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10. 06. 23

頑固だからねぇ

何年か前だったか、そのころよく話をしたり
電話をしていたゲイの友達がいたのだけど、
あることを境に、もう一切電話も連絡もしないから、
と言ったことがあった。

その人が、ある時期、女性もいいかも、と
言って
で、一時女性のほうに行く、って言って
ゲイの人間との友達づきあいを一切止める
とか言って俺とのメールも絶っておいて、
数ヶ月で方向転換して戻ってきて
「そのことについて説明はしない。」ってそれだけ。
それで従来どおりにまた、ここにいる、って言われたってさ。
そういう人間って、俺ね信用ができないの。
だから、「ごめんな。」って言って、
連絡しないから、と言った。


俺自身の考えとしては
他の人がゲイでもバイでも
それはそれでいいんじゃないの、
って思う。
中にはバイなんて許せない、
っていうゲイの人もいるけど、

人間って機械じゃないもの。
100パーセントか0パーセントか
っていうのない、って思うし。
人間だからさ、嫌いだけど好き、
好きだけど、ここは嫌い、っていうことだってあると思う。
ある箇所は、好きな部分もあれば
こういうところは、、っていう部分もあるわけで。
人間ってそう単純にピシッと分ける、っていうふうには
いかないもの。そこが人の気持ちの奥深さだと思う。
だから、そういうことについて、それほど
ああだこだとは言わない。

それに人間だから気持ちの揺れだってあると
思う。それも認める。

だけど、俺が許せないのは、その時の気分で
ゲイになったりバイに宗旨替えしたりするような、
定見のない人間。 あっちへなびいたかと思ったら
またこっちに戻ってくる。
自分の気持ちが動くのはいいけれど、それを、自分なりに、
どうしてそうなったのか、親しい人間に説明さえ出来ないヤツ。
説明しない代わりに、それを何となく気配で分かってくれ、
と思ってるらしかったけど、俺はそんなもの、体のいい
甘えだと思ってるし、逃げるな。ちゃんと自分と向きあえ、
と思う。そういうのが俺は許せない。
だから「もう連絡をしないでね。」と言って、それっきり置いた。

頑固と言われようと、柔軟性に欠けると言われようと
そういうのは嫌。

サッカーの試合がある。
その後の意見の書き込みがすぐに
何百とつく。
試合の前後でそれまでのその選手なり
監督の評価ががらりと変わる。
どうしてあんなふうにころっと人の評価を
変えられるのだろう? そんなふうに自分の意見を
変えてしまってなんとも思わないのか?
匿名性があるから、っていうので、誰が言ったか責任を
問われることもないから、
自分の評価をころっと変えても平気なのだろうか。

おそらく検索とか、掲示板、という機能で
もって「断片」みたいな意見を見ているうちに
自分の内面もそれに触発されて急激に
変化をするのかもしれないけれど、、、。


俺自身は自分自身の中で
その人の評価については「こういう人なのだ。」
と一度決めたら、その評価は動かさない。
周囲の人間がどう言っていたとしても
俺自身がその人間をかっていたら、信じて
任せる。 

確かにね、自分が相手のことを信じて
あれこれ言いたい気持ちをグッと抑えて
黙って見ている。
これは苦しいよ。ストレスたまるんだから。(笑)
 
だってそれは、
相手を信用する、ということでもあるし、
自分の眼がどの程度だったか、という
ことでもあるわけだもの。
でも、俺は人を見るときは
いつもそういうふうに見てる。
そういうところ、頑固だからねぇ。

だけど、自分で言い出しておいて約束を違えたり、
違えたとして、そのことについて何らかの
そいつなりの責任の取り方をしたんだったら
まだいいけど、それがないまま、という人もたまにいる。
そんな急にあれこれ変わる人なんて、信用をおく
おかない以前に、どうしたって信じられないじゃないか。


目の前の人が、自分が信じるに足る人間で
なくても、俺は何も言わない。
言わないけれど、「あ、そういう人だったんだね。」とは
思う。だからそういう人には「もう頼まない。」

そういう柔軟性に製に欠ける性格って、
今の変化の激しい世の中でとっつきにくい
といわれるのは分かっている。
でも頑固だからねぇ。変えない。(笑)

いやはやそういうところ、オヤジに似てきたなぁ、と
改めてこの文章をまとめながらそう思ったのだった。


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Comments

人は、それぞれの学びや段階がありますからね…。ですが、その、知人のバイセクシャル?の方、女性がとか男性がとかじゃなく、どちらかが好きとかいうことでもなく、迷いとかでもなく、きっと自分が一番好きなだけで、究極な所、人をまだ愛したことないのではないかな、自分しかまだ、愛していないのかもです。
結婚して、離婚して、又は離婚まではいたらないが偽って、離婚を考えたが配偶者の理解や人生もあり人生の同士として…ってなパターンもありますが。
いずれにしろ、両方好きってのは、どちらも好きではなくて自分が好きなだけってことです。
このばあいも、デビットボーイのように完全に公にしてカミングアウト出来るくらいの根性がある知人の方ならあっぱれですね。素敵な人かもです。
皆、人生、学びの途中かもです。
無関心は愛がないけど、ほっとおけばいいですよ、彼は、もしかしたら一生かけて、自分しか愛せないかもだし、気づきがあるかもだし。
こんな人に僕も出会った事があります。
肉の年齢ではなくて、前世の経験もふくめて魂がきっと幼いです、ホモの友達と接触を断つと断言して、ほんのしばらく、連絡しなかった事が、彼には、薄皮一枚の成長だったのかもですよ。
謙介さんの学びの段階には、まだ、何度か生まれ変わりが必要なのかもです。
幼稚園児に大学生が嫌な思いをさせられることだってありますよ。
気にしない事です!(^O^)

Posted by: holly | 10. 06. 23 at 오후 11:54

---hollyさん
 俺ね、考えが変わる、っていうのは生きている人間だからありえる、とは思うんです。でも、連絡しないようにするから、ってこちらといきなり連絡を切っておいて、やっぱり気が変わったから、って、こっちになびいてくる、で、どうしてそういうふうに元に戻ったのか説明はしない、そんなの単に甘えているというのか、自分勝手なだけじゃないか、って思ったんです。
 最低限、どうしてそうしたのか、された側に説明くらいしたって、それこそ、それって「説明責任」って言うものじゃないか、って思うんですよ。
 hollyさんのおっしゃるように、たぶん「自分」しか見えていなくて、周囲にいる人間は、自分に対して奉仕するもの、ということでしか認識されていなかったのかもしれません。ホント、そうかもしれませんね。
 世の中にはいろいろな人がいるなぁ、と
本当に改めて思ったことでした。

Posted by: 謙介 | 10. 06. 24 at 오후 1:55

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