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11. 01. 05

年初に語りあったこと

Posuta


あけましておめでとうございます。
今年も何卒よろしくお願いいたします。


冒頭にこのポスターを持ってきたのは
二重の意味があります。
もちろん一つ目はこの映画の主演女優さんの
追悼の意味をこめてです。

それとともに、上の映画のポスターの砂浜が
俺にとっては社会人生活のスタートの場所でもあったわけで、
新しい年の初めに、もう一度、就職して仕事をはじめた時の
気持ちを思い出して、今年1年はやっていこう、という意味をこめて、
このポスターを持ってきました。
今年は自分にとっては原点回帰の年だと思っています。

実は年末から体調を崩していました。
咽喉が痛くて、鼻水が(ごめんなさい)出て、、
それでも熱は出なかったのが幸いで、
げほげほといいながら、仕事をしていました。
おかげさまで何とか休み中にしないといけなかった
3つの課題のうちの課題1、2は出来ました。

去年の紅白、実は後半しか見ていないんですけど、
今度も最後のほうでひどいものを見てしまいました。

1年の最後の最後になって、あんなものを
(正直あんなもの、って思いました。)見せられて、
あーあ本当にもう、と思った2010年の大晦日でした。

加えて翌日。
元旦に来た新聞を見てさらにげんなりしました。 
げんなり、というのか正直なところ
トホホ、という感じです。

お正月の新聞って、やたら筆文字の全面に出した
広告が多いじゃないですか。
それでウエブ版ではなくて、紙の新聞全国紙
4種類(朝日・読売・毎日・日経)を全部見てみたのですが、
本当に呆れたことに、俺が見た限り、ただの
ひとつとしてまともな筆文字の
広告がありませんでした。
正直言ってどれもこれも小学生レベルの字です。
ため息が出ました。


本格的にきちんと書道を習っている人は
ああいう新聞広告の題字は
おそらく書きはしないでしょう。
なぜなら、書と言うのは、単に字がどうこう、
という問題だけではないからです。

書の作品を構成するのは、
紙の大きさと字の割合、
墨の濃淡、かすれと濃いところ、
紙の色合いと墨の色合い。

こうしたもの全てを総合的に見て、
作品の評価というものを出すわけです。

ああいう新聞広告に字を、ということに
なった場合、墨の濃淡とか紙の色と墨の色の
コントラストなんて、全然そこに現われないでしょ?
ただ単に字がそこにあるだけです。
それでは全然書の鑑賞にはならないのです。

心ある書家であればあるほど、「そんなものお断り」
ということになろうかと思います。
そういうわけで、新聞広告に字を書きたがるのは、
やれちょっと美人だとか、テレビによく出てて有名っぽい人
とかいうふうな、本来評価されるべき字とは
全然関係のないところで有名になっている人が字を書く
ことになるのでしょう。
そうした結果、今年のお正月の新聞の
ようにどれもこれもひどい、という
状態になったのだと思います。
一体本物はどこに行っちゃったのでしょう、、。

そんな気持ちを抱えたまま、1月の2日になりました。 
この日の夕方から、以前の職場で
仲の良かった人たちとの集まりに出てきました。
(本当はしんどかったのですが、前々からの
約束だったので、どっこいしょ、と立ち上がって
出かけてきたわけです。)

その集まり、もうずいぶん前に一緒に1年間
仕事をしたチームの集まりだったのですが、
今も仲がよくて、大体5年に1度くらいの割合で
会を開いています。
あの時は一緒だった人たちも
今では全国・世界に散らばってしまって、こういう
ふうに「会を開くぞ! 」とでも言ってくれないと
集まれないようなことになっています。

その中に今ではある自動車メーカーで車の開発担当に
なっているSくんもきていました。
彼と最後のほうですっかり話し込んでしまいました。

彼が開発メンバーの中の一人になって作った軽自動車
があるのです。 画期的な車でした。
今までの軽の考えを根底から覆すような車でした。
燃費もよくて、走行距離が10万キロを越えて、
大人4人乗せて高速を走ってもリッター23キロくらい
走る車です。
結論から言うと、その車は全然売れず、今は製造中止に
なってしまいました。 今、軽に乗る人が欲しいのは
そういう「車の走り」ではくて、どこにカップを置く受け皿が
あるか、とか、シートにフックが付いてる付いてない、
というようなことです。
「だから全然売れなかった」と自嘲気味に彼は言っていました。
ただ専門家には受けたよー、とも。「ヨーロッパに持って
いったらよかったのに。」と俺も言いました。
「今という時代は、本物を出しても全然売れず、
見てくれのいい車ばっかり売れてなぁ。」 と
彼が言ったので、
俺も正月の新聞の字の話をしました。 
「本物を見てそれなりに評価できる人は
どんどん減ってしまって、いまや見てくればかりが言われる
世の中なんですね。」そんなことを2人でボツボツと話して
いたのでした。

それはブログもそうかもしれません。
アクセス数を誇るのがひとつの評価のように
なってしまっています。
でもうちのブログは、毎日アクセスしてくださる方は
ほんの少しの方々ではあるけれど、その中で
「お互いの気持ちを通い合わせる
ことができる人」と、お話ができたら
もうそれで十分、と思っています。
一日に何千アクセスあっても、
本当に気持ちの会話が出来うるのか
と言えば、本当のところはどうなのでしょう?

もちろんそういうブログとかサイトもあっていいのですが
それはちょっと、、俺の目指そうとしている方向では
ありません。

これからも地味ではありますが
自分の言葉で、自分の思うことを
書いていきたいと思います。

新しい年になりました。
今年も昨年同様よろしくお願いいたします。


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いなかのせいかつ」カテゴリの記事

Comments

新年あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。

ここは、物事を自分の目で判断し、自分の言葉でしっかりと語る、そういう貴重なブログですので、今年も読ませていただこうと思っております。一方で謙介さんの慧眼に甘え、鵜呑みにして思考のズルをしないよう、自戒する必要はありますが。


書に限らず、日本のいろいろな分野で、基本的なことができていない、基礎がガタガタになってきているという現象が起きているようです。ちゃんと文章を書く力すら低下しつつある。そう昔教わった先生方から聞いたこともあります。

仮にそうなら、社会がどんどん骨抜きになっている可能性があって、本当に怖いです。個人の努力で「本物」の水準を維持していくしかないのでしょうけど、絶対数が少ないでしょうから、限界がありそうです。焼け石に水でしょうか・・・

年はじめのコメントから暗い話題ですみません。

Posted by: どこかに | 11. 01. 07 at 오후 9:37

---どこかに さん
あけましておめでとうございます。
相も変わらず、自分の身のまわりのことをあれやこれやと言っているブログですが、今年もどうぞよろしくお願いいたします。
何が、どこがこの劣化の原因なのでしょう。まぁいろいろなものが総体的にじわじわと劣化しているので、今の状況になっている、ということなんでしょうか、、。
何かの水準を上げる、というのは、本当に時間とお金と一見無駄に思えることの積み重ねですが、そういうものが長い時間かかって、、ということなんでしょうね。
でも、そういう「余裕」が今この国にあるのか、というと、、。小泉さんがそういうゆとりを徹底的に壊してしまいました。情けないことですが、その0地点から何とかして上がっていかないといけない、とは思うのですが、、果たして、、ですねぇ。

Posted by: 謙介 | 11. 01. 07 at 오후 10:21

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