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10. 04. 30

古典のこと

そろそろ4月もおしまい。
俺たちのような文学を勉強している
人間にとっては、このあたりから
学会のシーズンに入ってくる。

こないだから一週間おきくらいに
俺が所属しているそれぞれの
学会から、総会のごあんない、というお知らせ
が送られてきはじめた。


総会のごあんないとともに、年会費も払ってね、
というwith振込用紙なもので、
総会の案内が来るたびに、胸もどきどき、
財布もどきどき、になる。

と、言ってもあくまで大きな総会をこの時期、というのであって、
小規模な勉強会とか例会は、毎月どこかの大学を会場にして
やっているのだけど。
謙介の関係する学会で言えば、今年は
奈良で総会を行う予定。
まぁね、平城京遷都1300周年記念に引っ掛けて、ということなのは
言わずもがな、なのだけど。

こないだうちの実家の近所の小学校の5年生の男の子の
国語の教科書を見せてもらった。
そうすると古典の教材がもう入っていた。
もう入ってる、なんて思ってたら
今度の学習指導要領の改正で、もっと早い時期から
古典教材に親しませるということになったのだそうな。

改正点として
・昔話や神話・伝承などを導入に、低学年から古典に触れる。
・情景や言葉のリズムを感じながら、音読・暗唱することを重視する。
・俳句や短歌などの言語芸術や伝統芸能なども対象にする。
・昔の人のものの見方や感じ方といった言語の文化的な側面も扱う。
・高学年では、内容の大体を知ることも目標にする。

ということであるらしい。

何せ、俺の所属は古事記学○、万葉学○、上代文○会なので
(後まだいくつかあるけど省略)
こういう話ってもちろん何年も前から聞いていたから、
ああ、そういうことになっていくんだねぇ
という方向は大体知ってはいた。これを見た時にそうか
今度の、改正に入ったか、と思った。

古典の指導っていうと、そういうのを全然知らない人は、
小学生に「いずれの御時にか」っていうふうな古文を
教えるのか、そんなの無茶じゃないか
って言ったりするのだけど、違いますって。
いきなり何も分からない子に
そんなことするわけないじゃないですか。(笑)


人間には「発達段階」っていうのがあるわけだから
そんなもの、いきなり難しい古典なんか教えるわけ
ないでしょ。


おそらくこれをお読みの中にも
そんな人はふつうにいると思うのだけど、
俺、幼稚園のころに死んだばあちゃんから
寝るときに布団の中で「因幡の白兎」の話とか
「オオクニヌシ」と「スサノオノミコト」の話をしてもらったり
そうした神話の話をばあちゃんが絵本で読んでくれて
それを聞きながら眠りにつくことがあった。

みんなそんなことなかった?
以前ならじいちゃんばあちゃんから受けたような
そういう話を、国語の時間に
教科書で読んで、その感想を話し合う
というようなこと。
小さい子どもにいなばの白うさぎの話の
絵本の読み聞かせをする、なんて、
それが特に難しいことだとは俺は全然思わない。
これって、難しいことなの?

神話とともに「伝承」も教える、とある。
これだって難しく「伝承」なんて書いてあるけど、
要するに「昔話」のことね。おむすびころりん、とか
はなさかじじい、とか、いうふうな昔話を聞いて、
その話について、みんなで話し合う、ということ。
小学校で古典、なんて言うから
そんな子どもに、古典なんか教えてどうする、
っていう人がいるんだけど、
要するに「昔話を学校で習う」っていうこと。
別に、それって難しいことですか? 
俺は逆にそう質問みたいんだけど。


それで、どうしてこういうことを学校の国語の時間に、、と
言いはじめたのか、といえば
日本の伝承文学が、今、ものすごく悲惨というのか危機的な
な状況になっている、という事実が一方であるからなんだ。

最近では、桃太郎の話を聞いたことのない幼稚園児なんて
ふつうに居るらしい。
桃太郎の家来って誰と誰と誰? って幼稚園の先生から 
質問されても、「わかんなーい。 」とか「そんなの聞いたことない。」
っていう幼稚園児が少なからずいる、んだそうで。

「犬、猿、雉」っていうのが答えられない。
桃太郎を知らないし、浦島太郎だって知らないし、
一寸法師だって、???? っていう子がいるらしい。
マジよ。


いまや家庭の価値観とか存在が多様化しているから、
本当にいろんな家があって、親もいる。
子どもが学校に行く時分、親は寝ていて
朝ごはんなんか食べずに学校に行く、という家庭も
結構ある。

それから親の中には、
昔話? そんな「下らん話」聞いて何がうれしいんだ、バカか? 」
って子どもにいう親だっていっぱいいる。
「ももたろう?そんな非科学的な話より、金儲けが先! 」っていう親だって
いるらしい。だからそういう親の子は昔話なんて聞かないで育つ。
聞いたことのないものは当然知らない。

うちのオフクロは「そんな金!金!って言いまわる
ような親に育てられるから、身体だけ育って心の育ちが
さっぱりで、人を殺してみたかった、とか言うような
あ○タレが育つのよ、」という。まぁ、こういう問題は
原因なんてひとつではなくていろいろなことが
複雑に作用しあったり影響を及ぼしあった結果
だから、そういうふうに単純に結びつけるのも
どうかとも思うけど、でも原因のひとつくらいには
なるかもしれない、とは俺も思う。


だもんで、仕方なく学校でそういう話を教えて、、
ということになったのだそうな。
そういう世の中の「実態」があるからね。

毎度言うことなんだけど、
お話とか、小説と言ったふうな文学というのは
それを聞いたから、と言って病気が飛躍的に
回復するとか、経済が立ち直る、というような
効果はない。助詞の遣い方を間違えたから、と
言って、手術に失敗したのと違って、
直接的な問題はない、と思う。

だけど今の世の中なんて、「実学」ばかりが優先されて
こういう心を耕すようなものは、
そんなものやったって「役にたつわけがない。」で
片付けられてしまっている。


でもねぇ、一昨日の新聞見ていたら、お猿さんだって
ミイラ化してしまった自分の子どもをずっと背中に
しょっている、とあって「これは死を悼んでいるのではないか。」
と仮説が出てたけど、、。お猿さんだってそういう心を
持ってるんだ。
やっぱりさ、悲しい、とかうれしい、とか
悔しい、とか、最高! そういう心をさらに豊かにするのは
自分自身いろいろな経験をすることももちろんだけど
人の話を聞くとか、本を読んで、自分の知らない世界を
想像する、ということでさらにそれが深まる、と
思うんだ。

最近、よくいるよね。人の気持ちを類推
するのが苦手、っていう人。
そういう人こそ、小説とか物語を読んで、どんどん物語の中で
想像するトレーニングを積んで欲しい、と思う。
そうすることで、自分の経験し得ないことだって
ひょっとしたらこうなのかなぁ、という類推だって
できるようになってくるし、、。そういう想像が
人間のお互いの理解のためには必要なんだと思うけど。

人間の成長にとっては
無駄に見えるようなこと、とか遠回りに見えるような
経験をしてみることがたくさん必要なんじゃないか、って
俺は思うんだけど、ねぇ。

後から考えたら、
どうしてあんなアホなことをしてしまったんだろう、
って思うこととか、思い出して、恥ずかしい、とか
ぎゃああああと言って忘れてしまいたいような失敗とか
俺も一杯あったよー。
だけど、そういう失敗とか、恥ずかしい経験を
してきたからこそ、「こういうふうにしたら、また失敗するぞ。」
とか考えられるし、相手が怒ったときでも「どうしてヤツは
あれほど怒っているのか。」と想像したりするし、、
そういう心のトレーニングというのか、
人間を考える、っていうのの基礎がやっぱり「昔話」だったり
絵本だったり、するんじゃないかなぁ、って思うもん。

俺は昔話とか伝承とか神話をこういうふうに
思っているから、昔話なんかを小学校のはじめに
するのって決して早いことでもないと思うし、
変なことでもないと思う。

大体昔の寺子屋だってそうじゃないか。
昔の子どもだって、漢文の意味なんて
ろくに分からずにただ暗誦してたんだろうし、、。
たとえば。
「学びて時にこれを習う」、ったって、
当時の子どもは本当にその意味をわかって
お師匠さまの言葉について言っていたのでは
ないと思う。

ちなみに正式な意味でいえば、
この学びて時にこれを習う、の学ぶ科目は
「礼楽」。その学ぶ内容は具体的には「礼儀と音楽」だよね。
じゃあ、昔の子どもが、そういう論語の正しい意味について
知っていたか、、って言ったら、俺、そんなことなんて
ないと思うんだ。
そんな詳しい意味なんて知らずに
ただ先生について声をあげて読んでいただけだと思う。

だけど、その声に出して大きな声で読む、
っていうのはすごく大切なことなんだよね。
「古文」には独特の文章のリズムとかテンポ
っていうのがある。
このリズムとテンポを、を自分の身体になじませること。
これって大切なことだ。

テンポとか「間」の取り方。
こういうものを知っておくこと。
これは単に文章の学習、って言うんじゃなくて
話すとき、何かをしようとするとき
そうしたときに、いつ、どこで、どう切り出せばいいのか
っていうことを出す「タイミング」の勉強でもある、と考える。

だから、小さいときから古典を勉強するのって
(あくまで、子どもの発達段階をよく見ながら、
っていう前提条件はもちろん必要としたうえで。)
俺はそれなりに意味があることだと思うし、
時期尚早とも思わないのだ。

     

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Comments

今は、ほんとうに多様化してますね。
日本の昔話を知らない幼稚園児がいるし、そんなのばかばかしいって子供に話聞かせない親もいるんですね…。
気の毒ですね、こんな親に育てらると…。

戦後、物質やお金が一番の力になってしまって、ミイラの子をおぶるお猿さんですら大切にしている事を忘れている人間がふえすぎたのかもです、だから、世界的な不況とか株の暴落とかお金がすべてじゃないよ、みたいな事が世界でおきたりするのかもです。なげかわしいですね。
考えていかなくてはいけない時に人間や日本の社会はあるのかもですね。
ほんと、昭和の頃には考えられない、心すら感じられない、無味な変な事件が多いですものね…。

Posted by: holly | 10. 05. 02 at 오전 10:05

---hollyさん
民族の、と、大きなことは言いませんけど、やっぱり、次の世代に伝えていったらいいそれこそ文化遺産だと思うんです。昔話って。でも、家庭の中には、もう生活に追われていて、生きて行くことに精一杯でそんな心のゆとりさえなくなっている家庭だって多いみたいです。さびしいことですね。お金はあっても心は貧しいまんま、というのは。でも、最近の若い人の中に、周囲の人も大切にしてしたい、とか、ボランティアの精神が根付きかけているのは、本当にいいことだとは思っています。
 なんにせよ、hollyさんのお話の通り、人の生き方、心のゆとり、というようなことを、もうちょっと考えないといけないですよね。俺もそう思います。

Posted by: 謙介 | 10. 05. 02 at 오후 4:34

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