そや京都、いってきたろ。(その2)
京都に行くときも、以前は新幹線とか自分の車、
というのも結構あったのですが最近はバスです。
実家から歩いて7分くらいで高速バスの停留所が
あるので、そこで待っていたら、オッケーです。
バスに乗ってしまったら、もう何も乗り換え無しに
京都に連れていってくれますし。
新幹線だとJRの駅まで行かないといけないし。
そのうえ岡山乗換えが面倒です。
一度降りて、1階から3階の新幹線ホームに
行かないといけません。荷物が多いと結構大変です。
バスだと歩いてバス停に行って、そのまま乗って
京都なり、大阪なり、東京だって行けますし、、。
ということで最近の上洛、圧倒的にバス利用で、
というのが多くなりました。
今日は一番前の席なので見晴らしがいいです。
ただ一番前の席だと前に足を伸ばせないので、
ちょっと窮屈なんですけどね。
ここが正真正銘のナルトだってばよ、です。(笑)
今日のこの時間はまだうずしおは
いまひとつ、はっきりしてはいませんでした。
バスは定刻より15分ほど早く京都駅に到着しました。
今日は結構市バスに乗ると思うので
一日乗車券を買います。これだと500円で市内の
均一区間は市バスに乗り放題です。
(ただ地下鉄は乗れません。)
国立博物館へは歩いて行ってもいいのですが
(本当はもう国立じゃないんですけどね。笑)
今日は東山区 下京区 中京区 北区 右京区
と5か所をいちんちでまわるという欲張った計画なので
時間の短縮を考えてバスにしまし、、
オッと、市バスの乗り場、
すんごい人の行列です。
まぁ市内循環のバスは便数も多いから、と思っていたら、
すぐに次のが来て難なく乗れました。
東山七条に行くのは、観光名所の清水とか祇園を通って
銀閣のほうに行くからすんごい人だったんですね。
乗ってから気がつきました。
京都駅から乗って、七条河原町、鴨川を渡って七条京阪
を越えて、三十三間堂前で降ります。
距離としてはそう大して走ったのでもないんですが、信号待ちとか
そこからの右折とかで、止まって待つ時間が結構長かったです。
これだったら、やっぱり歩いて行ったほうが早かったかなぁ、と
思いました。
結局三十三間堂で降りたのは
満員のバスの中で、俺をいれて二人でした。
降りたら目の前が博物館です。
やはりここに来たら、ふふふ、これです。
アップでおます。
なんなんだこれは。
前に回ってみましょう。
オーギュスト・ロダン作の考える人でございましたぁ。
アホなことは止めて、早速入ることにします。
謙介は中学と高校の国語科の教員免許のほかに
高校の書道科のも取ったのですが
(前にそんなことを知り合いに話をしたら、え?
そんなものがあるの? って言われてこっちが絶句して
してしまいました。 高校の芸術科目に音楽とか美術とともに
書道というのがあって、その教員免許です。)その教職科目に書道史
というのがあって、それで中国の書道史、日本の書道史
を両方勉強しないといけませんでした。
この展覧会はそのときに習った書家の、作品の実物がほとんど
全部出てくるという展覧会です。
入ってみますと、最初のところ、人がわんさかいました。
あれ、どうしてなんでしょうね。
どこの展覧会に行っても、最初のところで
人が団子になっていて、、見づらい見づらい。
別に主催者の開催の言葉を読んでいる、と
いうのではないんです。
最初の展示品、というのでみなさん、
がんばって見てみよう!
とか思って、最初のはじっくり見るのでしょうね。
出陳されていた作品、それぞれにコメントしていっても
いいのですが、それをやっていると多分一ヶ月くらい
ずーっとそればっかりになりますし、、。
このブログを読んでくださっている方々にあまりに詳細に
書道の専門的なことばかり話してもなぁ、というので
かいつまんで書きます。
この展覧会の何がすごかった、のかといえば
中国の書道史の中で、この時代の代表的な
書家なら、まずこの人は必須でしょう、という書家の作品が
必ず展示されていた、ということです。
中には王羲之のように真筆作品のない書家もいますから、
(王羲之の作品は、全部秦の始皇帝が集めて
始皇帝が死ぬときに一緒に焼いてしまったから
王羲之の真筆の作品は今の世の中には1点もありません。)
そうした人の作品の拓本ももちろん
あったのですが。ところが有名な碑は何百人、何千人という人が拓本を
取りますから、石の材質とか、石碑ですから石がだんだん
風化だってしてきますし、だんだんその石に彫られた文字が
磨耗してくるわけです。
今回の拓本のものは拓本自体が古いものなので
拓本が鮮明で、質の高いものでした。
ですから展示物すべてがどれも価値の高い
上質なものの展示でした。
そうしたものが一堂に展示される機会はそうたびたびは
ありません。そういうわけでこの展覧会は謙介的には
ものすごい展覧会だった、ということなのです。
それからやはり書道史上有名な書家の作品の実物は
自分自身の勉強として、一度絶対に見ておかないといけない、と
思ったのでした。
展示の最後になって清の時代の書家、呉昌碩(ごしょうせき)
の作品がありました。楷書の先生に「謙介は呉昌碩
勉強したらええで。線の強さが勉強になるわ。」と
言われ、その作品の臨書・倣書を練習して
ずいぶん勉強をさせてもらったので、今も
呉昌碩といえば謙介にはちょっと特別の思いが
あります。この書家は時代が清なので、まだ比較的新しく
作品も結構残っているのですが、今回の展示は、
いい作品が出陳されていました。
(これは呉昌碩が石鼓文を臨書した作品なのですが
それでも、線がいきいきとしていて、非常に鋭く、
形こそ臨書ですからお手本を写した、という格好ですが、
この字の線は明確に彼の強い個性が出ています。
臨書について、形を真似するばかりにこだわる人がいますが、
そんな形にこだわるのであれば、コピー機にさせたらいいんです。
コピー機のほうがよほど優秀でしょう。そうではなくて、
形こそ似せていますが、線はやはり書く人の持ち味を
そこに出さないと。臨書はこうでないといけない、という
見本のような臨書だと思います。)
呉昌碩の作品の周囲は誰もいなかったので、その作品の
前だけで20分くらいじーっと眺めていました。
ぎりぎり来た甲斐がありましたね。
それから戻って、「九成宮」とか「孟子廟堂碑」とか
「十七帖」とか書の基本的な作品をもう一度見ました。
すっかり堪能して、博物館を出ました。
(今日聴いた音楽 ベドルジハ・スメタナ作曲
連作交響詩 わが祖国 から 交響詩
モルダウ ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 演奏
1967年4月 ベルリンにおける録音
カラヤンは実はわが祖国の中で、このモルダウ
と高い城しか録音していないんです。でも、
演奏を聴いてみると、品のある彼の音楽に
なっているように思います。)
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Comments
あ,あのぉ。
嬴政はんではのぉて,李世民はんではあらしまへんやろか・・・(笑)
Posted by: Ikuno Hiroshi | 11. 02. 24 PM 9:34
---Ikuno Hiroshiさん
始皇帝ではなくて、太宗さん、ということなんですが、、。その件については、ヒシさんからも実はお話をいただいたんですが、、、。俺に書道史を教えた日展作家の中島皓象が一応そういう説を取っておりましたので、それをそのまま、といたしました。始皇帝が最初に王さんの書について執着をした、と。で、あっちに持っていってしまったのですが、実は、一つ王さんの書を復刻する方法がありまして。どうするのか、と言えば、王さんの石碑を拓本にとりまして、その上に薄い紙を置いて、その拓本の字の周囲を墨でなぞって枠をとるわけです。そうしてその枠を全部塗り絵にする。これを書道用語で双鉤填墨(そうこうてんぼく)というのですが、どうもその方法で太宗さんは王さんの字を集めまくっていた、と。それを持っていった、という解説を中島さんはしておりましたです。
Posted by: 謙介 | 11. 02. 24 PM 11:23