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10. 09. 29

あきらめを受け入れること

この間、高校の時の友達と奈良に行った時に
車の中でいろいろと話をしたんだ。
その中で、たまたま高校の時2人が
やっていて結局、物にならなかったことの
話になってさ。

不比等くんは野球。
謙介は音楽、というかピアノ。

彼は中学の部活で野球をしていたのだけど
練習中に足の骨を折ってしまい、それが元で
全力で走る、ということができなくなって、、。
それで野球を途中であきらめざるを得なかった。
それは、高校の時に彼から一度聞いたことがあった。

謙介の場合はまぁ姉と一緒に
ピアノを習っていたのだけど、、、
どういうのだろう。 確かに楽譜通りに弾くことはできる。
でも、姉の弾くピアノの音とはもう比較にならないほどひどい、と
思った。ひとつひとつの音の粒が揃っていないのだ。
だから音が、汚く聞こえて、だから曲になったら
もっとひどいことになってしまっていて、、
これは才能なんてないや、って思った。

何でそんな話になったか、と言えば、そのちょっと前に
高賢哲(こうけんて○)さんの料理の本を見ていたから、だった。

高賢哲さんは今は料理家、ということに
なっているのだけど、彼は元々料理研究家を目指して
いたのではなかった。中学の時に兄とテニスをやって
それからすっかりテニスにハマってしまい、高校に
入学するも、1年の夏休みにさらにテニスをする、と
して中退してしまう。18歳の時にそれまでの無理な
練習方法の結果、身体のあちこちに無理が生じて
いたのか、椎間板ヘルニアになって激しい痛みが
出るようになった。その後運動療法の結果、その痛みは
消えたけれど、もうテニスをすることはできない身体に
なってしまっていた。テニスをあきらめ、さまざまな仕事を
したけれど結局どれも長続きしなかった。そのうえ、
そのころ彼のお父さんが親戚の借金の保証人になった
ことで莫大な負債を背負い、その借金の返済のために
お父さんは経営していた工場と土地を手放さなくては
ならなくなった、その借金の返済のために家族が
一丸となって働いた、という。
韓国の人は一家一族の意識が非常に強固だから、
そういう家族のことはみんな協力し合ってがんばった。
そのころからおかあさんの料理教室のアシスタントも
するようになっていて、それが次第次第に、、で、
現在に至る、ということなのだ。 だから彼のはじめの
希望はテニス選手、ということだった。
それが身体を壊してしまったこと、それは結局自分の
才能の限界を知った、ということでもあった、と思う。
そうこうしているうちに、今度は家業の負債の問題、
それから自分の生き方の問題、もちろんそこには
自分がこの先、どうやって生きていけばよいのか、
ということも問題であっただろう。

そうしたさまざまな壁にぶつかって、自分というものの
どうしようもない限界を知って、じゃあ、どういう方向に
行けばいいのか、ということを模索して、、発見をしていく。
そういう人としての生きかたの大きな「曲がり角」
を経てきて、今の彼がある。
自分の才能の限界を知って、自分と向き合って
方向転換をする。文章に書くとわずかこれだけ、
だけど、この作業がどれほど辛いことか。
自分の人生のギリギリまで倒れかかって
そこから立ち上がったのだから、本当に
強靭な生きる力を持っていないとできないことだ、と思う。
単なるイケメン料理家じゃないんですよ。

俺の場合、25、6の時かな。
最初は「自分は人と比べてどうして
うまく生きられないのだろう。」
という問い、だったと思うのだけど、
そういう疑問からすべてがはじまった。 
そうこうしているうちに
自分って一体何なのか、ということを
考えるようになった。 その経緯のことはもう何度か
ここに書いたので、もう書かないけれど、
結局それで分かったことは、10代からずーっと20代
半ばまでやってきていた自分の中での方法論とか
才能、と思っていたものは、もう一度全部解体して
組みなおす、作り直す、ということをしないといけない、という
ことに気づいたのだった。10代、20代でのやり方では
もう全然ダメになってしまっている自分がそこにいた。
じゃあ、今の自分に何ができるのか、ということを
3年くらいかけて考えて、そこからの自分の方向を
もう一度規定しなおした。 
そういうふうに人生の中には何度かそれまでの
自分のやり方とか方法論ではもうどうしようもなくなって
しまって、やり直し、組み替えなおし、をしないと
いけない時期があるのだ、と思う。
自分を一度全て解体しなおすこと。
これは場合によってはものすごくしんどい作業にはなる。
だって今までの自分を一度全部チャラにしてしまう、
ということだもの。でも、それは自分、という人間にとっては
ものすごく必要なものだと俺は考える。

ちょっと前に心理学を勉強している友達に
この自分の経験を話したら、これをお読み、と
教えてくれた本があった。これは自分で買ったけど。
『1億総ガキ社会 --「成熟拒否」という病』
という本。

Gaki


 成熟拒否=「断念」を受け入れられない、 ことと
その本にはあった。

  万能感は、幼児期には誰でも持っているし、持つことが
 許される。 (中略) だが、成長するにつれて現実と
 直面せざるをえず、他者との比較の中で「現実の自分」
 を知るようになる。つまり、成熟して大人になるということ
 は、大多数の普通の人にとっては「すごい自分」という
 誇大的なイメージ、いわば自己愛的な万能感を喪失
 していく「断念」の過程でもある。(中略)
  それゆえ大人になるということは、挫折に挫折を繰りかえし、
 親の期待とも折り合いをつけながら、自らの卑小さを
 自覚していく過程である。言いかえれば、自己愛の
 傷つきを積み重ね、万能感を喪失していくことによって
 はじめて等身大の自分と向き合えるようになる。 こうして
 自らの立ち位置を認識する。 昔ながらの言葉で言えば
 「身の程を知る」ことによってしか地に足のついた努力が
 できるようにはならないのだ。 実に切ないことでは
 あるが。
  この万能感の喪失、つまり「断念」を受け入れられない
 若者がものすごく増えているように筆者には感じられる。
 これはとりもなおさず、大人になることの拒否、つまり
 「成熟拒否」である。フロイトが「ナルシシズム入門」で
 「正常な成人を観察すると、子どものころの誇大妄想は
 弱まっており、幼児的なナルシシズムによる心的な
 特徴が姿を消していることがわかる。」と述べている
 ように、大人になるというのは「何でもできるようになること」
 ではなく、むしろ「何でもできるわけではないということを
 受け入れていく」過程だからである。 幼児的な万能感を
 引きずり自己愛的なイメージにしがみついたまま、現実の
 自分と向き合うことができないのは、まさに子どものまま、
 ガキのまま、なのである。
                 (45-47ページから引用)

こういう本を読んでいたので、お互いの「あきらめ」を
受け入れた時に、どういうふうに自分は対処して
いったのか、という話を彼に聞いてみたのだった。


今年の夏に読んだ本の中では、自分の経験と
照らしあわしながら読んでいくこともあって、
いろいろな意味でおもしろい本だった。

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Comments

>謙介さん
 アイデンティティの問題ですね。
自分探しというのは、本当は自分を生んで
育んでくれた親が一番の理解者であると思うので、親とじっくり話すのが近道のよう
な気がしますが、ふつう大人になってから
は、それはできないですね^^;
 コウケンテツさん、マイノリティという
だけでも、この日本社会で生きていくのは
相当しんどかったように思いますが、それ
をもハネ反して今日を築いて立派ですね。
 ところで、このお金の貸し借りの問題。
どうして韓国人って簡単にお金の貸し借りをするのかしら?謙介さんは、「ケ」というシステムはご存知だと思いますが、私は
あれも理解に苦しみます。結局、お金がぐ
るぐる回っているだけで、言葉が悪いかも
しれませんが、ネズミ講みたいで。。。
 なんだか、お話しとずれてしまってすみませんでした。。

Posted by: yoko | 10. 09. 30 at 오후 9:56

---yokoさん
以前だと、親と話をする、前に多分一度親に対するうらみとか今までの従順さへの反発とかが一気に噴出して反抗する時期があって、それから冷却期間をおいて親と和解して話を、というステップだったようですが、最近の若い人にはその反抗期、というものがほとんどない、と聞いています。親と仲良し状態で大人になる、んだどか。その過程で、子と親とが話をする、という機会があればいいのですが、、どういうふうになっているのでしょうか。
韓国の「契」ですが、多分、そのお金の貸し借りの間に「感情」が絡むから、ややこしいようになるのかもしれません。日本も似たシステムはありましたよね。「無尽」って。それが会社化して相互銀行になって、今の第二地銀になって、ということですが、日本はお金の貸し借りは厳密に行われて「他人様に迷惑はかけないように」という意識があるのに対して、韓国は仲間だったら少々のことは助け合って、という意識がだんだんけじめのないようになってしまって、、ルール無視ということになって、、じゃないですかね。その辺の厳格さが分け目になっているのではないか、と思います。

Posted by: 謙介 | 10. 10. 01 at 오전 5:58

特に親と仲が良いってわけでもないですが、私は反抗期がなかったですね。反抗するほど親離れしたい意識が強くなかったって感じでしょうか。
そうそう、コウさんですけど、カタカナ表記が多いですよね。最初、韓国の方と知らずに「コウケン テ〇」さんだと思ってました(;´▽`A``

Posted by: mishima | 10. 10. 01 at 오후 7:50

---mishimaさん
本当に家とかその人の育った環境はいろいろだと思います。ですから一概にこの生育がよくてこっちはよくない、ともいえませんし、、。mishimaさんは、そうだったのですね。 中にはmishimaさんのように親御さんとまぁまぁの関係であった、という家もありますし、顔も見たくないほど憎しみあっている、という家もありますし、、。本当にさまざまですね。加えてお互いの性格もありますし、、本当に人が一人の人間として大人になるのは難しい、と思います。 

Posted by: 謙介 | 10. 10. 01 at 오후 10:48

>謙介さん
 詳しいお話をありがとうございます。結局、国民性の違いによるもの?でしょうか

 随分、昔 岡真史君だったと思うのですが、素敵な詩を書いた少年がなくなったの
ですよ。在日であること、父親の姓でなか
ったこと いろいろあったと思うのですが
わずか12歳で自死にいたったのが、切なくて。。。
 そのころに比べると、韓流だとか信じら
れないですね。。

Posted by: yoko | 10. 10. 03 at 오후 9:44

---yokoさん
そうですね。お父さんの高史明(コンサミョン)さんの編んだ「ぼくは12歳」ありましたね。俺もその確か大学の時に読みました。今も在日の人に対する差別、ってあると思うのですが、あのころは今とはもう比較にならないくらいもっと激しいものがあったと思います。12歳の少年、(ましてや彼の感性は本当に鋭敏だったと思うのですが、)にとってはそうした差別の衝撃の大きさ、というのは生きていくのをひるませるくらいの大きなショックだったのだろうと思います。俺も韓国語を習っている、というだけで、「そんなヤバイ言葉習ってええの? 」なんてしょっちゅう言われました。それがいまや、もうそこいら中で韓国なんて普通に話題になるようになりましたし、、まったくもって隔世の感があります。(笑)

Posted by: 謙介 | 10. 10. 03 at 오후 11:32

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