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10. 10. 27

映画雑誌を見るたびに思うこと

Kinejyun

これは俺だけの思いなのか、
それともみなさんも結構お持ちなのか
ちょっとお伺いしたくて、今回はこのテーマにしました。
謙介、割とこんなふうに映画雑誌も見ているわけです。

で、こういう映画の雑誌を見ていて、
いつも何で? って思うことがあるんです。
例えば上の写真にも出てきていますが
『悪人』の特集の場合です。
監督さんの話、主演俳優のインタビュー、
評論家の話、と、特集記事が並んでいるのですが、
それを一通り読み終わって、じゃあ、この『悪人』に
ついて自分なりのイメージとか、何か自分の中で
まとまったものができたか、
と、言われたら、それが全くない、のです。
俺がいつも映画雑誌を読んできて、どうして?
って思うのはここなんです。
確かに読解力がない。(笑)これもあるかもしれません。

でもね、雑誌の中でさまざまな人が
この作品に対して言及はしている。
けど、その言及からは全く作品が
見えてこようとはしていない、のです。


確かにね、観る前から変な先入観を植え付けてしまっては
いけない、ということもあるでしょう。それは分かります。
書道の稽古だってそうでしたもん。
俺の書道の先生は、絶対にお手本を書きはしませんでした。
お手本を書いて、それを真似するのだったら
それは書道じゃないから、と、言って。先生の枠に嵌めて
しまうのは「お習字」であって、お習字は枠に嵌めて正しい字を
書かさないといけないけど、書道は作者が自分の書風を
創造するのが必要だから、という理由で一切手本を
書いてくれませんでした。 だから芸術鑑賞をするときに
こういう先入観が入ってはいけない、という理由は
謙介も納得します。

ですが、監督論・演劇論・作品論、役者の思い、と
縷々書かれてありはするわけです。

でもそれぞれの人が書いてあることが、
こちらの中に響いてこないのです。
言葉が表面で上滑りしている感じが
するのです。だから読み終わっても、頭の中に
何も残らない。 いつもそうなんです。

これは俺が国文の人間で、映画畑の人間じゃ
ないから、そういうふうな映画の文章の読み込み
ができないからなのか、
はたまた特集記事の掘り下げが十分でなくて
文章が表層的だからなのか、
そこがいつももどかしく感じられてしまうのです。

どうしてそういうふうなことになるのでしょうか?
その部分をみなさんにちょっと聞いてみたいなぁ、と
思ったわけなんですよ。

どうして映画雑誌の特集の文章って、
こういうふうにこちらに全然響いてこない文章なのか?

友達は、「まぁ雑誌なんて、話題づくりというのか
要するに取っ掛かりの資料でしかないわけだから
単なる興味付けができたら、それでオッケーじゃ
ないのかな、深みとかそこからまとまったものを
得ようとしても、それは無理なんちゃう? 」と言います。

まぁね、雑誌ってそういうものであるとは
思うんですが、、。それにしても、、全然
雑誌自体の内容だって、読んでる俺の側に
響いてこないんですよね。
どうしたことなんでしょう。


謙介は、そこのところがよく分からないのです。


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Comments

売れっ子の映画評論家は、年間1000本近い映画を見て、それらに点数つけたり批評を書いたりしているみたいです。なので、じっくり掘り下げる暇がないのでしょう。
あと、映画のラストや核心に触れる部分を語ることはネタバレとして忌み嫌われますし。中には関西ラジオ界の重鎮で、結末まで喋っちゃうことで有名なお方もいますが・・・(;´д`)トホホ…
それと、読み手の問題。今は、映画学校や映画研究部の学生しか、映画論を闘わせることなんてないんじゃないでしょうか?私の周囲でも、誰々がキレイだったとか、アクションが凄かったといった程度の感想しか聞かないです。これは、私の周囲に映画愛好家がいないってだけかも知れませんが。

Posted by: mishima | 10. 10. 29 at 오후 7:19

---mishimaさん
映画評は確かに「悪人」を100人が見て、その感想を書いた、としても100通りの感想があるとは思います。でも映画雑誌の評を見ていると、たとえば「悪人」が主題になっていながら、全然違う映画のことばかり延々と書いてあったりして、、あなた、それは「悪人」の映画評ではないやないですか、と、言いたくなるような文章が結構たくさんあって、、そういうことで、特集、と、いいながら、論点がずれていたり、、というのがありました。

Posted by: 謙介 | 10. 10. 29 at 오후 11:14

謙介さん、こんにちは。
『悪人』も『悪人』の評も見ていないのであまりきちんとしたことは言えないのですけど、mishimaさんが書いておられるように、映画評がダメになってくるといのは、送り手と読み手の双方に問題があるからじゃないでしょうかね。それに、映画の結末を書かなくても映画評はできるとおもうんですけど、それを書かないと評にならないような映画が多いということでしょうか。
と、こんなこと書いてると、なんか、それじゃあ映画はどうしようもないところにさしかかってるんじゃないかと思える一方、そんなことを言う自分自身がジジくさいと思えたりして(笑)。
ところで、このところアンジェイ・ワイダの旧作『地下水道』と『灰とダイヤモンド』を見ましたけど、そんな閉塞状態を感じさせず、小気味よかったです。『地下水道』なんかは、ラストはどのようにも変えることができると思うんですが、ラスト(結末)がこうだからそれはこういう意味をもつ映画だという風にイデオロギー的にはできてなくて、そこへいくプロセスが充実してるからおもしろいんですね。

Posted by: 闇太郎 | 10. 10. 30 at 오후 11:43

---闇太郎さん
『悪人』は、多少期待はしていたのですが、あーあ、2時間以上引っぱって、あの程度の作品かよ、というのが正直な感想です。祐一に殺されてしまう保険会社の女の子のキャラクターがひどすぎました。あえて書きます。こんなバカ女のために罪を犯すのはアホらしい、としか思えなかったし、服屋のおねいさんも会ってすぐに、あそこまで深入りできるんか、と思ったり。 それから祐一の日常も、とりあえず田舎の若い子の日常を描いてみましたぁ、っていうだけですし。殺された女の子の女の子が亡くなってからの両親の日常もほとんどなかったり、で、なんだか全てにおいて中途半端な感じがしました。原作本を読んでいたから、ああ、とは思いましたが。原作をそのままなぞってしまった。 こうなってああなって、それでこうなります、ということはなるほどわかったのですが、そこから先というのが全くなかった。闇太郎さんのおっしゃるように、映画を観て、その後のことを考えてドキッとさせられる、とか余韻が残る、ということであれば、ああいいもの観られて幸せだった、って思えるのですが、観終わって何の印象も残らない。
 今回の悪人も原作にあった、最後の曙光のような生への再生とか、救いの部分も、とりあえず描いときましたで、っていうなんだか中途半端で訳のわかんないまま終わってしまっていますし、、。ちょっと観終わってため息が出ちゃった、というところが正直な感想です。
 あ、でもすみません。ここまで書いちゃったら見る気失わせてしまいましたよね。でもまぁ期待していた分、ちょっとなぁ、というところが大きい。とそんな感じなんです。
 

Posted by: 謙介 | 10. 11. 01 at 오후 7:59

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