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10. 05. 20

ゼロジュウ (その2)

確かにそのAセンセイ。

書いた文章では「ハゲを隠すなんて、、」
といいながらご自身は、隠しまくりで。
確かに誰しも思うみたいに言行不一致でさ。

確かに俺も若いときは、そのセンセイのことを
言行不一致、と言って、ふん、と思ったことも
あったのだけど、、。

でもねぇ、当時のAセンセイの年齢にそろそろ
差し掛かった謙介は、センセイの気持ちも
分かるような気がしてきたのだ。
人間、口で言ってることとすることが
違う、なんてことはざらにあってさ。
俺なんかしょっちゅうあるもの。

それと若いときには許せなかったことでも
歳を経ると、まぁそういうこともありだよねぇ、って
思えるようになってくることもある。

というのか、まぁ人間誰しも、どうしても許せない
一線というのは確かにあるとは思うのだけど、
その一線以外のものの許容範囲が
どんどん広くなっていくというのか、
「これは譲れないけど、後はまぁ適当で、
いいや。」というようなことが
すごく多くなってくる。


そういうことがあるのと同時に
もうひとつ。
歳を取ってくることの自分の身体の変化、というものに
どうしても直面することになるわけですよ。

たとえば、こないだ月刊の文○春秋を
見ていたら、作家の沢木耕太○さんが
写真入で出ててさ。
あの人、40代の頃までは若々しく行動する作家の
イメージでさ。本人も今もそのイメージで行きたい、
ということではあるのだと思う。

俺、沢木さんの40代の頃の写真しか見ていなくて、
いきなり先日、60過ぎた沢木さんの写真を謙介は
見てしまったわけよ。そうしたら、20年飛んだら
全体の表情が乏しくなった、ということもあったし、
歯茎のあたりが萎んでしまって、
60過ぎの人の顔、に当然なってた。


でも、その写真全体から見ていたら、
沢木さんの意志というのは、彼は自分のその年齢を
受け入れたくないと思っているようだった。

全体の服装は40代のまま。
髪もおそらくは染めているのだろう。服装とか
頭髪は以前のままだったのだけど、でも
顔はやっぱりそういう年齢相応の顔、ということになっていて。

ただ正直なところを言わせてもらうと
俺思ったのは、その彼が目指そうとする方向と
(40代の頃のままでありたいという方向)
顔全体のギャップがあまりに大きすぎてさ。
正直言って、すごく痛々しく見えてしまったのだった。

ゲイの飲み屋さんへ行ってもよくいるじゃないか。
妙に浮いてしまうほどの若造りした人。
ないしはよくある、例の歳をごまかす、っていうの。
そういう人っていうのは、自分が一番
若くてカッコよかった、と思うころのファッションのまんまで
いようとするものだから、飲み屋さんの中に行ったら
確実に浮いているなぁ、という人。


たとえは悪いんだけど、俺、正直
そういうのと似てるじゃないか、って思っちゃった。

まぁ確かにね、歳とってくると体力とか基礎代謝量
だって落ちてはくるしさ。Aセンセイがかつて国文学会の
会報に書いたみたいに、年とともに身体の外見が
変化してくるしさぁ。

まぁその体力の落ち方を緩やかに
とどめるとか、体力が落ちてくるんだけど、少しでも長く
自立した生活が送れるように体を自己管理するための手段として
身体づくりをする、というのであれば
分かるよ。


けど、いつまでも20代30代のようでありたい、と
言って、プラセンタだ、ローヤルゼリーだ
と怪しげなものを飲んだり注射したりするとか、
驚愕するような若造りをしてみたり、
必要以上にトレーニングをしたのはいいけど
体脂肪を一桁にして結果、逆に病気に
かかりやすい身体になって
インフルエンザにかかって亡くなってしまう、とか。
プロテイン飲みすぎて腎臓病になったり
基礎代謝上げ過ぎて、普通にしていても
身体はマラソンをしているようなことになって
あげくの果てに、他の人より先に体力使い果たして
まだまだ若いうちに亡くなってしまったら、
一体何のためのトレーニングなのか
わかんないじゃないか。

そういうふうに外見を若くしたって、
身体の内側とか、自分の身体の生理とか
自然な体調管理に
沿った上での節制じゃないから、どちらにしても
やっぱり相当無理をしてる、って。

素人判断で年齢不相応のトレーニングやって
寿命を縮めている人って結構多い、って、栄養士の
友達が言ってた。もしくは長い間の
めちゃくちゃなトレーニングの
結果、他の人より早く身体に無理が来て、
自立した生活さえできなくなってしまった人とか。

「もうねぇ、スポーツ少年団なんかで、素人コーチが
ムチャクチャな指導をしてきた結果、身体を壊してしまった
中学生とか高校生なんてごまんと見てきたからねぇ。20代で
肩壊してしまった子とかさ。これからの人生、一体
どうすんの? 誰が責任取るんだよ。」
って栄養士の友達が怒ってた。

いや、何も年寄りくさくしろとか、年取ったんだから
もうあれこれしようとするな、っていうんじゃなくてさ、

今の世の中、なんかやたら必要以上に若い若い、っていう
ことばっかりに目がいってしまって、

それでは、自分の中での年齢の経過をどういうふうに
認めて、それと付き合っていくか、っていうことが
ものすごくなおざりにされているような気がしてなんないの。
あれもアメリカの文化の影響なんでしょうかね。
やたら若い若いという方向ばっかり
重きが置かれてしまって、自分の中での成熟、ということを
ちっとも考えようとしないんだもん。


みんな今の自分とか現実の自分に素直に向きあう、
っていうのがすごく苦痛なのかもしれない。
もっと言っちゃったら、嫌、というのか、
歳を取ることに恐怖感すら持ってる人だって
結構いるように思えたりする。

たとえば、上の沢木さんもそうだったのだけど
ここ数年で謙介の周囲で言ってるのが
実はその髪のこと。

この歳になってきたら、髪を染める人と
そのままにしておく人とに分かれてきてさ。
もうねぇ早い人になったら30代半ばから
じゃんじゃん白髪が出てくる、っていう人もいるし、、
50代だけど、ほとんど白髪がない、っていう人も
いるんだけど、、。
その白髪に対してどうします?
染めている人もいれば、
そのまんまで措いている人もいる。
俺は自然のままにしてるけど。


40代の後半になると
ただどうしてもそういうふうに身体的な変化が
嫌でもはっきりと出てくるようになってくる。
若いときは別になんとも感じなかったけど
朝起きてみて、その日の体調がいろいろだったり
するもの。
体調の晴れ晴れといい日もあれば
起きるのが辛い、という日だってある。
体調はそんなふうに一定しなくなる。

髪ひとつとってもさ、染めるのか
染めないのか、っていうこととともに
自分の中でのそういう身体の変化に対して
どういう気持ちでいようとするのか。
いようとしたいのか。

それから、こないだうちの姉も言ってた
ことなんだけど
歳取ったら、安物のアクセサリーとか服が
着れなくなってしまうの。
まぁ今、不景気だから高い服なんて
そうそう買えたものではないけど。

歳を取ると、身体とか全体からからそれなりの
「人生」っていうものが黙ってても出てくるように
なるからさ。
そういう時期になると、
当に安物のジャラジャラした
アクセサリーは全然似合わなくなってくる。
若いときには着こなせていた
値段の安い服だって
全然似合わなくなってくる。
そういうことだってあるもん。

そうした変化、外見の変化、と
どう向き合うのか。

病気によったら、その人の性格だって
すっかり変わってしまう場合だってあるもの。

20代のころは、几帳面で細かい性格だった人が
病気のせいで全然違った性格になっちゃう、
ことだってあるし。

そういうふうに歳を取っていくなかで
自分はどうしたいのか。
自分はどうするのか。
40歳になったら、最期の自分の着地点は
どうしたいのか
どうするのか、っていうふうなことを
そろそろ考えないといけないんじゃないの?
って俺は思うけど。


そのことに関してなんだけど、
っと前にゲイの雑誌読んでたら、
自分の年上で、自分たちの参考に
なるようなモデルがない、
とか参考にする人生がなかったのが残念、
って書いてあったんだけど、
俺、その時、「なんで? 」って思った。

どうして自分の人生に、よその人の人生をモデルとか
参考にしないといけないのさ?
自分の人生なんだろ? 自分の人生だったらさ、
そんなもの、自分で苦労しながらどうしたらいいのか
作っていくしか方法がないだろうに?
そんな人の人生参考にしてどうするよ、って思ったもん。

それにそんなの外から見た「イメージ映像」にしか
すぎないのにさ。
こないだの高校生じゃないけど、コンテストで
全国3位、っていうすごい成績だって持ってるけど、
毎日接している友達から見たら、単に「エロ大王で
弁当のおかずを横取りする困ったヤツ」な
わけでしょ。
全国の同じことをしてる高校生からは
憧れの対象かも
しれないけど、毎日付き合ってる友達から
見ると全然違う、とか。
そういうふうにイメージと実際は違うさ。
その実態と違うイメージを見てああだこうだと
言ったって仕方ないじゃないか、って思う。

自分の人生だもん。
自分はどうやって行くのか、っていうこともちゃんと
自分と向き合って、考えて行かなくちゃ
いけないんじゃないかなぁ、って思う。
それが「自分の人生」っていうことの
意味でしょうに?

歳をとっていく、ということについて、
ひとりひとりの人間にとって自分なりの
それぞれの回答が必要なわけでさ、
それは入り口とすれば単に髪を染める、
染めない、っていうようなものなんだけど、
その背後にまで遡っていったら
案外大きくて深い問題が提示されているようにも
俺は思う。


さて。みなさんは、この後の自分の変化と
どう向き合っていこうと思っているのだろうか?

とまぁ、そういう問題について、ゼロジュウの
Aセンセイは今の年齢になった俺に投げかけて
きたような気がしているのだ。

(今日聴いた音楽 エルガー作曲 チェロ協奏曲 ホ短調
 作品85 チェロ演奏 ジャクリーヌ・デュ・プレ
 サー・ジョン・パルピローリ指揮 ロンドン交響楽団
 1965年 ロンドン キングスウェイホールに於ける録音) 

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