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10. 11. 27

何で「関西弁」って言ってしまうのか

実は研修、今日までなのですが。
なので後もうちょっと。


横の席の人が生粋の高知市の生まれの人なので
毎日シャワーのように高知の言葉を聞いています。

よく言われることにテレビドラマに出てくる方言は変、
というのがあります。
前に大学の時の恩師がNHKの朝ドラに考証として
かかわったことがあったので、先生に聞いてみたことが
ありました。「ドラマの方言って、その方言がネィティブ
の人が聞いたら、やっぱり変、って聞こえます。どうして
あんな中途半端な方言にしてしまうのでしょう。」
「そりゃ、謙介、あまりに忠実にしてみ、わからへんやないの。」
ということでした。 確かに首里とか津軽の言葉、
そのまま話されたら、下に字幕でもつけてもらわないと
ダメですね。

朝ドラは、いつも言いますが、朝ドラをつけていても
実際にちゃんと見ていない、という人が多いです。
朝のいろいろなこと(食事とか、洗濯とか、はたまた
起きたばかりでボーっとした状態とか)を片方でやっていて
耳だけテレビ、という人が多いわけです。
だから、耳から聞いたもので、ドラマのストーリーを
追わなければなりません。
そういうわけであの朝ドラには普通のドラマにはない
語り、という存在があるわけです。
他地方の人でも耳だけでストーリーを追えなければ
いけません。なので、方言とは言いながら、その実
誰にでも理解可能な方言でないといけない。
そういうことで、実際の方言の話者が聞いたら
なんだ、あれは、というふうな中途半端な方言に
なってしまう、、。
それに当たり前ですがネィティブには敵いません。
役者さんは大抵が違う地方の人ですよね。
(たまにリアリティを出すためにそのドラマの
舞台の出身の役者さんも使いますけれど。)
だからどうしても違う地方の言葉になってしまいますよね。
ネィティブではないから、どうしても違和感は
生じてしまいます。

朝ドラの語り、
今の朝ドラのてっぱ○だったら、中村玉○さんですよね。
ああいう「語り」なんて、あんまり他のドラマでは
しません。ですが、朝ドラは直接画面を見ていなくても
話を追えて、理解しやすいように、ということで
ラジオドラマのようにナレーションを入れる、ということを
やっています。あれはラジオドラマとか、昔の活動写真
(古すぎ)の弁士の役目ですもんね。

今毎日の研修で右から聞こえてくるが生粋の高知の
言葉です。ネィティブの人の言葉なので
やはりリアリティ(笑)が違います。
「高知弁しか言われんき。」と本人は恐縮気味ですが、
みんなは、もうずっと高知弁でいいですから、と言って
ちょっと興奮気味です。
俺が「おっ! 」って思ったのは、彼が「土佐弁」ではなく
ちゃんと高知弁、と言ったことです。
何度か言ってきましたように、土佐弁などという方言は
本来、存在しません。
方言と言う言葉の遣われる範囲は非常に限定された
地域でしかないですから、そういう大雑把なわけ方は
できない、ということです。
高知県でも西南の中村とか宿毛と、中央の高知市の
言葉は違います。高知では、中村・宿毛は幡多弁(はたべん)
高知は高知弁とちゃんと区別があります。


こないだ映画の『悪人』を見ましたが、
あれは、ちゃんと九州のそれぞれの方言の遣い分けを
してました。長崎の方言、佐賀の方言、福岡の方言
全部違えてやっていました。脚本書いた人が原作の
吉田さん(長崎出身)でしたもんね。その辺の遣い分けはさすがだ、
と思いました。

大体が福岡県だって厳密に言えば、同じ県内の
北九州と久留米では言葉が違いますもんね。
福岡弁、なんて一くくりにはできません。
でも、最近、びっくりするのは、九州の言葉を一括して
九州弁、って言ってる人がいるわけです。
それはちょっとムチャクチャだなぁ。
鹿児島の言葉と、長崎の言葉は全然違うし、
佐賀と宮崎だって全然違いますもん。
関西弁、って言ってる人をたまに見ますが
言ってる人の顔を、ついじーっと見てしまいます。

大阪でさえ、北の池田と市内の島之内とか
船場では全然言葉が違うし、さらに南の
岸和田辺に行けばまた違います。
ですから「関西弁」なんていう方言は
そもそも存在しませんし。「九州弁」も存在しない。

じゃあ、どうしてそういう「関西弁」とか「九州弁」
などという大雑把な言い方をする人が増えたんでしょうか。


やっぱり人の移動が簡単に、そして大規模な範囲での移動が
ある意味普通なってしまった結果、違う地方からの人が
出身地方の方言とは違う言葉に接する機会が飛躍的に
増えたからかなぁ、と思っています。

昔なら生まれた場所と死ぬ場所が同じ地域
という人が多かったですが、今は生まれは○○
だけど、今は××に住んでいる、というふうに
他地方からの移動で、という人が普通になりました。


その方言のネイティブな話者であれば、
細かなところの違いまで気になるでしょうけど
他地方からの移入の人は、「なんとなく」というか
大雑把にしか見ませんもんね。
元々神戸の生まれという人であれば
神戸の言葉と大阪の言葉は違う、って
すぐに違いを聞き分けられますが、
(神戸だと「あんた今何しとう? 」なんですが
大阪だと「あんた今何してんねん?」です。)

他地方からの人だと、大雑把に、要するに
「自分の遣っている言葉」とは違う方言、
というくくりでしか見られにくいので
そういう大きな分け方(「関西弁」とか「九州弁」
というふうな)でしか見られないので
そういう言い方ができたのかなぁ、と思ったり
しています。

最後に。
時々「何とか、ざーます。」という言葉を遣って
いる人がいますよね。
あの言葉も以前は一部特定区域だけの言葉でした。
あれは遊郭でおいらんが遣っていた言葉ですよね。
郭の言葉で有名なのは「なんとかでありんす。」
のほうですが「ざーます。」も同じように
遣われていた言葉なんですよ。

さて、今日は研修最終日。(やれやれ)
(今日の午後3時までなんですが、
今日は3日間の総括の発表、というのが
ありまして、、。頭が痛いです。)

でもまぁ、隣の席のNくんの高知弁が
聞けるのを楽しみに
今から行ってきたいと思います。

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おべんきゃう」カテゴリの記事

Comments

謙介さんこんにちは。
研修お疲れ様です。
こちらでも鎌倉の言葉と三崎の漁師町の言葉は全然違います。
仕事先が昨日は三崎で今日は鎌倉だったりすると会話の丁寧さの設定に四苦八苦します。
実家の山口はお出でませ。のコピーで有名ですが、私の実家では、ようおいでましたのーたー。です。
狭い日本っていいますが、方言や食文化は細分化しており興味がつきません。

先日生物多様性についての勉強会に参加したのですが、世の中には勝手に外来種の蝶を放す人もいたりして日本の生態系は大変な事になっているようです。
講師の方は遺伝子汚染と言う言葉を使われていました。
蝶もカブトムシもみんなインターネットで販売されているそうです。
哀しいことです。
残念なのはこういった問題についての法律がほとんど整備されていないことです。

Posted by: ラジオガール | 10. 11. 27 at 오후 12:11

---ラジオガールさん
同じ県でも、言葉って全然違う、ってありますね。兵庫県でも書きましたけれども、神戸と日本海側の但馬地方では全然違いますし、、。そういう細かい地域差がある言葉なので、九州弁なんていうものは存在しませんし、関西弁なんていうのもありません。おそらくは東京の人が、「あ、関西っぽい言葉じゃないか、九州っぽい言葉じゃないか。」っていうので言い出したものではないか、って思います。その辺、魚もそうじゃないですか。大きさによって名前が違ってくる魚がいますが、やはりそれは、その魚について日本人が興味・関心を深く持っていたからで、関心のない外国人なんて、そういう細かい分類まではしないでしょ? 単に「魚」っていうだけでこと足りているかもしれません。
外来種のこと、そうですね。最近のペットブームもあるかもしれないですね。京都に今、アライグマが増えて、それが国宝とか重文の建物を食い荒らしている、という問題があります。日本になんてもともとアライグマなんていなかったわけで。それをアライグマかわいい、って飼っていた人が、飼えなくなって勝手に野山に放したのが、今野生化してああいう問題を引き起こしているわけですし、、そういうふうに日本の自然の環境とか営みを、という問題、もっと自分のこととして考えないといけない問題だと思います。

Posted by: 謙介 | 10. 11. 28 at 오전 10:23

謙介さん、こんにちは。方言は、関東では絶滅危惧種になりつつあるように思います。江戸弁(江戸落語の言葉ですね)が典型で、浅草や神田、銀座の商家の人で40代以上で、江戸っ子らしい言葉を使う人がたまにいますが、聞けば、おおっ、て思う程度に珍しい存在です。

私の生まれ故郷の言葉は、志村ケンさん(どんな字を書くのか忘れてしまいましたが)の話すことばとまるで同じです。距離は結構離れているのに。でも、今志村さんのような話し方をする人はいるのかな。東村山(志村さんの出身地)でも今ではああいう風には話さないでしょうね。関東全域が均一な話し方をしつつあるように思います。下町言葉も消滅し、山の手言葉も消え、TVのような東京弁、関東弁になるのでしょうか。山をひとつ越えただけで、言葉、文化が変わる四国が羨ましい。

Posted by: まさぞう | 10. 11. 28 at 오후 4:22

---まさぞうさん
これは方言ではなくて、アクセントなのですが、「ドラマ」の言い方が、以前はド・ラマで高低があったのですが今は平板でドラマといいますよね。あれも、東京のアクセントではなくて、北関東のアクセントが元になっています。おそらく東京のベッドタウンになったあたりの言葉の影響がそういうふうな変化をもたらすことになっています。マスコミの影響とか、交通の便がよくなって人の行き来が発達すると、そういうふうに壁がなくなって、言葉が均一化していく、ということになるんでしょうね。20年くらい前に人形町の洋食屋さんに行ったことがあったのですが、そこのお店の人が綺麗な言葉で、(お料理もおいしかったのはありますが)ほれぼれとしたことがありました。実は京都も、次第に言葉が変わっていまして、、。「~しときなはれ」だったのが今では「しときよし」という言い方が出ているのですが、これは周辺部の言葉が京都の市中の言葉に入ってきた結果の変化です。 四国は地理的に四県が山があるためそれぞれ別で、交通も不便なのが、そういうふうに交流に一定の制限ができているために今に至って残っているのだと思います。

Posted by: 謙介 | 10. 11. 28 at 오후 5:18

京都での「しときよし」をはじめとして「~よし」は、漫才の今い〇よ・く〇よの影響だったりして(^-^;
私は生まれも育ちも滋賀なんで近州弁なはずなのですが、京都人に間違えられることが多いです。周囲は新興住宅地で、住まいは滋賀・仕事は京都という人が多いので、自然と京都寄りの言葉になったのだと思います。
京都・大阪・神戸の言葉の違いは関西でもよく話題になりますが、奈良の言葉の印象が薄いのが不思議ですね。

Posted by: mishima | 10. 11. 30 at 오전 11:51

---mishimaさん
ついでに「どやさ」も今い○よく○よの影響かも、、。(笑)最近は「どやさ顔」という言葉まであるんですよね。どやさの進化バージョンですかね。前に園部に通っていたとき、京都駅まで東海道線で、乗り換えて山陰線に乗ったとたん、はっきりと言葉が違う、ということがありました。やっぱり丹波、なのだ、とも思いましたが、ずっと前にさらに丹後の峰山に行ったときには、語尾が「にーぃ」でした。京都市内であれば「それでな。」もしくは「そんでな。」なのですが、峰山は「それでにーぃ」っていうんです。同じ京都なのに、やっぱり山城と丹後は違うわなぁ、と思いました。奈良も本当に広いので、地域によって大きく違いがあるのですが、、。ウィキぺディ○中の奈良方言の分類は、皇學○大学にいらっしゃった西宮先生の分け方になっています。(古事記の研究のお師匠さんです。)四国もそうですが、交通の便のいいところは人の移動が多いので独特の方言はなくなっていきますよね。近鉄の学園前なんかは、一応行政は奈良ですが、もう大阪のことば(笑)でしょうね。和歌山に近い天川村あたりにいってお年寄りと話をすれば、、土地の言葉が聞けると思いますが、、。

Posted by: 謙介 | 10. 11. 30 at 오후 12:07

謙介さん、こんばんは。

私は方言学については全く無知ですが、関東(但し除く茨城県北部と、U字工事の栃木県北部の那須郡、ここも水戸藩でした)全域の言葉が、いわば江戸を中心に同心円的に、江戸の下町風の言葉の影響を受けていて、それがいつごろから始まったのか、興味を持っております。恐らくは、江戸期に、街道が整備され、関東全域(水戸藩を除く)で商業が盛んになり、米や絹や博徒やらなにやらが利根川や中仙道、日光街道を行き来すると同時に、言葉も江戸風になったのではないか、と勝手に推測しています。というのは、佐原、栃木、高崎、熊谷、川越、八王子の町方の言葉は、多かれ少なかれ、江戸の下町に似た話し方だからで、アクセントも結構似ています。潮干狩りが発音できない(ひおしがりのようになる)人が結構いた記憶があります。街道筋から外れると、但し、かなり古来からの東国風になるのですが。

とはいえ、今では、下町風の話し方など、地方都市でも探すのが大変かもしれません。若い子は、○○じゃん、という横浜、山梨、静岡方面の方言を使いますし。

ちなみに、私の生まれた町では、鼻濁音がありませんでした。隣町では、鼻濁音を使うので、奇妙に思ったことがあります(聞き分け、使い分けは出来るのですから、住民は意図的に使う、使わないを選択していたようです。)

Posted by: まさぞう | 10. 11. 30 at 오후 10:58

---まさぞうさん
多分ご存知かと思いますが、柳田國男の説で「方言周縁説」というのがあります。例えば京都を中心として、同心円状に同じ言葉が東と西にある、という説です。大雑把に言ってしまうと、確かにこの説で言っていることも合ってるところもあるのですが、やはり方言と言うのは地域環境(地理的な隔絶性、交通の状況)も大きくその変容の中で影響しますよね。だからあくまで一概に言えない部分もあります。
 今、関西のアクセントと関東アクセントの境は愛知県の豊橋辺なのですが、その境に「川」がありまして、そこから東が関東のアクセント、西が関西系統のアクセントになっています。そういうふうに川ひとつでアクセントが全然違ってくる、ということがあります。鼻濁音。「花が」の「が」ですね。関西のアクセントにはが行鼻濁音がないのですが、前に東京の大学を卒業した同僚は、どこで影響を受けたのか、ちゃんと、「花が」ってが行鼻濁音をしっかりつけて発音していました。 交通の便がいいと方言というのはやはり消えてしまうようです。mishimaさんにお話したように奈良北部は、京都大阪との行き来が昔から盛んでしたから、(北部に限って言えば)独特の方言というのはあまり見られないんですよ。そういうふうに交通とか地理的条件というのがやはり大きな影響を及ぼしていますね。

Posted by: 謙介 | 10. 11. 30 at 오후 11:58

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