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10. 11. 09

自戒

今年の夏前だったか、うちのブログを見てくださっていて
関東圏に住んでおいでの方から、瀬戸内海沿岸の都市まで
来られる、というのでお会いしませんか、というメールを
いただいた。
その方はパートナー氏がこちらのほうにお住まい
らしいのだけど、昼間会ってお茶でも飲みながら、
話するだけだし、と思っていいですよ、というお返事をした。
ただその方のお会いしたい、という街まで行くについては
自分の住んでいる場所からは、少し距離があった。
時間だってそれなりにかかるので、
こちらもその方の日程に合わせて
仕事場での休暇をもらったり、勤務の日の割り振りを
変えてもらったりもした。

それからしばらくして、いよいよお会いする数日前になったときに
その方からパートナー氏があれこれ計画をしてくれているとかで
その日はお会いできなくなった、というご連絡があった。
こちらみたいに昨日今日知ったような人間ではなくて
大切なパートナー氏とのことだもの、謙介は
どうぞどうぞ、そちらを優先なさってください、とお返事をして、
結果、その会う予定はキャンセルされた。

そうしてそれからしばらくして、その方からのメールとか
アプローチもなくなってしまった。
お会いする、という約束はそのまま自然消滅。
メールのやり取りもそのまま終息してしまった。

まぁ、謙介とすれば、その方が日程を言われてきたので
勤務の割り振りとか同僚に日程とか、都合を無理を言って
変えてもらったりしていたので、正直その約束が
キャンセルされたときはムッとしなかった、と言えば
嘘にはなるんだけどさ。それももう予定の日も近かったし。

で、その方もブログをやっておいでで、この前その方のブログを
拝見させていただいたら、ある人と会おうって言ってた約束を
ドタキャンされて、おまけにそのお相手からそれ以後メールが
来なくなっちゃった、って書いてあったの。
まんま、おいら、同じことをされちゃってたんですけど。(笑)

いや、俺だってね、そういう約束してたことが
急にダメになって、相手の感情を害しただろうことって
今までにあったしさ。
だからその人のことを決して、責めたりはできないし、
ひとり上から目線で、ホラ見ろ、なんていうことだって
言えない。(そもそもが言う資格だってない)

だけどさ、そういうふうにドタキャンされたら、相手が
どういう気持ちになるだろうか、という想像力を
働かせることと、じゃあ、そういう時はどうしなくちゃ
なんないか、ということは考えておける人間では
ありたいと思う。

俺だったら、その時、こちらの都合でキャンセルしたのなら、
なるべくそれから日時をあけずにもう一度、別な日に
会う約束をしてその時は、どうやってでも会うようにするけどねぇ。


人間って、されたことは結構覚えてるけど、
自分がしてしまったことは都合よく忘れてしまう、って
いう部分がどうしてもあるよね。

確かに自分のミスをいつまでも覚えていて、
その都度深く申し訳ない申し訳ない、と考えていたら
おしまいには胃潰瘍にでもなる、ということもあるから
適当なところで、自分に都合よく記憶を過去の中に埋もれさせる
ということがあっても、それは生きていく技術として
仕方がないか、とも思う。

でもね、こちらのミスとか感情の行き違いか何かで
相手の気持ちを傷つけるようなことになった時の
相手の気持ちに対する想像力は、ちゃんと持って
おかないといけなんじゃないだろうか。

自分がそうされたらムッとするだろうことは
相手だって同じでしょ。
そういう自分以外の人間について、「感情」の想像力を
働かせること、ってやっぱり人間関係の基礎じゃ
ないかしらん、と思う。
自分がされたときのことは覚えている。
でも自分が他人を傷つけることはやっておいても
知らん顔、じゃあ、人間関係って成り立たないん
じゃないの? って思うけど。


そういうふうな他者への想像力があまりに鈍感、というのか、
全然そこへ思いが至らない、というのか、
そういうことをこのところ経験することが、このところすごく多くて。

そういう相手の気持ちに対する想像力、
って、最近急速に失われていっているんじゃないか、という
気がする。そのことについてものすごく鈍感になってる、
というのか、神経が束になって抜けてる、というのか
その辺はよくわかんないんだけど。


ただ、謙介がびっくりするのは、そういうふうに相手の感情を
想像しようとしないことが、まるでカッコいいみたいに
思われていたりすること。


まぁね、気を遣いたくない、っていうのは
気を遣いすぎて疲れた、ということの反動
なのかもしれないし、社会生活を送ってたら
そういう相手の気持ちはわかってるけど、でも
お役目とか立場があって、「本心としては言いたく
ないけど、立場上どうしてもそういうふうに言わなくちゃ
なんない時。」っていうのもあるしさ。

相手の気持ちだって、ちゃんと分かってる。だけど、
敢えて黙ってる、という時だってあるよね。
そういう場合だってありはするけど
どこまでも、「自分しかない」っていうのか
相手の気持ちに対してあまりに
無神経すぎ、っていうのは、
単に精神的に未発達、ということじゃない?

そういうふうにいつまでも「自分の都合」しか眼中になくて
他者の気持ちの忖度をできない人間を「お子様」とか「小児」と、
呼ぶんだ、って、これは前に心理学者の先生の話のところで
引用したよね。


結局それって他人との距離をどういうふうに取っていくか、という
その距離のとり方がうまくできない、という点では
同じだと思うけど。今の人に多いのは過度に
密着しすぎとか、逆に全然考えないか、のどっちかで、
適度な、というのか、その中間がないの。


というようなことから、自戒をこめて、
自分は他者の感情への想像力を
少しでも働かせようとする人間でありたい、と思うし、
人の気持ちとか感情を考える人間になりたい、とも
思う。


今日は自分への記録用に、と思って
これを書いておくことにする。

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