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10. 09. 14

奈良へ(その2)

さて翌日。 

Iwaido3

朝起きるとまだちょっと薄暗い時間。
5時過ぎでしたし、、。
でも、毎日この時間に起きているので
目がさめてしまいました。


宿泊した部屋はゆったりした畳の部屋。
ええ、とってもゆったりです。
何せ20畳の部屋です。 そこに2人で泊まったのだから
もう余裕のよっちゃんでした。
こんなふうに独立した棟が何棟か建っています。
Iwaido8

一番下の棟の手前側が不比等の部屋です。

6時から朝風呂オッケーというお話だったので
朝ごはんの前に朝風呂に行きました。 謙介は
朝食の時間までまだ30分あったので、
その後、ちょっと散歩に出ました。
旅館の周囲はこんな感じです。

Iwaido6


Iwaido7

実はここのこの棚田、日本の棚田百選にも選ばれている美しい棚田です。
そりゃそうだろう、と思います。
昨日の高松塚古墳の周辺では、ひょろひょろと伸びた彼岸花が咲き始めて
いたのですが、こちらの祝戸地区はまだ全然、という感じでした。
どう見てもまだ夏、という風情でした。


本当に目が洗われるような緑です。
明日香村のかたがたが、丹精をこめて
こうした田や畑を守ってくださっているからこそ、の
風景だと思います。
そしてこれが旅館の前です。

Iwaido5


近くをぶらぶらした後、部屋に戻り、食事に行きます。
(朝食は写真に撮るのを忘れてしまいました。)
朝食を済ませてロビーに行くと、この場所から
4キロほど西の近鉄飛鳥駅の西で
斉明天皇の陵ではないか、という墓が見つかった、
とありました。現地説明会は残念なことに明日のようです。
惜しいなぁ、と思いつつ、出発することにします。

今日はこの明日香から山を越えて吉野に降ります。
持統天皇は、在位中、頻繁に吉野に行幸しています。
その回数たるや、30数回です。ひどいときは年に
4回も行っています。
他の天皇は吉野には精々在位中に数回程度なのに、
この方だけ30回以上です。
どうしてこんなに吉野に通ったのか。
それは具体的には明らかではありませんが
従駕した柿本人麻呂さんは


  山川も依りて仕ふる神ながら 激つ河内に船出せすかも
       巻1-39

という歌を詠んでいます。つまり持統天皇が吉野の山河を
統率する神であって、その神である持統天皇は今から
川にこぎ出でる、という歌です。
謙介も過去の論文で考えたことがあったのですが
おそらくこの吉野の地は天皇としてこの国を統率するための
力を与えてくれる特別な場所であった、のでしょう。
そうしたこの吉野に出かけることで、持統天皇は
その力をさらに強大なものにしようとした、と考えられます。

なぜならこの天皇さんは健康、ということを考えていたからです。
この方、まだ即位前の天武天皇の奥さんだったときに
天然痘にかかっています。 この時代の天然痘は死ぬかもしれない
恐ろしい病気でした。
それが証拠に、天武天皇はこの皇后の病気平癒のために
飛鳥に薬師寺を建てています。病気平癒の祈願のための
寺だから「薬師」寺、なわけです。日本の歴史上において
天皇が自分の奥さんのために寺を造営した、というのは
後にも先にもこの天武さんだけです。
しかし、この夫婦、ちょっと謎なんですよね。
お寺を造ってまで病気平癒を望んでいた天武さんですが、
実はこの皇后のおとっつあんは天智天皇で
天武天皇とは仇敵になります。
そしてこの皇后も本当に天武天皇を心から慕っていたかと
いえば、天武の死後、彼がほとんど作り上げていた
日本書紀を大幅に書き換えさせた、ということから
見ても、そうそう天武のことを愛していたかと言えば、、
????です。果たして真相はどうだったのでしょうかねぇ。
俺は歴史上なかなか興味深い夫婦だなぁと思っています。

まぁいいや。夫婦の内面は。ともかくそうしてこの寺は後に
飛鳥から今の奈良市の西の京に移転します。
今、奈良の西の京にある薬師寺がその寺です。
ですから明日香の薬師寺を本薬師寺と言って区別しています。

謙介は、藤原京に都を移転させるような決断力とか
日本書紀を纏め上げる手腕を持ったような女性が
そうやすやすと天然痘なんかで亡くなるとも思えないのですが。
天然痘なんてねじ伏せてしまいそう、とさえ思います。
しかし、そういう病気になって生死の間をさすらった経験の
ある方ですから、人一倍健康に関しては深く考えていたと思うのです。

このころの病気、というのは、たましいが身体から離れていくことが
病気だ、と解釈されていました。だから身体の中にたましいを
とどめさせ、そのたましいの力を元気にさせることが「健康」であり
「天皇としての統治する力を増すこと」であると思っていた。
そのために吉野の地へ足しげく通った、 そういうふうに謙介は
解釈しています。吉野の地というのはそういう力をつけるための
特別な場所であった、ということだと思う、、。

と、いうような話を友達に延々と解説していたので
声がかれてしまったのでした。

明日香から吉野へは現在だと車で40分くらいです。
中臣鎌足と中大兄皇子が大化の改新のときの策を
練ったという談山神社の脇を通り、そこから吉野に
降りて行きます。
吉野に出たら左折してさらに奥のほうに行きます。
目指すのはその持統さんの吉野離宮のあった宮滝です。
宮滝に到着です。

Yoshino1

山に囲まれた、今も清らかな水の流れるこの場所に
持統天皇は飛鳥京からここに通っていたのでした。
今は夏で渇水の時期ですからさほど水流もありませんが
雨の後などは、水が急流になって流れていたことでしょう。
先ほども触れましたが
万葉集の中にも「滾つ(たぎつ)河内に」という言葉が
頻繁に出てきます。

Yoshino4


Yoshino3

吉野のこの川、今はなんだかゆったりのんびりしていますが、
古来から和歌の中では吉野の川は激流と相場が決まっていて
人麻呂さんの歌から時代がくだるとこの「吉野の川のような恋の激流」
というふうに表現が変化をします。 儀式の激流から、恋の激流に
表現が変化をしています。でも、激流なのです。吉野の川は。
だからこんなのんびりとした川では、いにしえの人は「何だこんなのんびりとした
流れは、こんなの吉野の川とちゃう(違う)!」とか言い出すかもしれません。


早速二人は、地形から見て、こっちのほうの道か?
いや、川向こうの道も古いぞ、とあれこれ話をしました。

そしてその宮滝遺跡からほんの100メートルほど
山よりに行った道路際が吉野離宮の跡、とされています。
Yoshino6

実のことを言えばこの吉野離宮は3度その建物が
変っています。最初の時は斉明天皇の頃で国道を
挟んで山側、つまりこの記念碑の位置にあったようです。
その次は持統天皇の頃で、道を隔てて南側、より川に
近い位置にあった、とされ、さらに聖武天皇の時代に
なると川を眺めて景色を見る、というふうな位置へ
(今の野外活動センターのあるあたり)移動しています。

ここまで今なら明日香の祝戸からだと車で40分くらいでした。
全くあっと言う間です。 でも、道だって今のように整ったものではなく
急坂で山を越えないといけない昔は、ここに来るのにも
大変だったはずです。その大変な行路をそれも30回以上
ここに来たのですから、それはこの吉野に来るだけの
大きな意味があったはず、というのは自然な考えでしょう。

吉野は、本当に昔から多くの人をひきつける場所でした。
吉野離宮も置かれましたし、妹背山も吉野ですし
谷崎の名随筆、「陰翳礼賛」にも吉野が出てきますよね。
吉野は吉野だけでなく後ろに控える熊野の山々の
入り口(もしくは出口)としても大きな役割があった、
と考えられます。またこの考察は別の折にでも。


吉野でもってひとしきり調べたりしましたので、今度は次の場所へ
向かいます。

次は元来た道を途中まで戻ります。今度は途中の三叉路で
明日香のほうには行かずにまっすぐ、桜井のほうに出ます。
桜井の街に出る途中で道の左に崇峻天皇(すしゅんてんのう)
の陵があるので早速寄っていきます。
実は崇峻天皇は暗殺された天皇です。元は泊瀬部皇子(はつせべのみこ)
と言った方で欽明天皇の皇子でした。
蘇我馬子の推薦で天皇になり、仏教を興隆して
国家を作ろうとするのですが、何せ馬子が政治の
実権を握っていて天皇はいつもかやの外だったのです。
それを恨みに思っていた天皇は「馬子を殺したい」ことを
ほのめかすような発言をしたところを馬子に知られてしまいます。
馬子はこんな天皇生かしておいては邪魔、とばかりに
刺客に東漢直駒(やまとのあたいひがしこま)を差し向け
天皇を殺してしまうのです。
そうして普通なら天皇が崩御するとモガリを行うために
1年から2年という長期間、棺を置いて死から復活の儀礼をするのですが
そういうことは一切せずに殺したその日に即座に埋葬して
しまいました。それが倉橋山のこの陵、と言われています。

Sushun2


Sushun1


おそらくは恨みをのんで亡くなったに違いありません。
陵もここではない、という説もありますが、山間の
ひっそりとした場所にあります。


ここを見学して、次は藤原京資料館に行きます。
平城京の前に都だった藤原京の発掘・保存研究をしている
資料館です。

Hujiwara3

昨日飛鳥資料館に行き、飛鳥宮の大体について見ておきました。
そこから持統天皇が都をうつしてきたのがこの藤原京です。
資料館の外に出てみます。

Kaguyama1


え? 何じゃこれは、って?
いや、あのですね。ここに写っているのが、天の香具山ですよ。はいはい。
ね、全然高くないでしょ。山というより岡です。こんなの。
え、オマエは何がしたいのか、そう。もうおわかりでつね。(笑)

春過ぎて夏来たままでどうしよう しろたへのタオル干したり天の香具山
ということでせうか。(笑)

2回で終わるつもりだったのに、これでは終わりそうにありません。
もうちょっと奈良の話を続けます。

(今日聴いた音楽 旅愁 斑鳩にて 布施明 1980年盤)

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