経年
日曜日、午前中はいつもの高校生ふたりに日本史と国語を見てあげて
お昼はうどんをゆでてざるうどんにして食べて、さて、また例によって
研修会の資料を読まないといけない、と思っていたときに
電話が鳴った。
「ハロウ。」
こんなふざけたあいさつをするヤツは一人しかいない。
「みあんへよ。けんすけしぬん、ちぐん おぷそよ。」
(ごめんなさい。けんすけさんは いま いません。)
「ゴルァ 居るなら居るとはっきり言え。」
「お留守です。」
「やかましい。作品はできたんやろな。」
「え? 」
「締め切り1カ月前やぞ。」
「あ。」
そうだったのだ。国文科の同期の書作展に作品を
出す締め切りが、後一カ月になっていたのだ。
字を書いたことのない人であれば、まだ一ヶ月もあるじゃ
ないか、と、思われるかもしれない。作品を書くだけだったら
一ヶ月もあればそりゃ、慌てることはない。
しかし、作品を書きあげたら、表具屋さんに持って行って
額装にするとか、掛け軸にするとか、屏風にするとか
それなりに表装をしてもらわなくはならない。
その表装に場合によっては3週間ぐらいかかるのだ。
だから逆算すると日にちはあまりない。
(正直一週間) だから書作展の総務が、言ってくるのも
当然の時期、ということではある。
「今年は出せよ。」
「ふん。」
「ほんまやぞ。」
「わかってる。で、他のヤツはどないやねん。Tとかは? 」
「あいつはもう○○堂(表具屋さんの名前)に出してある、って
さっきメールが来てたぞ。」
「ひえええ。」
「T田も、もう書けてる、て。」
「う、うそ。」
「写メ送ってきたもん。」
俺たちの作品展、全員が全員、会場の画廊に行くことは
まずない。会期の1週間の間、作品を送ったままで
一度も顔を見せないヤツのほうが多い。
それでも、それでも、われわれはそれでいい、と思っている。
オリンピックではないけれど、参加することに意義があるのだ。
とりあえず作品を出してきていれば、それでお互いとにかく生きている
という証明になる。それでいいじゃないか、と、われわれは言いながら
とにかくこの書展を続けてきた。できるだけ長く続けよう、
これが全てだ、と言いながら。
「あ、そういえば、T田、こないだ新聞に出てたで。
写真入で。」
「何か悪いことしたんか。」
「いや、あいつの専門のことで、新聞社からインタビュー受けてて。
それ、ウェブ上で見ることができるよ。」
そう言って総務のT村くんはそのサイトの出し方を
教えてくれた。
「ちょっとびっくりするかもしれへん。」
「なんで? 」
「見たら分かる。」
「顔が変わってしもうた、とか? 」
「ふん。」
とりあえず作品が出ている、それが全てだった。
だから書いている本人の顔がいまやどうなって
いるのか、というところまで、正直考えたことなんて
なかった。
いまからウン十年前のT田は、それはそれはもう
腹のたつくらいの美丈夫でさ。
国文科3美男の名前をほしいままにしていた。
ただ、顔はよかったけど、口が悪くて、性格はクールで、
要領のいい性格で、何せ抜け目がなかった。
要領は悪いわ、いつもタイミングは外しまくりやわ、
体重は98キロあって暑苦しいわ、で、もうそのころの
謙介がコンプレックスの固まりとしたら、
ホントに彼はいつもキラキラとしていて
格好もよくて、口は悪かったけど、でもそれが
とてもクールで、、さわやか、ったらなかった。
教えられたアドレスを入れて画面が変ると
そこに現われたのは、ウン十年前の彼とは
似ても似つかぬ一人の男の写真だった。
しかし、その下にある略歴は俺の知ってる彼の
ものだったから、どう見ても間違い、ということも
なさそうだった。
たとえれば、誰が近いかなぁ。そうだ、元野球選手の清原に
近い、といえば、近い。
そのサイトを見て、もう一度奈良にいる総務のT村に電話をする。
「あれ、ホンマに、T田? プロフィールのところ、最近は
農業もしてる、って書いてあったけど。」
「そやで。あんな、パッと見たらあかんねん。
上下を隠して目のところだけ、出して、もう一度見てみ。
面影残ってるさかい。--- そやて。最近は田んぼやってる、って
言ってた。」
「あの要領のいいやつが、農業? 田んぼ? 」
「まぁ、アイツもいろいろと考えるところがあったみたいやで。」
確かにT村の言った通りにしてみると
その目は変っていなかった。ヤツの目に間違いは
なかった。
最初見た時は確かにそのあまりの変りように
びっくりしたけれど、ちょっと間をおいて、もう一度
見て見ると、なかなか今の彼も味のある顔に
なっている、と、思った。
おそらくは彼の人生の中で「いろいろあって」、ここに至ったのだろう。
そうしたいろいろな経験が彼の表情をすっかり変えてしまっていた。
確かにあの頃のように美丈夫、というのではないけれども、
それはそれで、今まで彼が生きてきたことの全てが
顔に現われていた。
よくの人の話で、若い時のままでいたい、とか
若い時の体形をキープしたい、とか言ってる人が
いるのだけど、どうして、歳を取って以前よりよくなった、
というふうにはならないのだろう。
どうして歳を取ることが、若くない、そしてそれがダメダメな変化としか
捉えられないのだろう?
いろいろな経験を経て、親の「子」の顔でもない
若い時の顔でもない、本当の自分の顔とか
身体になることが嫌なのか、自信がないのかは
知らないけれど、どうして歳取る=醜悪、としか
思えないのだろう?
そういうと、そういう人ばかりじゃないか、って言うかも
しれないけど、じゃあ、自分が
がんばってさ、そうならない人間になればいいんじゃない?
って思うけど。
どうして経験を積んできたことを正当に評価しようとしないのか、
どうして若い部分ばかりに視点をとどめ置くのか。
そこに固執するのがよくわかんない。
彼が何より味のある顔になったのは
彼の今までやってきたことについて
逃げずに「本気で立ち向かってきていた」からだろう。
俺はそこにある彼の顔を見ながらそう思った。
何せ「あの頃」の」アイツは要領はよかった。
1回のとき、そういえば、彼が病気で何度か休んだ
ことがあって、その間にあった文学基礎のノートを
俺に見せてくれ、と言ってきたことがあった。
「ええよ。」と言って貸したのだけど、
その次の日、生協のコピーコーナーに行った時、
俺の隣でコピーしてた、全然知らないヤツが
なぜか俺の文学基礎のノートをコピーしていて、
俺は「?」と思った。 どうやら俺のノートを又貸しして
貸し賃を取っていたらしい。
それとか、テストの当日に
学生証をなくしただか、忘れただか、といって学生課に
言って、本人確認をして作ってもらった仮学生証を英文学
専攻のヤツに渡して英語のテストを受けてもらったとか、
そういう要領のいいところがあって、正直なところ
俺はそういうヤツは許せなかったから、俺から話をすると、いう
ことは決してなかった。
でも、俺は彼は好きではなかったけど、展覧会の総務の
T村とは仲がよかったみたいで、それで、T田は同期の
書作展にも入っていたのだった。
俺が「アイツの顔、なんか味のあるええ顔になったやん。」
とT村に言うと、
「それなりに年を経た。ということかな。」彼もそう答えた。「まぁ
お互いいろいろあったやろし、、、多少は変ったんやで。」
「まぁな。」
「いつまでも22、23やあらへんのやから。」
「うん。」
「もうお互いええ歳なんやさかい、自分の顔が履歴書、というふうに
ならんとあかんよな。」
「そやな。がんばらんとなぁ。」
「そやで。今の謙介に大事なのは、がんばって作品を仕上げることや。」
「へいへい。」
俺はそう言って、電話を切ったのだった。
(今日聞いた音楽 『安奈』 歌 甲斐バンド
1979年盤 音源はシングルレコード
久しぶりに聞いたら、泣けました。)
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Comments
謙介さんこんばんは。
展覧会というと、手順もいろいろ大変ですね。
私も今日は、自分が連絡係をしている展覧会のことで休みが一日つぶれてしまいました。
開催まで2カ月を切っているというのに、搬入のことがまだ全部決まっていないので、とてもやきもきしています。
展覧会だ研修だと、謙介さんもいろいろ大変だとおもいますが、暑さにまけずにがんばってください。
Posted by: 闇太郎 | 10. 08. 03 PM 11:41
---闇太郎さん
こんにちは。本当にそうですよね。総務、って言ってみんなまとめ役をTくんに頼んでいるのですが、総務のお仕事なんて、本当に後から後から出てくる雑用の処理、というようなことがその大半だと思います。うちの展覧会はこの総務は毎年持ちまわりで交代なのですが、本当にこういう仕事は労ばかり多くて報われることが少ないので、大変だと思います。自分も何度かやってその都度、やれやれ、と思いましたもん。闇太郎さんもおそらくそういう雑務だらけで、気持ちが萎えそうになることだって多々おありなのではないか、と推察します。やきもきなさるお気持ち、すごくよく分かります。もう最終的には、覚悟を決めるしかないですよね。(そこまでがなかなかなんですが。)毎日暑いですがどうぞお身体ご自愛ください。ありがとうございます。
Posted by: 謙介 | 10. 08. 04 AM 5:51