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11. 02. 07

なんでもあり

あれははるか前のことなのですが
今でも覚えている東京駅での光景です。
ただ日にちは覚えています。2月26日。
2.26事件の日の東京だった、というので、
今も覚えているのですが。
俺は新幹線のホームにいました。
すると下の在来線のホームに青い客車がホームに
停車しているのが見えました。
行き先はそこからは見えなくて、ただ「団体専用」と書かれた
表示は見えたのです。
で、見ていたら、びっくりしたのが、その乗客でした。
乗客は相撲の力士さんたちでした。
場所の準備のために先に行く、ということだったのでしょう。
今年はその団体専用車は走らない、
ということになった、ようです。


はてさて。
俺は前々から言っているようにお相撲をスポーツだと
したところからすべての問題が起こってきたように
思います。近代のスポーツだと、どうしても結果は
公正で明白なものでなくてはなりません。


そんなもの、前から「あの力士は注射が効くけれど、
この力士は注射が効かない。」なんていう話は
当たり前のようにあった話です。

お相撲と八百長なんて、そもそもがですよ、
神様とお相撲を取って
神様を勝たせることによって、神様のご機嫌を取って
豊作を呼び込もうとした、というのが、どうも最初の
形態ですから、最初からそういう勝ち負けという
ことに関して言えば、「非常に意図的」なものだったわけです。


そんなもの今さら謙介がここで言わなくっても
落語に事情があってわざと勝ち負けを変更するなんて
いうような噺はよく聞いてきたはずです。
相撲って「そういうもの」だ、ってみんな思っていたと思います。


というより、元の日本の文化というものが
「表立って言うのであれば、それはダメなことだけど、
でもまぁ、こっそりだったらそういうのもあり、で
良いんじゃないの? 」
っていう考えで何でも認めていた懐の深い
文化だったはずです。


たとえば、
もともと日本には土着の民間信仰がありました。
そこに仏教が後から入ってきたときも
「まぁこういう神さんもありね。」と言って取り込んで
しまった。

また日本で仏教を広めたのも、日本の
坊さんですから、お釈迦さまの考えた仏教を土台に
すっかり日本化させたものに変えてしまいました。

あの世とこの世を作りましょう、とか
お彼岸とお盆を作りましょう、とか言って
神さんに近いような仏教にしてしまった。
それでも仏教なんだからオッケー、ってしてしまったのが
日本の文化だと思います。

話は一気になまぐさくなりますが、
本妻さんのほかに二号さんを作る。
確かにそれは法律上はいけないことです。
でも、そういうことをこっそりしてる人、
結構いました、いや、います、よね。


謙介が毎週乗っている高速道路だってそうです。
80キロ制限の場所で、80キロで走っている
ドライバーなんてほとんどいません。
みんな100キロ110キロで走っています。

トラックやバスは高速の制限時速は80キロ
なんですが、80キロで走っているバスや
トラックいたらお目にかかりたいわ、と思うくらい
誰もそんな速度でなんて走っていません。
軽自動車は普通車より制限速度が低く設定
してありますが、そんなことお構いなしの軽は
びゅんびゅん走ります。
ひょっとしたら、軽のドライバーって普通車より
制限速度が低いのなんて知らない、んじゃ
ないですかね。


決まりはそうだけど、まぁそれはそれとして、です。

で、たまにいつもの調子で走っていて、
警察のネズミ捕りなんかに捕まってしまったら
みんな必ず言うわけです。
「みんな制限時速なんか守って走っているやつなんて
いないのに、どうして俺だけ捕まるんだよォォォォ。」って。

ぎちぎちに法秩序がどうだから、こうこうで
なんて言わない。確かに法律上はそうです。
でも、まぁ、こっそりと、、まぁまぁ、っていうのが
日本の文化じゃなかったですか。
そういうところから「本音と建前」という言葉も
できていたわけで、、。
でも、最近ウィキなんとかのおかげで
本音と建前って日本文化の特徴かしらん、と
思っていたら、なんとなんと世界中の外交当局が
日本人みたいに本音と建前で話をしていた、ということが
発覚してしまいましたですね。(笑)

適当になんでもあり、の考え方って
日本の文化、というより、アジアの根底の文化って
そうじゃないですかね。湿潤な気候の場所って
何でもきちんと片付けたり割り切ることができません。
建物だって、石と違って、きっちりと、っていうのが
できません。建材だって木だったり草だったりしますから
やがて収縮とか膨張が起こっていろいろ変化をします。
石は変わりませんが、そういう土とか植物は変化します。
適当にしておかざるを得ない。

ある部分では「形式」を重んじながらも
ほどほどにいい加減。
あ、いい加減、と言っては、いけません。
「間」があった、と。

お相撲だってそうだったはずです。
さっきも言ったように、注射の効く人、
まじめにそういうことは受け付けなくて
実力一本でやってきた注射の効かない人。
それはおそらくこの私たちの住む社会の縮図でも
あったか、と思います。
まじめにやっている人もいる、
かげでこっそり、、という人もいる
でもそういう人たちだって
適当にしてるときもあるけど、また
それでも真剣にやっているときもある。
確かに褒められたことではないですが、
まぁ、ねぇ、、、と目をつぶる、ということも
あったりします。


そうやってずっとやってきたのに、、
だからお相撲に、そんな清らかさばっかり
要求してもなぁ、、、って思います。
確かにクリア、というのも一つの方向ですが、
お相撲がそういうふうに
キチキチと四角四面に
なっていくと、今度は懐の深さとか
余裕のなさ、っていうのが
どんどん失われていくように
思います。
マスコミが街頭インタビューをしたら
それはどうしたって「公式見解」を述べないと
いけないですから、自然に「八百長はよくない。」
とか、「怪しからん! 公明正大にせよ。」
と言うでしょう。でもそれこそ、本音としては
どうなんでしょうね。

日本の文化はなんでもあり、で、
そういういろいろな幅を持たせた、持ったものを
こっそり認めていたからこそ、
この国の文化が何でも柔軟に受け入れることのできる
下地を持っていた、のではないですかね。
歌舞伎なんかまさにそうじゃないですか?
あれはもうなんでもありのお芝居でしょ。


ひとつのことに特化して専門化していく部分と同時に
片方では「なんでもあり♪」というくらいの
幅の広さの度量がなくて、それこそこの先日本って国は
やっていけないんじゃないですかね。

文化って、無駄ばっかりでお金をじゃんじゃん使うし、
それでいて、どういう「成果が出たか」と言われたらさっぱり
目に見えるものがなかったり、と
効率はよくないです。 経済効率から見たら、無駄だらけじゃないか!
浪費なんてしたら許さん! とか言って、青筋立てて
怒りそうなものですが。


でも、そういう一見無駄そうな
ものの中から、ひょっとしたら、新しい次の
何かを生み出す元が生まれてくるやもしれないんじゃ
ないですか。

お決まり、とか、基本原則、っていうような
お堅い公式見解とはまた別に
そういう幅の広さ、懐の深さ、清濁あわせ持つ度量っていうのが
もう少しこの国のいろいろな場面で必要なようにも
思います。あんまり最近の言葉の
「多様性」とか「柔軟性」という言葉は好きじゃないんですけどね。
余情とか、余韻とか、間とか、そういうふうな、
ちょっとした「ところ」ですねぇ、、。それがないと
息が詰まります、って。
キリキリとしている中からは、おもしろいものは
なかなか出てこないんじゃないかなぁ、、。

お相撲の話から、そんなことを考えたのでした。

(今日聴いた音楽 山下達郎 高気圧ガール
 1983年 アルバムMELODIES から
 音源はLPレコード
 この曲、以前、某航空会社のCMに使われていたので
 CM音楽としては、二度目のお勤めですね。)


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Comments

どこの国でも本音と建前って気がつかないふりをするものですよねぇ。アフリカにあるイスラム国に住んでいた友人に聞いた話です。ラマダーンの間は日のあるうちに飲んだり食べたりは禁止ですが、規則には例外があって、妊婦さんはいいとか、病人はいいとかいう中に、旅行中の人は断食しなくていいというのがあるんだそうです。そこで断食したくない人は、ホテルに泊まって旅行中ということにして美味しいものを食べるんだとか。もちろんそんなことをしなくても、我慢できなくて隠れて食べる人もいるそうで、誰から隠れてるのか聞いてみたい衝動に駆られると友人は言ってました。神様から隠れるわけにはいかないでしょうにね。
大変偉い文学の先生が、ぼんやりごろごろしている時間がとても大切で、ぼうっとしている時にいい考えを思いつくとおっしゃってましたが、無駄な時間て必要ですよね。(その先生のはごろごろする言い訳も多分に含んでましたけど。私の夫もよくこの意見に賛同しつつソファに寝そべって動きません。)

Posted by: アリクイ | 11. 02. 08 at 오후 1:58

野球やサッカーのように、アマチュアの裾野があって、少年リーグで勝ちあがってきた選手がプロ入りするって図式を相撲は目指してるんでしょうね。その為には、八百長撲滅は不可欠でしょう。
格闘技は15日連続の真剣勝負は難しんじゃないでしょうか。スポーツに徹するなら、柔道やレスリングのような、団体の勝ち抜き戦やトーナメント戦にする必要があると思います。
でも、相撲はあまりにもしがらみが多すぎて、清く正しいスポーツになるのは困難だと思いますよ。公益法人の地位を守りたいなら、伝統芸能として儀式性を強めていく方法もありますけど、それでは力士もお金も集まらないでしょうし。
私はプロレスのように興行に徹するのが良いと思います。プロレスはピエロのようなレスラーがコミックプレイをする試合もあれば、力と力のぶつかり合いの試合もあり、試合編成のよいお手本になると思いますよ。

Posted by: mishima | 11. 02. 08 at 오후 2:32

---アリクイさん

どこの国だって、そんな杓子定規にキチキチとはいかないと思います。あの堅い、と言われるドイツの人たちだって、個人的にはシャレのわかるおもしろい人だってたくさんいます(よね。)ですからやはりこういうふうに適当なところで融通をきかす、というのがやっぱりあるだろう、と思います。でも、謙介のこの意見はおそらく今の段階では時期尚早なのだと思います。今はとりあえず厳しい方向に針がふれています。そうしてしばらくそういう時期があって、やがてまた針が動く時期が来るのだろう、とは思いますが、、。文学なんて、経済効率から言えば無駄の極致みたいな(笑)もので、だから、この不景気のときには一番はやらない方面で、大学の文学部なんて、どこも存亡の危機にあります。でも、本当はこういう無駄とかカオスのようなわけのわからないものの中から、ひょっとして次の時代の新しい「何か」が生まれてくるような気がするんですけどね。何せ効率・無駄はダメだけでは、先枯れてしまうんじゃないでしょうか。

Posted by: 謙介 | 11. 02. 08 at 오후 8:28

---mishimaさん
なんだかあっちこっちのマスコミの報道見ていたら、全然実証性がなくて、ほとんど伝聞とか想像ばっかりで書かれた記事ばかりでした。しかもそんな想像の記事にさらに見出しをつけてあおるものですから、センセーショナルな見出しばかりです。そうして真実はさっぱりわかりません。mishimaさんもお話のように大体が「興業」なのですから、そういうふうな考えのもとにやればいいのになぁ、、。と思います。とは言っても、最後、ほとんど何の変化もなく、また日本相撲協会に戻っていくのではないか、と思っているのですが、、。(そう大して変わるはずもないように思います。)

Posted by: 謙介 | 11. 02. 08 at 오후 8:43

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