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10. 08. 24

長い時間軸のなかで

こんにちは。
8月も下旬を迎えているのに
連日暑いこと、です。
一体いつになったらこの暑さは和らぐのか。
先日そんなことをオフクロに話したら
「暑い暑い言ったって、後、3ヶ月もしてごらん。
ストーブ出すねんから。」
おかーさん、そらまぁ、そうですけどねぇ。

今年に入ってから、何度か今参加している研修の話を
しています。政府の審議会の答申を読む作業が終わった、
と思ったら、今度は、ここ10年に出た法律を斜め読みしています。

政府の審議会なんて、やらせ以外の何物でも
ないですね。
政府のしたい方向なんて、最初から決まっているわけです。

でも、枯れ木も何とかの賑わいというか
一応いろいろな人の意見も反映させてまっせ、
という形式のために方向とは反対の委員も
入れます。審議会で、話し合いをさせますが
反対派の委員なんて意見を譲りませんから
意見の集約はなく結局平行線のまま。
当然時間切れになります。
すると官僚が、「お時間もないので、
原案をおつくりしました。それで承認して
いただけますか? 」で、みんな何となく
納得させられてしまって、答申は一丁上がりです。

そうして審議会の答申が出た後、しばらくして
その審議会で出た結論どおりの法案が出てきて
採決されて法律ができる、と。で政府の方針が
正式に決まる、と。
最初から結論なんて決まっているわけですよね。

こういう審議会の答申とか、その答申を元にできた法律、
参考資料、そのテーマの論文をいくつか読みました。
11のレポートの下書きは何とかできました。
後、その中で自分が設定したテーマについて
10分間でプレゼンをしないといけないので、
その資料を作っているところです。

そういう審議会の答申って、何せ役人の作文ですから
書き方の形式がきちんとあるわけです。

まず今の世の中の経済状況とか、社会状況の把握、
というものがあって、そこからこういう問題が
生じている、と、それを解決する方策として
こういうものを考えた、と続くわけですよね。

以下、こうした答申を読みながら今の世の中を
考えて、そうして謙介が思ったことです。

ちょっと前によく言われていたのが
「勝ち組」とか「負け組」という言葉でした。
反吐が出るくらい嫌な言葉です。


勝った、って、何にどう勝ったのですかね。
負けた、って、何にどう負けたんですかね?
負けたら、もうその人の人生はそこで
おしまいなんですか?
勝ったから、と、言ってその勝ちがずっと
継続されるのですか?


俺、つくづく日本の中世文学をやっといて
よかった、と思いました。
今更謙介がここで言うまでもなく、
日本の中世文学のキーワードは「無常観」です。

無常観の説明について、凝った言葉で難しく言う人が
います。 中世的思惟とか、仏教的虚無感、とか。
だけどどうしてあんなふうに難しげに言葉をこねくり回して
言わないといけないのでしょうかね。 

小学生にでも分かるように言えよ、って俺は思います。
無常なんて簡単に言ってしまうと、「時は止まらない。」
っていうことじゃないですか。

一時、権勢を誇って、力を持ったところで
やがて時がくれば、その権勢も落ちるときがやってくる、ですし
たまたまその時、勝負に勝っても
そのために却って負担が大きくて
その後滅びてしまう、なんていうことは
よくあることです。

平家物語の全体の主題、その主題をさらに
凝縮した形で冒頭に持ってきたあの有名な「祇園精舎の、、」から
はじまる文章。

一時期栄えた人も
やがて没落の時を迎える。
いいこともわるいことも全て時は流れて
時間の流れの中に収斂されて
砂塵の彼方に消えていってしまう。

ある時期、勝ち組、とか言われたところで、それが永遠に
続くわけではありません。負け組、って言われたって
何かの機会に息を吹き返す、なんてことだって
あります。捲土重来の時期だって来るかもわかりません。
たまたま何かに負けた、とか落ちぶれてしまった、
だけじゃないか。
負け組のヤツは、人生の落伍者みたいに言う人がいますが
俺はその人はダメだ、とか、絶対に思わない。
誰だってちょっとしたことで人生転落の回転の中に
入ってしまうことだってあるし、逆にちょっとした
きっかけで人生が劇的に変ることだってある。

なのにどうしてあんなふうに勝者・敗者、って
簡単に分けてしまうかなぁ、
って思います。

実は俺がスポーツを好きじゃない理由って、ここなんです。
その限られた時間の中で勝ち負けを競う、
それがスポーツです。
確かにその時間内ではそうかもしれない。
スポーツ、というのがそういうものだ、
そうした考えがスポーツの中だけに収まっている
というだけならいいです。
でも、いつしかそのスポーツの考え方が
他のいろいろなものにまで影響を与えているような
気がしてならないのです。

人生に勝った負けた。
会社の経営に勝った負けた。
我々の大切な一度しかない人生、って
そういう一時の勝ち負けのためだけにあるのですか?

人生は長い。
その長い人生の中では、確かに今は
ダメかもしれないけれども、それが永遠にダメとも
思わない。

痛快だったこと、惨めだったこと、
泣いたこと、笑ったこと。
浮いたり沈んだり、
そんないろいろのことがあるのが人生じゃないですか。

人生なんて、勝ち負けじゃなくて
最終の場面を迎えたときに
自分なりに、よかった、と思えたら
それが一番、なんじゃないですか?


今の社会って健康や若さとか、生産性に絶対の価値を
置いているように思えます。
でもね、俺はそういうふうに若い、とか、生の輝きだけを
前面に押し出せば押し出すほど、世の中から奥行きが失われてしまって、
風景も人の考えもうすっぺらになってしまっている、というふうに思えて
ならないのです。


ゲイの文化もそう。どうして、若さとか
生の輝きのことばかりに目を向けるばかりで
どうしてもっと深いところで人生を考える、ということが
できないのかなぁ、って思います。

人間、若いときのようには決していきません。
だから歳を取ると、その段階その段階でまたそれなりの
自分の人生のいき方とか方法をもう一度考えて
仕切りなおして、前に進んで行かなくちゃ、
と思うのです。

戦術の練り直しが絶対に必要になっているのに、、
でも、見ていたら、そういうところへ行かないんですよね。
いつまでも若い、という部分に固執してしまって
離れられない。

だから自分はもう若くない、 若いときの自分は
良かった。若いときの余禄で今は生きているだけだ、とか、
後は寂しく終わるだけだ、とか。どうしてもそういう方向に行って
しまいます。

アジア、という地域では、元々人の暮らしの時間の流れ、って、
もっとゆっくりとしていて、そしてその場だけ、
見るのではなくて、長い時間のスパンの中で見てきた
ものだった、と思うのです。

日本だってそういう人生の長い流れの中で
人は生きてきたんじゃないですかね。

やっぱりこういうの、ってアメリカの影響ですかねぇ。
短期間で「結果を出す。」なんていうことが
平気で言われたり、要求されるようになりましたよね。
まぁ結果とは「自然に出るもの」で、「出すもの」では
ありませんけども。(笑)

ある部分だけ取り上げて、勝ったの負けたの、って
それにどれほどの意味があるのか、と俺は思います。

兼好法師は、時は流れていく、
だから、無駄に過ごしていれば
死の時はすぐにやってくる。
それまでの時間を無駄にしないように生きること。
まずそれが大切、と、何度も何度も
徒然草の中で言っています。

昔は人の死はもっと身近な存在でした。


現代の人は現在の感覚でしか
人の死を見ようとしませんが、
昔は、伝染病をはじめとするような病気の蔓延だって
しょっちゅうあったと思いますし、そうした病気で
死ぬ人もたくさんいたでしょう。
大体が平均寿命なんて50歳まで
行ってなかったですし。

行き倒れの人が街中に倒れて
いる、とか、殺人事件だって今と比較にならない
ほどたくさんありました。天候だって予測がつかなかったですから
飢饉だって、天災だって今よりもっともっと苛酷で
直接的な影響や被害を与えていました。
歴史の記録を見たら、本当に頻繁に
あちこちで天災が起こっています。

そういう環境だったから、死は今よりもっともっと身近な
存在だった、はずです。

そしてその対極の生だって、死が身近であったからこそ
どうやって生きるか、ということを人は
必死になって考えていた、と思うのです。
自分の人生、最後まで生ききること。

8月。 本当に今も忙しいのですが、

その中でふと立ち止まったとき、
人の死を憶うととともに、
これからの自分の人生を
どうやって生きていけばいいのか、ということを
ずっと考えたりしています。


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Comments

「今の社会って健康や若さとか、
 生産性に絶対 の価値を
 置いているように思えます。
 でもね、俺はそういうふうに若い、とか、
 生 の輝きだけを
 前面に押し出せば押し出すほど、
 世の中から 奥行きが失われてしまって、
 風景も人の考えもうすっぺらになって
 しまっている、というふうに思えて
 ならないのです。」

ほんとうに、ほんとうに心を打つ
謙介さんのお言葉です。

40を過ぎてのミニスカート、
それこそがかっこいいことだと
雑誌で言ったのは、小泉今日子さんでした。

人が歳をとるほどに
価値が無くなってしまうのであるならば、
人は生まれること自体が間違いだと
言うことになってしまうとは
中島みゆきさんでした。

先日、いつものジムで
73歳の現役ボディビルダーと会いました。

「俺の背骨は骨の間隔が縮んじゃって
 重りが乗るとイテーんだけどさ、
 でも、やるんだよ、やるしかねーんだよ」

って、笑って言って、
いろんなことを教えてくれます。

謙介さん、

ぼく思うんですけど、

自分の後ろを歩いてくる人たちも
自分の前を、ずっと前を
歩いてゆく人たちのことも
好きだなぁって、

謙介さん

自分そんな事を思うんです。

Posted by: b-minor | 10. 08. 25 at 오후 1:44

---b-minorさん

俺ね、思うんですけど、何でも程度問題じゃないか、って。
この間近所のおばあさんの話を書いたんですが、元気だったころのおばあさんは、90歳近くでもおしゃれを忘れない人でした。こんなふうに生きる、っていうことの中には、自分の中でなくなっていこうとするものを何とかとどめさせようとする、
という力があります。その力こそが生きる源泉だと思います。だから、その70歳を過ぎたボディビルダーさんもそれが「生きがい」で生きる源泉になっているんじゃないか、って思います。
 ただ、今の世の中みたいに、若いのがすべてで、、、っていうのは、どうかなぁ、って思うんですよ。歳をとったらとったで、そういう歳を取っても自分を見失わないで生きる、ということを考えないといけないのに、そこのところで、若さに固着してしまっている、それをなんだかなぁ、、、って思ったわけなんです。 
 世の中の風潮がね、、というところが気になって、書いてみたわけなんです。

Posted by: 謙介 | 10. 08. 25 at 오후 4:13

謙介さんこんばんは。
わたくしの仕事は厚塗り促進委員会(笑い)なのですが、若いということと若々しいということは違います。
年齢に応じた美しさってあると思いますし、私は若いころの自分より今の自分のほうがはるかに好きです。
人は生まれそして死んでいきます。
そのカウントダウンに向かいつつ、昔でいう余生についていろいろ考えます。
考えることって人生に大切です。
夏休みの中の一日を講習会に参加しました。
お勉強になるからと軽い気持ちで申し込んだのですが、書類が届いてびっくり!
「小論文を完成させてご持参ください。」
講習会は明後日。そんな中頑張って小論文を書いて持参しました。
ずっと机に座ってお勉強の一日でしたが、とってもお腹がすきました。
一日子供たちと自然観察で歩くよりずっとお腹がすきました。
脳も体も心も使わないとさびていきます。
余生を仕事を生かした方面で送るか、大好きな自然の中で過ごすか方向はまだ決まっていませんが、自分が幸せと感じる道を歩きたいと思います。

人ができる範囲で自分の幸せを追及できるそんな世の中にしたいです。
フィンランドは兵役がありますが、兵役がなじまない人たちは例えば老人ホーム(日本のとは大きく違いますが)などで社会奉仕をするそうです。
ヘルパーさんは若い男性が多く、そんなに高給ではないけどみんなから尊敬されるそうです。
最後まで髪をとかしたり、口紅をつけたりできるそんな世の中って素敵だと思います。

Posted by: ラジオガール | 10. 08. 27 at 오후 10:36

---ラジオガールさん
ラジオガールさんのおっしゃる、「年齢に応じた美しさってあると思いますし、、」ということなんですよね。俺も思うの。
最近よく新聞とか雑誌の広告で、60歳なのにこの若さ、って言って、40代にしか見えないような若々しさ、を売り物にする栄養ドリンクとか補助食品のコマーシャルがあったりしますよね。 
確かに昔から「不老長寿」は散々言われてきていて、その多分「伝統」もあって、そういうことを言うのかもしれないですが、、でも、そんな外見上より、誠実に、長い間一徹に仕事に生きてきた方の表情とか経験から生まれた顔、というもののほうがずっと素敵に見えるように思うのです。
『花伝書』ではありませんが、若いときの「時分の花」ではなく、「真の花」がその長年打ち込んでこられた方の表情にはあるように思えます。その一方で生きるために
失っていこうとするから、節制したりして、とどめようとする姿勢、これもありますね。年をとること、そういう中で、自分が生きていくために、もう一度方向を見定めなおしたり、今までの方法でよいか、もう一度確認する時期に自分もきているように思えます。ラジオガールさんのお話、俺はとても自分の参考になりました。どうもありがとうございました。

Posted by: 謙介 | 10. 08. 27 at 오후 11:26

謙介さん、こんにちは。いつも楽しく拝見しています。

私の住む川崎市北部は、老人比率が高く、駅前は老人で溢れています。ジムも老人ばかり。若者は稀。よぼよぼした老人がウェイトをやっているのを見て、若い=美しいと刷り込まれた初老のゲイは、平均寿命まで生きなくても、格好のいいうちに、ぽっくり逝くのも悪くないかも、なとど考えておりました。2週間前、腰痛で通った病院で、末期の前立腺癌と診断され、今では、80近くの老人を見ると、憧れというか、その年まで健康(かどうかは分らないけど)で生きたあんたは偉い、すごい、と思うようになりました。

あと何年生きられるのかな、と思うと、老人で、80で、ジムに来たり、独りで町を歩いているだけでも、格好いいと思うようになっています。そんな自分が、あっという間に考え方が転換している自分が、現金というか、なんだかなあ、と思うのですが。

能を見るようになり、花伝書も眺めていましたが、今では以前知っていたのとは違う本のように思えます。

Posted by: まさぞう | 10. 09. 19 at 오전 7:06

---まさぞうさん
これだけで詳しいことは分からないので、お返事をするのに躊躇しているのですが、末期とはいえ、前立腺がんの場合、ある程度病気と共存していくことも可能、と、前に待合室で一緒になったおじさんに聞いたことがあります。(その方も前立腺のがんでした)俺も決して先のことは分かりません。長い計画は立てられません。前は「いつかはこれをしたい」と思っていましたが、今では近いうちにしたい、ということをまず、考えるようになりました。確かに病気になって、自分の場合はその立場を受け入れるのにやはり半年くらいかかりました。まさぞうさんはどうですか? 今は病気になって、考えもしなかったこと、思いもしなかったことを考えられるようになった、とは思っていますが、そういうふうになったのは、ごく最近と言ってもいいと思います。 確かに俺も病気になる前、なった後、では、いろいろと物の見方ががらっと変わった、これはありました。
まさぞうさん、どうかしんどいこととか、一人で辛い、っていうことがあったら連絡してください。病気でしんどい時に誰もいなかったしんどさ、っていうのは謙介の中にあります。がんばれ、とか気合だ、とはいいません。しんどいことがあったら、一人で溜め込まずに、解放させていいんですよ。もし、そういうことがあったら遠慮なくメールしてくださいね。

Posted by: 謙介 | 10. 09. 19 at 오후 3:07

謙介さん、こんばんは。

前立腺癌は、早期発見すればほぼ根治が可能とされています(副作用がひどいようですが)。私は、骨盤とリンパ腺に転移があったため、遠隔転移ありということで、低文化の悪性で、D2という評価でした。この場合手術や放射線治療は行わないのが通例で、ホルモン療法のみの適用です。これは一種の去勢療法なのですが、数年しか効果がなく、また抗癌剤が開発されていないため、効果がなくなった後は緩和治療のみとなるようです。

殆どの末期患者は70代、80代なので、癌の発症と死期が同じということもあり、治療そのものを行わないケースすらあるようですが、私のような50代(55歳です)の場合には、ホルモン療法の効き目が悪く、死期も早いケースが多いようです。

5年後の生存率は20-30%、死亡の中央値は3年とされています。

なんとか、2割のグループに入りたいと思い、毎日運動をし、がん細胞死ね、と唱えていますが、効果の程はどうなんでしょうか。

告知からまだ3週間なので、心の準備はできていません。泣くこともなく、今は身辺整理と、毎日をいつものように一日も長く生活できるよう、どうすれば良いかを考えています。

残念なことに、つまらないサラリーマン生活を送ってきたため、後に残すものが何もない(作品も、書も、詩も何もかも)のが心残りですが、今はこれも運命なのかな、と諦めました。

まだ死ぬことへの実感が持てず、困っています。死期が迫っていないためなのでしょうが、あと3年かもしれない、と考え、行動するようにしました。

Posted by: まさぞう | 10. 09. 21 at 오후 10:41

---まさぞうさん
がん、は個人差が大きいものです。病院に行くと、待合室なんかで患者さん同士の情報交換があるのですが、あれも自分の経験から言って本当に良し悪しだと思います。
後に残すものがない、ということですが、残す、というのではなくて、今、ご自身がこうして生きている記録を何らかの形で作っておけばいかがでしょう。俺も今まで都合3回、その時々の最新の治療をしました。でも結局そうした治療は一時的な効果はあるものの、結局根治する、ということにはなりませんでした。前にも言ったように主治医からは「必ず悪化します。」と言われています。俺もそう遠くない将来に、、ということは思います。けれども肝臓なので、自覚症状はなくて、だからそれが却って自分の生に対する決定的な思い、というところにつながっていないように思います。もっと言えば、切羽詰った感じがしていない、ということです。ただ近い将来多分そうなるのでしょうけど、それまで生きられるところまでは、自分に後悔のないように行きたいところに行く、見たいものは見る。したいことはする、というふうに思います。それから下向きな気持ちがやはりあまりいい影響は及ぼさないように思います。ゆったりと普通に構えているのがやはりよいようです。まさぞうさんは決して一人ではないですよ。俺も遠くでまさぞうさんのこと気にかけていますから。

Posted by: 謙介 | 10. 09. 21 at 오후 10:59

謙介さん

ありがとうございます。癌のことは家族と親しい友人は知っていますが、癌のことを話すことは、常に死を話題にせざるを得なくなるので、避けています。

謙介さんのサイトを拝見しているだけで、救われる気がします。時々おじゃましますので、よろしくお願いします。

Posted by: まさぞう | 10. 09. 23 at 오전 9:16

---まさぞうさん
ご家族、近しい方、といっても、まさぞうさんの今のお気持ちに全面的に添うことができるか、といえばこれはちょっと難しいかもしれない、と思います。そうであるなら、まさぞうさんは少しずつ周囲の人に自分の気持ちを小出しにしていって、この部分はこの人に聞いてもらって、この部分は、この人に、と、分けていかないと周囲の人間が受け止められないのですが、今度はそんなふうに分けるのが病人にとっては結構負担になったりします。すべて、は分かる、ということはできませんが、お話を伺うことはできると思います。よろしかったらいつでもお話しにきてくださいね。それから、何か楽しい計画を作って、それを積極的に実現させるように持っていきましょう。そういう楽しいことに向かって意識を集中させることで免疫力がアップする、ということは医学的にも立証されていますし。こちらこそどうぞよろしくお願いします。

Posted by: 謙介 | 10. 09. 23 at 오전 9:29

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