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10. 12. 20

愚痴聞き屋

今日、臨床心理の専門の人から
最近、愚痴聞きビジネス、というのがあって
それが繁盛しているのだ、という話を聞いた。

電話で話をして、料金は10分1000円なのだとか。
お話を聞いてもらって、すっとしたところで
料金を振り込むのだとか。
たいてい1時間ぐらい話をする人が多いので
6000円とか、人によったら1万を超える、という
人もいるらしい。

はぁ、世の中にはこういう仕事もあるんだ、
って思ったりした。

今から10年くらい前のこと、親しかった友達が
悩む時期に入っていたみたいで
毎日電話がかかってきていた。
彼の仕事なんて、俺とは全然専門が違っていたから
理解する、なんて出来ないと思ったけど、
まぁそうだったからこそ。俺は余計な質問もせずに
ふうん、ふうん、ただ聞くだけにしていた。
でも、案外、その「聞くだけ」というのがよかったみたいで、
彼から二日に一度、電話がかかってきた。
今、こういう悩みがあって、こういうふうに
なっているんだ、と。

でも、俺なんか、彼のしんどい悩みを聞くだけが
精一杯でさ。

あるとき、本当に俺、すまない、って思ってね。
だって、まぁ相槌こそ打ってるけど、彼の生きかたの話とか
もっと聞かないと、わかんない部分もあってね。

で、彼もやっぱりどうしても自分の中の
一番ドロドロとしている部分は、俺に聞かせたら
申し訳ない、とか思って自己規制してるから
時々要領を得ない部分も出てきてさ。

でも、余計な口を挟まないで、聞くだけ
ずっと聞いた。
2日に一度の電話が、そう1カ月くらい続いたころかな。

彼がぽつり、と最後に言った。
「ありがとう。気持ちが軽くなったよ。」って。
本当のところはどうだかはわかんなかった。
どこまで彼の気持ちが晴れたのか、
それは俺にはわかんなかったけれども
そう言ってもらったら、こちらも
彼の話につきあってきた甲斐があったように思った。


今の世の中、相互の重たい人間関係は嫌だ、
というところもあってさ、
そういう「話を聞いてもらう」っていう
友達が少ないんだろうね。

あるときには友達の話を聞くし、
またあるときには自分のことを聞いてもらう。
俺が大学行ってたころは、結構そういう友達が
周囲にいたけどなぁ、、。

自分のことの相談で話を聞いてもらって徹夜してしまった、
とか、逆に友達の相談を受けて、それについていろいろと
話をしているうちに、気がついたら夜があけてた、とか
結構そういうの、ってあったんだけど、、。


何か最近の人の人間関係みてたら、
そういうの、って、ないんだとか。
確かにそういうの、ってしんどいことでは
あるんだよ。 人の話を聞くと、どうしても
「自分」っていうものがあるから、それと比較
したがるでしょ。そうなったら、やっぱり自分も
考えてしまわざるを得ないし、、。そうなったら
考えて考えて考えて、自分のほうが胃が痛くなって
しまったり、する。
まぁ確かにね、人の話を聞く、っていうのも、
なかなか簡単なことではない。
結構骨の折れることではあるね。

だけどさ、でもお互いの話を聞いたり話したりしながら
やっぱり最終的に自分は、自分なら、っていうことを考えてさ。
そういう意味で、人の話を聞くことは、
「自分の心の中をよく見る」ことでもあったんだけどね。
そこから、自分の気持ちに気づいたりすることも
結構あったよ。

今はそういう自分の気持ちを
お金を出して聞いてもらう、っていうふうに
なったのか、、って思うと、謙介はやっぱりちょっと
複雑な感慨を抱かざるを得ないんだけど、さ。

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Comments

謙介さん、新年おめでとうございます。

癌になって分かったことは、友達に二種類あり、癌と聞いて、むやみに同情を押し売りするタイプ(でも引いているのがありあり)と、何も言わず、こちらの辛さを聞いてくれるタイプ(聞くのも辛いだろうが、いつもつきあってくれる)とあることでした。もし愚痴を黙って聞いてくれるのであれば良いカウンセラーだと思います。精神科医と同じ効果があるのではないでしょうか。商売であれ、ボランテイアであれ、もしそういう人がいれば助かる人が世の中には結構いるのではないでしょうか。

あんまりに嫌な経験をしたので(ある友人は癌の告知で落ち込んでいる僕にホスピスの記事を親切心でくれました)、聞いてくれるだけの人がいればいいなあと僕自身も何度か思っています。

Posted by: まさぞう | 11. 01. 04 at 오후 9:17

---まさぞうさん
お返事すっかり遅くなってしまい申し訳ありません。 あけましておめでとうございます。

そうですか。まさぞうさんもそういうご体験がおありだったのですね。

多分相手はそんなに悪気はありはしない、とは思うのですが、俺もやはりちょっとなぁ、という対応を何度もされて一時何か人間不信になったこともありました。

この「愚痴聞き屋」さんは心理学のトレーニングも受けておられる、と聞いていたので、カウンセリング、ともちょっと違うかもしれませんが、自分の心とか気持ちの安定のために、そういう機会があるなら利用されていいのではないか、と思います。変に友達と話をして「ちっとも分かってくれない。」と、落ち込むより、そういう専門の人に話したほうが、精神安定上もいいかもしれないなぁ、と思います。
新しい年になりました。今年もいろいろなお話をお聞かせくださいね。楽しみにしておりますので。

Posted by: 謙介 | 11. 01. 05 at 오후 10:50

年も明けて、大分経ちまして、引っかかっていた日記に今更コメントを。。。最近「傾聴」というか、「傾聴愛」という言葉を聞きまして。僕も、聞いてもらうということをずっと欲していた、ということに気付くことがありました。本人はあまり意識してなかったんですけど。それから、意識しすぎなのかもしれないけれど、周りにも、話を聞いてほしいんだな、と思われる人をよく見かけるようになりまして。こうしろとかアドバイスする訳でもなく、解決案を提示する訳でもなく、単に聞く、というのは、何もしていないようで実は、大事なことだと思います。

Posted by: ともぞう | 11. 01. 18 at 오후 3:40

---ともぞうさん
明けましておめでとうございます。いえいえ時間の流れというのは、昨日の阪神淡路大震災のところでも書かせていただきましたが、人さまざまと思うんです。遅いといってもそれは相手にとっての話で、本人の中ではそれなりに心の習熟とかまとまりができて、お話するようなことになる、ということがありますから、決して遅い、ということはない、と俺は思っています。
人の話を聞く、というのは、精神分析のカウンセリングの基本中の基本、と聞いたことがあります。聞き手が、相手の話を聞いて勝手に結論めいたことを言うのではなくて、相手が自分の心の中を話すことで、自分自身に振り返りができて、客観的に見られるようになって、気づく、ということだってありますもん。そういう話を聞いてもらう、もらえる、という存在は、ともぞうさんのおっしゃるようにやはり大きな存在じゃないか、って俺も思います。

Posted by: 謙介 | 11. 01. 18 at 오후 7:25

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