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11. 03. 17

いただいたもの

去年の暮れに、ご懇意にしてくださっていた
ある大学の元図書館長先生が本を出されました。
その本が仕事場に送られてきたのです。
本を出版される、ということは伺っていたので
差出人の名前を見て、『ああ、本だ。』と思いました。
でも本にしては、その包装、本の直方体の上に
さらにもうひとつ、別の小さな直方体が重なった
ちょっといびつな格好だったのです。
あけてみると本とともに
お香の小箱が同封されていたのです。
いびつな包装の理由が分かりました。

Senkou


先生とはその先生のお勤めの大学で謙介が
学会発表をすることになったときに、
司会をしていただいた、というご縁で知り合いに
なりました。
先生のご専門は書誌学だったのですが
宮川寅雄先生のお弟子でした。
ということで、宮川先生のさらに先生である
秋草道人会津八一先生にも教えを受けた方でもありました。


そうした経緯で会津先生の著書には書かれていないような
さまざまな裏のお話までいろいろとお伺いすることが何度か
ありました。

先生とお話していくうちに会津八一→書道→奈良、というふうに
話がどんどん深くなっていきました。
そして他の仕事場の、それもこんな粗雑な人間に機会あるごとに
お声をかけていただき、親しくさせていただくことになりました。

先生は、日ごろは温厚で穏やかな方だったのですが
ご自身の研究の時は、さすがに絶対に厳密な解釈を
求めて、「この程度でもええやんか。」という妥協は
一切なさらない方です。
なるほど、会津先生門下だったら、学問に対する
姿勢は厳しくて当然か、と納得もしました。

先生のおっしょさんのそのまたおっしょさんの
会津先生は、歌人であり、書家であり、また国文学者でも
いらっしゃったのですが、学問的に妥協を許さず、
厳密さを非常に要求する厳しい先生でした。

またよく言えば朴訥、悪く言えば他への説明不足のまま
行動することがよくありました。
ご本人の頭の中では、ちゃんと筋道だった考えのもとに
なさっていることでも、他の人には、経緯とか理由について
何の説明もなく、先に先生の行動とか主張だけが出てくるために
誤解され、他の国文学者や歌人の方からは
どうも疎まれたところがありましたし、先生自身が
あまりそうした大勢の組織にいる、ということを
潔し、と思わなかったこともあって
それで「独自の境地をひらかれた」、という言われ方を
する方です。
喧嘩早くて、学問の峻厳さを求めるあまりに他と妥協せず、
お弟子も生涯に何度も「お前は勘当」とか「お前とはもう絶交」という
ことを言われた人もいます。(でも、その後で、何となく元に
戻す、というところがありました。)

会津先生は歌人でもありましたし、また、書家でも
ありました。先生の書を見ますと、金石文にはじまって
さまざまな時代の中国の書を繰り返し繰り返し練習
されたのだ、ということがものすごくよく分かります。
そんなふうな幅広い中国の書の基礎の上に
書を勉強した人間が見たら、誰しもすぐあ、あれは
会津八一の書だ、とひと目でわかる独自の書を
つくりあげた方でした。 今も会津先生の書は
ものすごい人気があります。
書道雑誌でも何度も何度も繰りかえし
会津八一の書の特集が組まれるのは
そうした人気の高さのあらわれ、と思うのです。


俺も何度か宿泊したことがありましたが
かつて奈良の登大路町、国立博物館の道を隔てて北側に
日吉館という旅館がありました。
ここを定宿にして早稲田の先生だった会津先生は
奈良の処々方々のお寺を巡って、その仏像、
建物の美しさを詩文に発表していかれたのでした。

この日吉館は看板からして
会津先生の書でしたし、旅館の中の随所に会津先生の
作品がありました。
そうそう日吉館の晩ご飯は必ずすき焼き、と決まって
いたのですが、
それも会津先生が貧乏な学生に
少しでも身体にいいものを、という発案ではじまった、
もの、と聞いています。
この旅館、相部屋が基本で、いつもものすごい数の宿泊客が
ありました。母屋の外にプレハブの小さい家を建てて
そこにお客さんを収容したこともありました。
それでも奈良の好きな、仏像、古建築の好きな人は
このおんぼろ旅館に集まって相部屋で今日は
奈良のどこに行った、あしたは、山の辺の道へ行く
とか話したものでした。 


本に添えられたお手紙には、
そういう会津先生・宮川先生の学恩のこともあって、
お香は唐招提寺のお香を選びました、とありました。

唐招提寺というと、学部生だったときの友達が
庭師の補助、というバイトをしていたのですが、
その庭師さん、唐招提寺の専属だったそうで
バイトの彼も毎日トラックに乗って、京都から
奈良の西の京の唐招提寺通っていたのです。

ということで、謙介にとって唐招提寺は
友達のバイト先だったりします。

大学のころは時間割の関係で1時限めと4時限目が
講義で、2・3時限目が空いていたりすることもありました。
そんなときにはよく奈良に行きました。
東大寺の大仏殿の北側の芝生でぼんやり寝っころがって
空を見たり、西の京の薬師寺や唐招提寺を訪ねたり
西大寺で降りて秋篠寺を訪ねたり、、。

謙介、ちょうど2・3回生のときに日本美術史の講義をとったのですが
その講義の先生が森暢先生でした。
森先生は堀辰雄の文章の中にM君だったり森君の名で出てきます。


森先生からは、厳しく教えられた
ということは全然なくて、先生はただただ
日本の仏教美術が大好きで、毎回ご自身が撮影された国宝や
重文の仏像や建築のスライドを、学生に
山のように見せながら、それぞれの見るべき
ポイントの説明をしていってくださいました。
美術史の授業で習った仏像の見方、
寺社建築の見方は、今まで考えたことも
なかったまた新しい視点でそうした文化財を
見ることにつながりました。


本をお送りくださった先生にも
謙介にもそれまでの中で出会った
たくさんの人から教えられたことが
自分の中にあります。

もちろん先生だけではありません。
今までさまざまな方と出会って
そこからいろいろと触発されたり教えられたことは
本当に数え切れません。
それは学校の先生だけでなくて
友達だったり近所のおっちゃんおばちゃんだったり
身近な人、本で読んだり見たり聞いたりしたこと。
そんなひとつひとつが寄り集まって
今の謙介となっているのだ、ということを
改めて思いました。

今は年度末で何かに忙しく
時間が取れないのですが、やがて
落ち着いたらお送りくださった本を読みたいと
思います。

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