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11. 01. 26

伝えるための方法

先週の研修会の途中の休憩時間に
文章の書き方の話になりました。

結構みなさん文章というか、
伝え方で悩んでいることが多いようです。
しかもそういうお悩みは
個人差が大きいのです。
安田さんはこのことで
佳山さんはこのレベルで、というふうに
それぞれお悩みがいろいろでした。

例えばこんなの。
「や」と「と」とどう違うの? 
っていうの。
みかんやりんごやキウイや、っていうときの「や」と
みかんとりんごとキウイと、っていうときの「と」と。
「や」と「と」とどう違うのさ、というお話。
どこがどう違うのか、ったって、説明、できます? (笑)

俺も仕事で公文書を書くことがよくあります。
公文書は形式がありますから、その形式に当てはめて
書いていれば、そうそう問題は起こりません。
公文のことを無味乾燥で味気ないと言う人もいますが、
公文は最低限必要なことだけを伝える文章でいいのです。
変に感情が入ると受け取り手の側それぞれで
読み方が変わる場合も出て来ると思いますし。
なるべく誤解を生じさせないようにするには
文章に感情を持ち込まないことが一番なのでは
ないか、と思います。

謙介は仕事場で広報も担当しているのですが
お役目上、お知らせの文章も書くことが
よくあります。 そういうお知らせの文章書く
時に気をつけているのは、やはり一文を短くする、ということでしょうか。
文章が長くなると、主語と述語がねじれてきて
ねじれた結果、訳の分からない文章になりますからね。


それから話し言葉は絶対に遣わないこと、ですね。
謙介、ブログの文章はこんなふうに書いていますが
もちろん使い分けはちゃんとしています。
論文を書くときは論文の文章で、公文書の時は
公文書の文章で、というふうに。

例えば上の
「どこがどう違うのか、ったって、説明、できます? 」
はもちろん話し言葉ですよね。これが、書き言葉だと
「どこがどのように違うのかという点について、説明できるでしょうか。」
となりますかね。

後は、第三者が読んで、意味の通る文章に
なっているのか、というところはやはり見ます。
本人は意味が分かってる、そりゃそうですが
他人がその文章を読んで果たして理解できるのか?
意味不明な文章、結構見るんですけどね。
(特にブログで。)
それでは困るので、ちゃんとした文章を書きたい、
と思っています。

ただ、
うちのブログの文体はなるべく
話し言葉に近いような文体で書いています。
というのが、理由がいくつかあります。
ひとつは、まずブログの文章だ、ということ。
堅いと読みづらいでしょ。
ふたつには、うちのブログ、一回の文章が
長いから、やはり話し言葉でつないでいったほうが
読み手にだってとっつきやすいだろう、ということを
思います。

で、実は俺が結構気にしているのが方言の処理です。
やっぱり標準語の文体の中に方言を入れると
どうしても違和感が生じます。 

その人の方言がどう固まるのか、いうことに関して言えば、
その人が大体12~13歳の時に住んでいた場所の言葉が
その人の一生の言葉のベースになります。
相手の言葉を聞いて理解できる能力、とか
解釈できる能力とか、その時期が一番いいのです。
方言だけではなくて、外国語の学習時期としてみてもそうです。

だから外国語教育を開始するのは、12歳から13歳が
いい、と、これは言語学で実験調査の結果が出ていること
なんです。
そういうふうな科学的な調査結果を無視して、
早期英語教育を進めよう、
っていう人の論拠が俺は分かりません。
だってあんなの「よその国もやってるから。」っていうだけでしょ。

話を元に戻します。
そういう方言の中で生きてきた人にとっては
標準語の中に彼の生来の方言を入れても
気にならないかもしれないんですが、他地方の
人間がそれを読むと、案外違和感があって、、って
気になる人もいるようです。

大学の時に実践文章講座という授業を受けたのですが
その時に、そうした文章の中に方言をどう入れたらいいのか
で、ものすごい討議になりました。
俺としてみれば、その程度のことで違和感がある?
ということでしたが、結構違和感があるよ、っていう人が
いて、ちょっとした驚きでした。
結論から言えば、その文章が誰に向かって発せられるのか、
どういう性格の文章なのか、
まぁケースバイケースですね、というところに
落ち着きはしたのですが。 
その時に、方言を標準語の中に入れて、なおかつ自然に見せるには
やはりその異質なもの同士を自然に見せる
何らかの処理が要るな、ということを思ったのでした。

ですから、逆に俺がうちのブログで方言を遣っている場合は
かなり意図的に、その言葉とか前後の内容を目立たせたい
時に遣うようにしています。

こういう基本の文体の中に、別の言語を挿入していって
しかも読み手の側にその挿入について
違和感を持たせないようにするの、って結構気を遣います。

実は謙介、何年か前に小説を書いて、
ある文学賞に応募して新人賞をいただいたことがあるんですが、
その時の作品、ハングルの会話が何箇所かありました。
日本人にも韓国語というのが身近には
なってきたようにも思うのですが、それでも
まだ韓国語の会話が出てくると、ちょっと、という
方も多いと思います。 読み手は全然韓国語を
知らない、と仮定して、そういう人にでも日本語の地の文章と
韓国語の台詞がそれぞれ違和感を持たせないように
しかも韓国語の意味を自然な日本語で理解していただける
部分にものすごく神経を遣いました。 書き手としては
小説のプロットよりそっちのほうを注意したかもしれません。(笑)
でも、そのおかげで審査委員の先生から後の講評で
日本語と韓国語が違和感なく自然に並立していた
と言われ、苦労した甲斐があったなぁ、と思ったことが
あります。
そういうふうに異なる言葉を入れるって、結構
気を遣ったりします。


それと今、謙介がインタビューに書かれた話し言葉を聞いていて
すごく気になるのは、自分の家族のことに
ついて話をしているのに、敬称をつけて
話をしている人が多いことです。
日本語がいつの間にやら
韓国語化してきているなぁ、って思います。(笑)

韓国語は、「絶対敬語」です。電話で他所からかかってきて
「おとうさまはおいでですか? 」と聞かれた場合
「いいえ、うちのおとうさまはただいまるすです。」
と人に話をするときも自分の身内に必ず敬語をつけます。


それに反して日本語は相対敬語だったはずなんですが、、。
「おとうさまはおいでですか? 」
「いえ、父はただいま留守にいたしております。」
とか、「山内はただいま席を外しております。」
というふうに身内は呼び捨てにします。
つまりはこちらの立場を下げて、
相対的に相手の立場を上にすることで、
相手に対する敬意を表現する、というのが日本語
なんですが、インタビュー記事なんかを
見ていたら、誰かに話すときに
「うちのお父さんは」なんて言っていて。
うーん。「うちの父は」って言える人が減ったなぁ、、
って思います。

いつでも誰にでも同じように言う、というのは
単純で楽ではありますが、
そういうふうに相手がいる場合は、こちらの立場は
こう。 いない場合はこう、と言い方を変えることが
できるのって、結構切り替えが必要で、頭を使う
ということにもなって、そこが日本人の細かな言語感覚の
あらわれ、でもある、と俺は思ってるんですけどね。

このままだと、韓国語みたいに絶対敬語化していって
しまうのでしょうかねぇ。
最近、インタビュー記事を読んでて、こういう敬語表現が
すごく気になっているのです。


(今日聴いた音楽 KEITH JARRETT ピアノ
 ケルンコンサート から 1975年 1月24日演奏分
 PART1 ずいぶん以前、どこかメーjカーのオーディオ機器
 のコマーシャルで (たぶん パイオニ○では、なかったのか)
 使われていて、衝撃的だったのを覚えています。何度聴いた
 ことか。黙想の時、この曲を聴きながら考えを深化させる
 ことが多いです。)

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Comments

や」と「と」の違いですか(;;;´Д`)ゝ
「や」は複数ある同類のものの代表をあげる場合で、「と」はあげたもの限定の場合じゃないでしょうか。
なので「みかんやりんごやキウイ」と言う時には、同じ果物である梨や柿も入る可能性を感じますが、「みかんとりんごとキウイ」と言うときには、梨や柿は除外されてると感じます。

Posted by: mishima | 11. 01. 29 at 오후 12:18

---mishimaさん
たぶんそうだと思うんです。現代日本語ではmishimaさんのおっしゃる用法で合ってると思います。俺もすぐにそうですよね、って言いました。 ただね基本としてはそうなんですど、方言の中に、そういう使い方もするけど、別の使い方で使う、という場合もありまして、それで、ちゃんとこれはこう、と言い切ることができるかなぁ、とついあれこれと余計なことまで考えてしまうことがありまして、それで非常に歯切れのよくない書き方をした、わけなんですよ。専門って却ってダメですね。あれこれと深読みしそうになってしまいます。(笑)

Posted by: 謙介 | 11. 01. 29 at 오후 3:30

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