいたら、そこで
じゃあ、どうして自分は、その記述から逃げようと
しているのか、ということも見ることができたら
おもしろい発見につながるんじゃないかなぁ、
とは思うけれども。
俺みたいに文章を書く、という人間にとっては
やっぱり逃げずに自分を見つめる、ということは
ものすごく大事なことだと思う。
だって、自分をちゃんと見られない人間が
どうして他人さまを見ることができる? って
いう気がするし。
たとえば、中島みゆ○さんの歌が人の心を打つのは、
彼女が彼女自身の内面について、逃げずにきちんと
向き合ってきた経験があって、そうした経験が
彼女の「背骨」になって、そこから歌が作られて
いるからだ、と思う。
単に「事象」の上っ面だけを言葉で撫でさすっただけで、
彼女の歌の歌詞ができているのではないからこそ
あれだけ人の心に響く歌詞になっているんじゃないの?
俺はそんなふうに思っているのだけど。
自分のしてきたことを振り返ってみることで
新たな発見もあるし、、。じゃあ、これから先
自分はどういう方向に進みたいのか、
進んだらいいのか、そうやって自分の現在位置の
確認をすることでわかってくることだってあるし。
まあね。世の中にはいろいろな人がいて
出た学校がどうの、顔がイケメンかどうか、とか
体つきがセクシーであるかどうかとか
ってあれこれと言う人もいるんだけどさ。
そういう人もいるんだけど、俺ならその人間が
どういう経験をしてきて、そのことからその人は
どういうことを吸収してきたのか。
どういうふうになってここに至ったのか。
俺は上にあげたようなことではなくて、一人の人間を
見たときにどういう経験をしてきたか、とか、そこから
何を吸収できたのか。人のそういう部分を見ることのほうが
よほど大事なことだと思うけどね。
だって「いい学校」出てる人でさ、人間的に見て
どうよ、って思う人なんてざらにいるじゃないか。
そういう今までの経験が、ちゃんと自分の中に
生かされていて財産になっている人間だったら、
顔のことどうのこうのって言わなくたって、そういう人って
自然に味のある表情になってると思うしさ。セクシーなのが
どうのこうのって言う人もいるけど、
セクシーさなんて、その本人はそういうことに気づいてなくて、
でもどうしてもそういうものがその人からにじみ出ててくる部分が、
他人の目を惹こうとするからセクシーなのであって、
セクシーになろうとか、おらセクシーだろう、って言ってる人間で
実際セクシーさが感じられた人間、っていう人、俺、見たこと
ないもの。
あ、話が脱線してしまった。
それはなかなかしんどい経験になりはするけれども、
もう一人の自分探し、 なんて言って目の前の
自分と向き合うことを避けててもさ、、
結局のところそれって現実の自分と向き合うことから
逃げようとしてる、っていうことだから、いつまで経っても
本当の自分はどこ、って探し回らないといけないし、
見つからなくて、加えて最後にはそういう状態に疲れ果てて、、
いうことにだってなると思うしさ、、。
ある時期、自分を見つめなおす、ということ。
それはものすごくしんどいこととは思うけど、
その後の自分を左右することでもあるし、
ものすごく重要なことだと俺は思うけどね。
× × ×
こないだ印刷所に原稿を出してホッとしたと思ったら、
昨日は朝からその原稿のことで電話が5回もあった。
もう終わった、と思ったのにのに。
原稿と言えば
謙介の原稿が載っている雑誌が3月1日に発売になりましたぁ。
と、言っても、この雑誌、四国島内くらいしか売ってないんだけど。(笑)
でもまぁ一行ご報告ということで。
(今日聴いた音楽 世情 歌 中島みゆき )
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